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オウム真理教の教祖と信者13人が死刑になって迎えるこの日

 昨日のことです。
 昼食をとりに出かけて、馴染みの店が休みだったことで、ようやく祝日だと気が付きました。
 そういえば29年前、この日が休日であることに気付かず、終電まで坂本堤弁護士の帰宅を待ち伏せしていた愚かな集団がいたことを思い出し、ひとりで失笑してしまいました。

 坂本弁護士と友人であった滝本太郎さんは、あの日を起点にオウム真理教とかかわっていくことになりました。

 その滝本さんは、死刑は教祖の麻原彰晃だけでいい、と主張し、死刑判決を受けた他の弟子たち12人の死刑には反対していました。いうなれば、麻原は頭であって、他の弟子たちは手脚であった、もっといえば騙されていたのだ、とするのがその理由です。
 いまでは「家族の会」と改称していますが、坂本堤弁護士が世話人となって立ち上がった「オウム真理教被害者の会」も同じ意見で、麻原を除くかつての弟子たち12人の死刑回避の署名活動も行っていました。

 ただ、ぼくは滝本さんたちの主張には賛同できませんでした。
 死刑回避を求めるのなら、麻原もいっしょに全員が回避されるべきだと思ったからです。
 頭だけではなにもできないように、麻原ひとりではあれだけの事件は引き起こせなかったでしょうし、麻原を持ち上げて組織を支えていたことも避けては通れない事実です。それになにより、司法判断を超えて、死刑の線引きをすることに違和感があった。法の下の平等というのなら、全員が死刑回避されるべきです。

 そして、今年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫とかつての弟子たち6人の死刑が執行されました。
 次いで、同月26日には残る6人に死刑が執行されました。
 それから初めてやって来た今日この日です。

 死刑が執行されてから、滝本太郎さんは死刑となった12人の弟子たちについて「麻原に道連れにされた」という言い方をされています。
 ですが、ぼくはこの主張にも賛同できません。
 彼らは道連れでも、殉教者でもなく、教祖を死刑に追い込んだ当事者だと思うからです。

 一連のオウム裁判の中でも、教祖の法廷。
 1997年4月24日の第34回公判で、麻原は無罪主張をしています。
 起訴された事件のすべては弟子たちが勝手にやったこと、全部弟子のせい、そう主張しました。
 ですが、判決はすべての事件において教祖である麻原が首謀者であることを認定しています。
 麻原の主張はまったく認められなかった。

「オウム事件真相究明の会」などというものを愚かな似非知識人たちが立ち上げ、「事件の動機がわからない」「麻原に真相を語らせよう」などと豪語してみせたのは、今年6月のこと。
 ですが、彼らのいうところは、判決における事実認定を前提としているものであって、無罪主張をしている麻原に事件の動機や真相など語れるはずもない。愚の骨頂です。

 では、どうして麻原の無罪主張と異なる有罪判決が下ったのか。

 それは、死刑になった弟子たち12人が事件について自分のしたこと、経験したこと、知るところを語り、事件の全容の解明に繋げたからです。
 それは同時に、自身の犯した罪に向き合い、死刑を覚悟することでもあったはずです。
 言い換えれば、死刑を覚悟で事件を語った。
 彼らは麻原の道連れでもなければ、むしろ自らの意思で教祖を追いつめていたったのだ、とぼくは思います。
 自分の命と引き替えに麻原を死刑にした。
 もっとも、彼らの犯した罪も決して許されるものではありませんでしたが、黙っていること、教祖を庇うことも選択肢にあったはずなのに、彼らはそうはしなかった。

 そして、今日。

 なるほど。滝本太郎さんは坂本さんとその家族が姿を消した時から、オウム真理教というものと向き合うことになった。オウム問題をいっしょにやらないか、と誘われていたこともあった。その友人とその家族を救いたいという思いから、教団を知り、教祖を知った。そして、教団を追いつめていった。坂本弁護士が救いたかったものも教祖に騙される人々であった。ならば、12人の弟子たちは麻原の道連れとなった、そう見えるのかも知れない。
 だけど、裁判取材に主眼を置いたぼくからすれば、教祖を含む13人が犯した罪は決して許されるものではなかったけれど、それでも事件と真摯に向き合うことを拒み逃避を続ける教祖に事件の現実を突きつけ、知る限りを語り、そして自らも死刑になっていった彼らは、とても道連れなんてものではない。教団から解放されて事件と向き合った彼らの姿は、教祖と雲泥の差があったと思います。

 繰り返しますが、彼らの罪は決して許されるものではない。
 だけど、教祖に道連れにされたというよりは、教祖を追い込んだ人たちであることも、また事実である、とぼくは確信しています。
 そういう視点も、重要なのではないでしょうか。

 滝本さんの熱い思いと功績に敬意を表しつつ。麻原と出会っていなければ、という悔いが残るにしても、彼らは最後に自分で道を選択した。
 そうして決着した。ようやくひとつのケジメがついたのだ、と。

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間違っていなかった! 7年前に指摘した森達也の思考崩壊と『オウム事件真相究明の会』に賛同した似非知識人のお馬鹿ぶりの深刻

 東日本大震災のあった年、いまから7年前のこの日、ぼくは東京高等裁判所と地方裁判所が入る合同庁舎の司法記者クラブで記者会見に臨んでいました。
 隣には、弁護士の滝本太郎さんがいました。
 いつもだったら、会見を取材する側なのですが、会見をして取材を受けるという、立場が逆になっていました。
 その前日、9月1日付けで、ぼくと滝本太郎さん、それに宗教に詳しいフォトジャーナリストの藤田庄市さんの3人が連名で、講談社に抗議書を送っていました。
 森達也という人の著作『A3』に講談社ノンフィクション賞が授与されたことについて抗議したのです。
 賞に値するどころか、一連のオウム事件や麻原彰晃こと松本智津夫の公判について、嘘や歪曲を織り交ぜた、とてもノンフィクションとは言い難いものだったからです。
 そのことを会見で表明したのです。
 朝日新聞と産経新聞が記事にしていました。

 その抗議書は、このブログの立ち上げのきっかけともなったもので、最初の記事に掲載してあります。
 一読してみてください。ぼくたちの主張がよくわかるはずです。

http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

 そして、いまになってみると、あの時のぼくたちの行動は間違いではなかったのだ、と思います。決して、間違ってはいなかった。胸を張って言えます。

 惜しむらくは、その声が響かなかったこと。

 森達也は自著『A3』の中で「弟子の暴走」論をはっきりと支持しています。2年半にわたる雑誌連載を経て「ほぼ確信に変わっている」とまで語っています。
 それがいまでは、麻原彰晃こと松本智津夫が地下鉄サリン事件を指示した「動機がわからない」などと公言して、「オウム事件真相究明の会」などというものを立ち上げ、本来の刑事裁判記録にある事実認定すら押し隠した虚実を世間に撒き散らして混乱させています。
 森達也の言動のおかしさ怪しさを指摘したことが、いつの間にか森達也に共鳴する、これまたおかしな連中によって肥大化したのが「オウム事件真相究明の会」だったように思います。

 ぼくたちがずっと言い続けていることが、ここへ来て表面化したということなのでしょう。

 森達也の『A3』を読んで共感した、などと語るNHKに居場所をなくした(というより、NHKにすら偏向ぶりを指摘された)堀潤などは、もはや「最終解脱者の麻原彰晃尊師は空中浮揚ができる!」と信じているようなオウム信者といっしょです。

 いまさらながらに、森達也らの行動を批判する女性ジャーナリストのお粗末ふりにも困ったものです。

 7年前から問題点を指摘してきたのです。

 もう一度、原点に立ち帰ってもいいように思います。
 ぼくたちは、ぶれていません。間違っては、いません。

麻原彰晃こと松本智津夫に死刑が執行されて1ヶ月。森達也とその仲間たちは「サロンの馬鹿」であるとしか思えない

 麻原彰晃こと松本智津夫に、6人の弟子たちといっしょに死刑が執行されてから、ちょうど1ヶ月が経ちました。

 いったい、オウム事件の真相を究明する!と大口を叩いていた人たちは、どうしてしまったのでしょうか!?
 有り体に言ってしまえば、森達也とその仲間たちです。
『オウム事件真相究明の会』を立ち上げ、記者会見を開いたのは6月4日のこと。
 同会立ち上げの主旨として「再発防止」を仰々しく掲げておきながら、そのわずか1ヶ月後に麻原彰晃がいなくなってしまったら、それっきり。

 いなくなったら、もう終わり。真相もわからない。再発防止なんてできない。沈黙することで、そう語っているようなものです。

 結局のところ、この会に名前を連ねた「呼びかけ人」「賛同人」は、オウム事件のいったい、どこのなにがわからないのか、それすら自分でわからないままに、名を揚げようと試みて、こんな惨めなことになっている。取材もできなければ、資料も読み込めない。
 ぼくが学生時代に単位を取得した講義『精神医学』の教科書に載っていた「サロンの馬鹿」という言葉を思い出しました。

http://www.aum-shinsokyumei.com/
http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/06/29/post-681/

 まさにここに名前を連ねている、森達也とその仲間たちは「サロンの馬鹿」の典型に思えてなりません。

 そもそも、森達也はやたらに自慢する(それこそ厚顔無恥だと思うのですが)自著『A3』の中で、麻原の一審弁護団の主張した「弟子の暴走」論を支持すると明記している。
 1審弁護団の主張する「弟子の暴走」論とは、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム事件は弟子たちが勝手にやったこと、麻原は指示していない、という無罪主張であって、これは1997年4月24日の第34回公判で麻原彰晃こと松本智津夫が意見陳述で述べた内容に合致するものです。
 弟子たちが勝手にやっちゃったことなのなら、教祖に事件の動機など語れるはずもない。

 7月26日には、残る6人の弟子たちに死刑が執行され、オウム死刑囚全員がいなくなってしまいました。
 その夜、森達也は死刑反対の集会に出席していたそうです。そこには、麻原一審弁護団の主任弁護人だった安田好弘弁護士もいっしょでした。死刑反対を社論とする一部の新聞が伝えています。
 そこでは、ふたりとも登壇して「死刑反対」について意見を述べたとされます。
 なんと! まあ! 呆れるというか、言葉がないというか……。
 まったくやっていることが頓珍漢です。
 「弟子の暴走」論を主張し、支持するのであれば、まずは「無罪」の麻原に死刑が執行されたことに、ふたりは抗議すべきはずです。
 それがいきなり「死刑」の存在に主眼がいっちゃっている。
 罪を認め、謝罪し、その上で死刑回避を主張していた他のオウム死刑囚の弁護人たちが、この場で「死刑反対」を叫ぶのとはまったく事情が異なります。
 しかも、森達也が麻原に訴訟能力がなかった、と主張するのであれば、まずは臨席した安田弁護士を責めるべきです。
 まして、拘置中の麻原は精神を病んでいた、治療して本当のことを語らせるべきだ、とするのであれば、そんな精神状態の死刑囚に死刑を執行したことを、断固として抗議すべきはずです。
 ところが、森達也とその仲間たちは、そんなことすらしていない。
 黙っている。
 現実から目を背けている。

 言っておきますが、拘置中の麻原の精神状態については、訴訟手続きにおける東京高等裁判所、最高裁判所の決定文の中にもちゃんと触れられていて、森達也らが主張する精神鑑定の不備もはっきり指摘されているところです。

「真相究明」「再発防止」が聞いて呆れます。
「オウム事件真相究明の会」に名を連ねた連中は、いったい自分がどういう立場だと認識しているのか定かではありませんが、つまりは売名行為に麻原とオウム事件を利用しただけ。
 信念もない。
 しかも、同会の主張には、圧倒的に嘘が多い。
 だから、こんな惨めで、みっともないことになっている。

 まだ、安田好弘弁護士は一貫して「死刑反対」の主張と信念は持ち続けている。
 だが、そのために麻原彰晃を利用した。
 麻原に限らず、例えば、ぼくが傍聴取材した光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で主任弁護人を務めた時もそうであったように、死刑相当事件を自分の運動のために利用する。

「サロンの馬鹿」
 その言葉が森達也とその仲間たちにはよく似合う。
 この1ヶ月が過ぎて、そう思えてならない。

 少なくともぼくは、後世に、そして広く真相を知ってもらうために、やるべきことはあると確信しています。
 だから、できることをやる。そういうことです。

「青ちゃん企画」より
『麻原法廷物語』
https://www.youtube.com/watch?v=CpEOf-afP8E

麻原彰晃の三女アーチャリーが嬉々として早稲田大学講演会を喧伝するのは、主催サークルOB名簿にぼくの名前があることを知ってのことなのか!?

 麻原彰晃こと松本智津夫の三女、アーチャリーこと松本麗華という人(敬称は省略します)が、7月4日に早稲田大学で講演を行うそうです。
 主催は同大学の「人物研究会」というサークルです。

http://blog.asahara-kousoshin.info/?eid=246
https://twitter.com/jinken_2017
https://jinken-official.jimdo.com/

 ぼくは早稲田大学を卒業しています。
 そして、同大学在学中にこのサークルに所属していました。
 毎年秋には、このサークルのOB会の開催を知らせる往復葉書が届き、出欠を返信していました。
 残念ながら、OB会には出席できていませんが、それでもOBの名簿にはぼくの名前の記載があるはずです。

 ですから、早稲田大学「人物研究会」が主催して、同キャンパス内で松本麗華の講演会を開催すると知って、とても困惑しています。

 調べればかることですし、つい最近、催されたトークイベントでも語ったことですので、ここで事実関係を明確にしておきます。

 ぼくは、アーチャリーこと松本麗華から民事訴訟を起こされています。
 『サンデー毎日』2018年1月28日号に掲載された、麻原彰晃こと松本智津夫の四女、松本麗華からすれば妹のインタビュー記事が、名誉棄損にあたるとして、原稿執筆者として署名のあるぼくと取材対象者の四女を、今年4月に東京地方裁判所に提訴しました。
 それも出版元である『サンデー毎日』編集部と「毎日新聞出版」、その親会社である「毎日新聞社」を被告にすることを避けて、訴えてはいません。
 直接、ぼくと四女だけを訴えてきました。
 しかも、提訴前に内容証明の送付等による手続きもなければ、名誉棄損にあたるという箇所の訂正も謝罪も求めず、いきなり慰謝料のみ400万円を請求する訴訟を東京地方裁判所に起こしたのです。

 そして、これと同じ時期に松本麗華は、やはり四女のインタビューを放送したフジテレビとインタビュアーの安藤優子、それと四女を訴えています。
 フジテレビの放送は、3年前の2015年3月のものでした。それをいまになって訴えています。
 そればかりでなく、四女の相談を受け続けてきている滝本太郎弁護士のブログの記載内容を巡って、やはり同じ時期に提訴しています。

 昨年12月、一審で敗訴した麻原彰晃こと松本智津夫の長男がテレビ東京を相手取った裁判では、今回の松本麗華の訴訟代理人弁護士が長男の代理人を務めています。
 この裁判では、訴訟記録の取り寄せを求め、これに応じた裁判所を原告がまた訴えるということもしています。
 昨年10月には、麻原彰晃こと松本智津夫の四女が、父と母の推定相続人からの排除を求め、横浜家庭裁判所がこれを認める決定をしました。
 この決定についても三女の松本麗華は、横浜家庭裁判所を相手に裁判を起こしています。

 よく、それだけの訴訟が起こせる資金をもっているものだと、考えさせられるほど、とにかく彼女とその代理人弁護士は、訴訟を数多く起こしている。

 訴訟を起こされたことについては、ぼくが間違っていたのかどうか、いずれ裁判所が判断することですから、結果を待てばいいのですが、ただ、こうした訴訟手続きや状況をなんと呼べばいいのでしょうか。

 「SLAPP(スラップ)」「濫訴」など、人によっていろいろな呼び方をするのではないでしょうか。実際にぼくの周りではそう言及している人もいます。調べてみてください。

 因みに、訴訟をやたらに起こすことは、いわゆるカルト教団の特徴で、麻原彰晃こと松本智津夫を教祖とするオウム真理教も、かつては訴訟を乱発していました。
 松本サリン事件も同教団松本支部を巡る民事訴訟に絡んで、裁判官官舎を狙って引き起こされたものでした。

 麻原彰晃こと松本智津夫の三女、アーチャリーこと松本麗華は、自著を刊行しています。人物研究会の宣伝広報紙にも引用されている『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)というタイトルの本です。
 この中で、地下鉄・松本両サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など、父親である麻原彰晃が指示、あるいは首謀者として引き起こされたことが刑事裁判で認定された、いわゆる一連のオウム事件について、彼女は態度を明らかにせず「保留」としています。
 それどころか、父親の麻原彰晃こと松本智津夫には、精神の病を患い訴訟能力がなかったと主張し、治療して真実を語らせるべきだ、としています。その真相を聞くまでは、事件についても言及できない、と。

 ですが、東京高等裁判所が実施した鑑定結果では、訴訟能力が認められています。この他の高等裁判所の各決定、最高裁判所の決定も、この鑑定と訴訟能力を認めています。
 また、麻原彰晃こと松本智津夫が一審裁判で語った事件に関すること、すなわち意見表明をした「罪状認否」についても、これらの決定の中に詳細に記録されているところです。
 麻原彰晃こと松本智津夫は、裁判で何も語らなかったのではなく、彼の事件に対する見解はきちんと述べています。
 裁判記録や『判例タイムス』を調べれば、詳細にかることです。

 すなわち、松本麗華の主張することは、東京地裁判決から高裁各決定、最高裁の決定まで、司法手続きによって認定されたことに反することであり、事実を無視していることになります。
 こうした現実を受け入れることなく、事件を総括できないでいる。

 麻原彰晃こと松本智津夫の控訴審は、明らかに控訴審弁護人がその手続きにおいて主張を強くし過ぎるあまり、訴訟戦略を失敗したこと、すなわち過誤を犯したことによって、公判が開かれることもなく、控訴棄却となって打ち切られています。
 弁護士会もこの弁護人の過誤を問題として処分しています。
 それも経緯と結果を調べればわかることです。
 しかも、この処分を受けた麻原彰晃こと松本智津夫の二審弁護人が、いまも松本麗華や長男の訴訟代理人を務めて、上述のような提訴を起こしています。

 麻原彰晃こと松本智津夫の裁判の様子をもっと詳細に知りたいのなら、例えば、ぼくが傍聴取材を続けてまとめた『オウム裁判傍笑記』を読んでみてください。もちろん、ぼくの著作でなくても構わない。ずっと裁判を現場で傍聴取材してきた朝日新聞の元編集委員だった降幡賢一さんの『オウム法廷』(全13巻・朝日文庫)は、一級の資料価値があります。麻原彰晃こと松本智津夫が精神を患っていたのか、なかったのか、どんなことを語ってきたのか、よくわかるはずです。

 今年5月に、松本麗華の自著は文庫化されました。
 ここには新たに魚住昭との対談が収録されています。
 魚住昭という人は、これまでに麻原彰晃こと松本智津夫を擁護する主張をしていて、雑誌のコラムにかつて掲載された原稿を自身のウェブサイトに転載しています。

http://uonome.jp/read/1362


 こうした事実を知って、現在の早稲田大学人物研究会の学生たちは、麻原彰晃こと松本智津夫の三女であるアーチャリーこと松本麗華の公演会を主催するのでしょうか。

 早稲田大学人物研究会というところは、著名人に直接会いに行くことを、一番の目的にしていました。
 当事者本人に直接会う。そして、話を聞く。
 それは、とても大切なことです。素晴らしいことだと思います。

 ですが、その対象となる人物のバックグラウンドまで、しっかりと把握できているのかどうか。
 まして、講演を主催するとなると、それは受講者へも影響を与えることになります。
 その責任もとれるのかどうか。

 わかってやっているのであれば、父親が指示、首謀したとされる事件に対して、松本麗華がどういう見解をもっているのか、それを明らかにさせる必要がある。
 そうでなければ、おそらくテーマとして取り上げたいのであろう大学の就学問題についても、正確性を欠くもので終わってしまう。

「※本企画はオウム真理教や関係する団体・人物を擁護・批判・意見表明することを目的にしたものではありません」
 松本麗華の講演会の宣伝にはそうありますが、果たしてそうでしょうか。
 生まれてくる子どもに責任はない。
 麻原彰晃の子どもとして生まれてきた不幸はあったのかも知れない。
 しかしながら、無差別テロ事件を引き起こした教団組織の教祖の子どもとしての存在と影響はあまりに大きなものがある。
 事実「松本麗華」という名前と「麻原彰晃の子ども」という立場によって、講演が主催される段階で、その影響力を認めると同時に、「麻原彰晃の子ども」の立場を利用する「松本麗華」の思惑にはまってしまっている。
 自著のタイトルで自らを「アーチャリー」とホーリーネームで呼ぶことからして、その影響力の大きさを自負している。事件の背景にあった世界と、決別できていない。

 松本麗華自身が、自身のホームページやSNSを利用して、この講演を嬉々として宣伝しているところからして、もはや違和感を抱く。

 講演をやめろというつもりはありません。それは自由であっていい。そうあるべきです。ぼくが学生だった時も、そういう気風は流れていたように思う。
 ただ、もう一度よく確認してほしい。
 講師の背景事情を正確に知っているのかどうか。
 その上で適切に対応できているのかどうか。
 麻原彰晃こと松本智津夫を擁護するために、都合の悪い事実から目を背けて、あからさまに人を騙すような大人にはなって欲しくない。
 その代表的な人物が森達也という人です。
 人物研究会では2016年に会見を行っていたようですが、森達也の問題点はこのブログでもずっと指摘していることです。

 このことでいまの「人物研究会」の若者たちが、見誤っているもの、見失っているものがあるのだとしたら、こんなに悲しいことはないのです。
 そしてそれは、正確な情報を史実として後世に伝えられていない大人たちの責任でもあるのですから。

『オウム事件真相究明の会』の賛同人が手がける相模原障害者施設殺傷事件の被告の手記の出版には反対です!

 一昨年の7月、相模原市の知的障害者施設で、入所者の19人が殺害、27人が重軽傷を負った事件。
 殺人罪などで起訴された植松聖被告の手記が出版されることになったそうです。
 出版するのは、『創』という雑誌の篠田博之編集長。「オウム事件真相究明の会」の賛同人に名を連ね、森達也という人の連載を『創』誌面で続けている人物です。
 これに対して、出版の停止を求める反対運動が起きています。

 NHKのニュース番組が伝えています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180621/k10011489941000.html

 反対の声を挙げているのは、大学教授や障害を持つ人の家族の会の人たち。
 今月21日には、『創』出版を訪れて2000名の署名を提出しています。
 NHKの報道によると、彼らの言い分はこうです。

「被告の差別的な思想が本という形で拡散すれば同調する人が増えるおそれがあり危険だ。恐怖を感じる障害のある人や家族のことを考えてほしい」(署名を提出した静岡県立大学短期大学部の佐々木隆志教授)

 それが理由で出版の停止を求めるのだとしたら、ぼくは納得できません。
 なぜ、罪を犯したのか、凶行を決意したのか、その理由を客観的に知ることはとても大切なことだと思いますし、差別的な思想の持ち主だから黙らせておく、ということだとすると、「障害者だから」という理由で事件を引き起こしたこの刑事被告人と同じ立場になってしまう。
「同調する人が増える」というのであれば、その根源となる「差別的な思想」が間違いであるとする、それを上回る思想と理由を提示して、議論で同調を防ぐべきです。それがマスメディアの役割でもあるはずです。

 ですが、今回の手記の出版については、ぼくは反対です。大反対です。
 この手記を出版するのが、『創』の篠田博之編集長だからです。
 彼は偏向報道をします。森達也の連載原稿がそうであるように、事実と異なること、すなわち嘘やデタラメを平然と掲載します。それでいて責任をとりません。

 NHKの報道によると、出版の意義について篠田博之はこう語っています。

「事件を解明し風化を防ぐための議論の材料にしたい」
「被告の主張が手紙などで公開されることで、被害者やその家族がつらい思いをすることがあるかと思いますが、そこに配慮したうえで被告の考えをどう批判して乗り越えていくのか、議論を起こし社会で考える材料となる本にしていきたい」

 とんでもありません。手記を「議論の材料にしたい」などとしていますが、彼は議論などできもしないし、させません。嘘やデタラメを自身が責任編集を務める雑誌に憶面も無く掲載しながら、それでいて反論を一切許さない。封殺する。
 マスメディア、ジャーナリズムとして言語道断のことをしでかしています。

 そのエビデンスを示します。

 いまから3年前のことです。2015年の『創』7月号に、ぼくと弁護士の滝本太郎さんを批判する森達也の連載コラムが掲載されました。
 それも、もはや当たり前のように森達也の嘘やデタラメが記載されていました。その上での批判ですから、酷いものです。
 しかも、原稿巻末には、ご丁寧に、
「気付かなかったなどと言い訳されないように、本誌は滝本・青沼両氏に送ってもらう」
 とまで書き込まれていました。
 実際に滝本太郎さんの事務所には『創』編集部から掲載誌が送られてきたようなのですが、ぼくのところに届いていません。それもそのはずで、『創』編集部は、なぜか『週刊文春』編集部に掲載誌を郵送し、「青沼のところに転送してくれ」とする主旨の文面が添えられていました。転送のための切手も手数料も付いていませんでした。『週刊文春』編集部は宅配会社でも便利屋でもありません。当然、相手にもできないから無視するしかありません。
 篠田博之が編集長を務める『創』とは、まず、そういう非常識なことをやるところです。

 いずれにせよ、相変わらずの虚報と詭弁に満ちた原稿で個人を批判していることから、滝本太郎さんが篠田博之編集長に、反論をしたいと申し出ました。同誌誌上にての公式な反論原稿の掲載を求めたのです。
 ところが、篠田博之はこれを拒否したのです!
 わざわざ「気付かなかったなどと言い訳されないように」と雑誌を送り付けておきながら、反論を認めなかったのです!

 その詳細は、このブログで伝えています。
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-138.html
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-130.html

 滝本太郎さんと反論を拒否する篠田博之編集長の具体的なやりとりは、滝本さんのブログに載っています。
 是非、確かめてみてください。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20151001/archive

 反論拒否は、森達也の承知の上でのことでした。
 言論人としてあり得ないことです。

 どうしても反論掲載を拒むというので、滝本太郎さんはブログにその草稿を掲載しました。
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-160.html
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/2052.html

 そんな篠田博之に46人を死傷させた植松聖被告の手記を書籍化させたところで、その内容が出版の価値に見合うものか、甚だ疑問です。「議論の材料」になるどころか、反論すら許さず、偏向を助長する可能性すら否定できない。
 同著には、被害者の家族の反論も載る予定のようですが、それも言い訳どころか、本書にとって都合のいいことしか掲載しないでしょう。ただ利用されるだけ。出版後の社会的反応を見ずに、あらかじめ仕込まれた反論原稿に、いったいなんの意味があるのでしょうか。
 嘘、偽りを掲載しながら、反論を拒み、議論など無視する篠田博之のまとめる書籍など、まったく信用に値しません。
 植松聖被告の手記を取り上げるのなら、もっと信用のおける客観性の保てる第三者の手に委ねるべきです。
 ですから、ぼくはこの手記の出版には反対です。

 結局のところ、篠田博之が賛同人となり、森達也が呼び掛け人になっている「オウム事件真相究明の会」にしても、この人たちがまず主眼に置くところは、世間に騒ぎを起こすこと、混乱させることにある。そうとしか思えません。
 議論もなければ、事件の風化の阻止なんて理由もあり得ない。
 なぜなら、「オウム事件真相究明の会」だって嘘が前提に成立しているのですから。
「障害者は不幸をつくることしかできない」から46人を死傷させた刑事被告人の手記であれ、「オウム事件真相究明の会」であれ、とにかく世の中が混乱すればそれでいい。虚報であっても構わない。それでほくそ笑む。責任はとらない。
 こんな人たちを許しておくべきではありません。

プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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