鳥なき里の蝙蝠

「生の魚は食べられません。でも焼いた魚は好きです」
 そういう人もいるでしょう。
 鮨は世界に知られるところとなりましたが、それでも生魚を拒む人は世界的に見ても多いはずです。
 では、この言葉を省略してしまったらどうでしょう。
 例えば、テープに録音したこの言葉の下線部分をカットして繋いでしまいます。

「生の魚は食べられません。でも焼いた魚は好きです」

「生の魚は               好きです」

「生の魚は、好きです」


 発言者の真意が誤って伝わるどころか、まったく違った意思表示になってしまいますね。
 しばらく前のことになりますが、TBSテレビの番組が石原慎太郎東京都知事の発言の末尾を変えて放送して、大問題になったこともあります。
 マスメディアに携わる者が、絶対にやってはならない行為です。

 ところが森達也という人は、これをやっています。

 平成23年度第33回講談社ノンフィクション賞を受賞した森達也著『A3』。全531ページの中の19ページ目では、初公判からちょうど1年にあたる1997年4月24日の麻原被告の意見陳述の場面に触れています。
 それまで麻原被告は初公判以来ずっと罪状認否を「留保」とし、検察側の立証が進むに連れて急に態度を変えた被告人が不規則発言を連発しながら「意見陳述をやらせて欲しい」と訴え、被告人の懇願に弁護人も応じようとはせずに、ずるずると1年が過ぎて、ようやく与えられた意見陳述の機会だったのです。
 それだけに、当時はマスコミをはじめ、日本中が麻原被告の言動に注目していました。
 ぼくも、初公判以来ずっと傍聴取材を続けていて、その日も傍聴席で麻原被告の意見陳述を取材していました。その時の模様は拙著『オウム裁判傍笑記』にも詳述しています。
 そこで麻原被告は、起訴されていた17事件すべてについて、事件の認識や教団の関与、自身の具体的な対応についてまで、細かく認否を行ったのです。
 麻原裁判を検証する上ではとても重要な局面でした。
 ただ、この陳述が英語混じりであったことで、人々の意表を突きました。
 ぼくは、こうした予想を超えた言動(芸当)で人々の目を惹きつける  と同時に、そうして少なからず弟子たちを魅了していったであろう麻原被告の術を「最終解脱者」ならぬ「最終芸達者」と呼んだのです。
 しかも、17事件の認否が終わったあとには、裁判長や弁護人との掛け合いがはじまり、「自分はエンタープライズの上にいる」「日本はもう滅びてない」旨の発言まで飛び出したのでした。
 ところが、『A3』の作中では、17事件中のたった1件、地下鉄サリン事件の認否の一部だけを引用して、あとは認否が終わったあとの「エンタープライズの上にいる」の箇所だけを積極的に引用しているに留まります。
 当時を取材もしていない著者の意図としては、「ネット上で見つけた」という出所不明の弁護人と麻原被告との掛け合いを引用することで、ことさら被告人の精神異常を積極的に強調したかったのでしょう。
 その上で、この意見陳述の場面を現場でしっかり取材していた人たちの著作から、この評価の部分を取り出して痛烈に批判して見せるのです。

 例えば、『A3』24ページに、この「エンタープライズ」云々のやりとりを記載したあとに続けて、

【『オウム法廷〜』のあとがきで著書である降幡賢一は、
「もう一度その内容を読んでみると、それは『意味不明』と読み捨てるべきものでは決してなく、むしろ、被告がこの裁判や、問われている犯罪事実に対してどのような姿勢をとっているか、この社会をどのように理解してきたか、そして実際に教団でどのように振る舞ってきたか、などの点について、非常に示唆に富んだものだったことが、あらためてよく分かるように思えるのである」
 と記したうえで、
「被告の関心は、事件の被害者や、犯罪に巻き込んでしまった弟子たちのことより、まず、自分の無罪釈放だけに集中していたのだ。(中略)このように人々の発想を大きく超えた意表を突く発言をして、自分を誇大に見せるのが、教団の中にあっての松本被告のやり方だったのだろう。教団に引き寄せられた弟子たちは、『教祖』のそうしたやり方に、何か自分たちでは計り知ることが出来ないような、深遠な意味がある、と錯覚して、その前にひれ伏しているのだ」
 と断じている。
 示唆に富んでいるとは僕も思う。「尊師は意表を突く」というフレーズは、確かにこれまで、複数の信者から何度も聞いている。でも「意表をつくことで自分を誇大に見せるという手法を法廷でも使おうとした」との論理展開について率直に書けば、「本気ですか」と言いたくなる。麻原にではない。著者である降幡にだ。
 この意味不明の陳述や弁護人とのやりとりを「自分を誇大に見せる」ためと普通は解釈するだろうか。法廷を煙に巻くつもりなのだと仮定しても、その領域をあまりに逸脱している。】

 と記しています。

 ですが、朝日新聞の編集委員でずっとオウム裁判を取材してこられた降幡賢一氏がここで論じているのは「エンタープラズ」云々のくだりではなく、17事件に関して述べた麻原被告の陳述の内容についてなのです。
 森氏は勝手に論評の対象をはき違えて、これを攻撃しているのです。
 まして、「この意味不明の陳述」と森氏は書きますが、17事件の陳述内容については、本著でまったく触れていません。
 詳しくお知りになりたければ、「抗議書」の「別紙3」を参照してみてください。
 ぼくの『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)でも詳しく書いています。
 刑事事件を論評する上では、被告人の認否はとても重要で、避けては通れないものです。裁判の根幹を成すものです。
 まして、一連のオウム事件の首謀者とされる教祖の事件に対する見解なのですから、これこそが事件、裁判の検証に外すことはできないはずです。
 そこに触れないどころか、他者の論評をねじ曲げて攻撃している。
 そうまでして、「弟子の暴走」論、麻原無罪論を主張して、教団を擁護する意図はどこにあるのでしょうか。

 ここでは、ぼくも批判の対象になっています。

【降幡だけではない。『オウム裁判傍笑記』(新潮社)の著者である青沼陽一郎はこの陳述を総括して、
「架空の裁判を作り上げ、その結果がそうなっていることだから、と言い訳しながら無罪を主張している。実に稚拙な間接的言い回しで、同時に責任を転嫁した弟子たちからの批判もかわそうとしているずるさも感じられる」
 と記している。確かに弁明や責任転嫁のニュアンスは発言のそこかしこに滲む。でも稚拙やずるさなどの語彙だけで切り捨てられるレベルだろうか。その領域を明らかに逸脱している。】
(『A3』26ページ)

 ……って、ぼくが書いているのは、この裁判で最も重要な17事件の認否の内容についてです。(『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)192ページ)
 こういう書き方では、まるで降幡氏やぼくが「エンタープラズの上にいる」と麻原被告が発言したことについてのみ、論評しているように読み手に誤解を与えます。
 それで批評に曝されるのです。

 つまり、森氏の手法というのは、

(A)という事象 → (A)についての論評 = A”
(B)という事象 → (B)についての論評 = B”

 があるすると、

(A)という事象 + (B)についての論評 = 飛んでもない奴だ!

 と、でっち上げの攻撃をしているのです。
 そうやって相手を追い落とすばかりが、虚偽の事実を作り上げて、信じ込ませるのです。それも言葉巧みに。
 この場合だと、

「エンタープライズ」発言 + 17事件の認否についての論評 = 的外れな奴らだ!

 と言うことになります。

 そうやって、他者を陥れて、自分の見方が正しいと主張していきます。
 自分だけがこの世界を知って、賛美に値するのだ、と。

 つまり「鳥なき里の蝙蝠」になってみせるのです。
 現場をみて知っている鳥を追い落として、蝙蝠が鳥のふりをしてみせる。
 読み手は鳥をみたことがないから、蝙蝠の言うままを信じて、これが鳥なのだ、と信じてしまう。
 飛べるから鳥だ、と思い込んでしまうように、文字が書けるから真実だ、と信じてしまう。

 『A3』全体がそんな構図であることは、推して知るべしでしょう。
 麻原被告の17事件の罪状認否の内容(「抗議書」別紙3)はおろか、「弟子の暴走」論を検証する上で欠くことのできない判決(「抗議書」別紙1及び2)にすら触れていないのですから。
 そればかりか、森氏は過去の著作の中でも、取材対象者の証言を巡ってトラブルを起こしています。

 周りの鳥からすれば、蝙蝠を呆れてみていたのですが、それを講談社という組織が「素晴らしい鳥だ!」と持ち上げてしまった。
 選考委員も鳥を知らなかったのでしょう。
 そもそも鳥と蝙蝠の区別もつかない人たちが選考委員をやることからしておかしい。
 これでは蝙蝠が鳥となって、後世に伝えられていく。
 こんな異常事態はないのです。

「是を是とし、非を非とする、之を知と謂い、
 是を非とし、非を是とする、之を愚と謂う。」荀子

 愚の集団。
 所詮、彼らも蝙蝠を見て「鳥だ!」と叫ぶような仕事しかしてこなったのでしょう。
 そうでなければ、呆けています。
 とても尊敬には値しませんね。


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卑劣な嘘

 最初に結論ありきの「嘘」。「ヤラせ」。
 嘘をばれないようにするための情報隠し。検証精査の無視。
 そこに加えて、他者を貶める卑劣な嘘が『A3』には存在します。

 自分の無知を覆い隠して、それを他者に転嫁するとても卑劣なケースです。
 その槍玉にされているのが、ぼくなのです。

 同著の67ページの段間明け5行目から、69ページの章末にかけての部分。
 かつて、ぼくが『諸君!』(文藝春秋)2005年3月号に寄稿した論評を取り上げて批判しています。

『A3』より 67〜69ページ  ※画像は全てクリックすると拡大ます!
『A3』P67
『A3』P68-69


 この中で著者の森達也さんは、

「刑法における責任能力と刑事訴訟法における訴訟能力とを、どうやら青沼は混同している」(68ページ 7〜8行目)

 と、断言しています。

 ですが、このような事実はありません。

『諸君!』2005年3月号より
『諸君!』①
『諸君!』②
『諸君!』③
『諸君!』④


 一読すれば明らかであるように、ぼくは文中において刑事責任能力と訴訟能力とは分けて論評しています。
 森達也さんは、7年10ヶ月公判期日257回を数える麻原公判のたった1度、それも最後の判決公判を見ただけで被告人の麻原を「壊れている」と断言し、その上で以下のように公言する森さんの文章を、出典を明らかにして引用しているのです。
【同じ動作の反復は、統合失調症など精神的な障害が重度に重なったときに現れる症状の一つだ。麻原の一連の表情や動作に、周囲との同調や連関は全くない。つまり彼は、自分だけの世界に閉じている。俗な表現を使えば、「壊れている」ことは明らかだった】
【もちろん、彼のこの症状を統合失調症と断定はできない。でも詐病の可能性を口にするならば、精神鑑定を実施すればよい。少なくとも彼の表層的な言動は正常ではない。仮に演技ならば、それを見破ればよい。当たり前の話だ。ところがまるで暗黙のタブーのように、誰もこれを言い出さない。逮捕されてから現在まで、彼は一度も精神鑑定を受けていない。通常なら逮捕直後に実施されたはずだ。ところがなぜか為されなかった。誰も口にしなかった。鑑定が万能とは僕も思わない。でもやらないよりはましだ】
 これらは『A3』を執筆するずっと以前、麻原死刑判決直後に記されたもの(森達也著『世界が完全に思考停止する前に』より)です。
 この表記中における、精神鑑定とはいったいいつの時点の何を目的としてなされるものか混沌とするばかりなのですが、「通常なら逮捕直後に実施されたはずだ」ということからして、森さんは刑事責任能力を問う精神鑑定について言及しているものと読み取れます。
 これを前提として、『A3』中でも引用されているように、『諸君!』において、
「刑事裁判における精神鑑定とは、責任能力を争点として、犯行時の精神状況を鑑定するものをいう。あくまで、犯行時の精神状況もしくは心理状態が問題なのだ。
 ところが、彼によると、判決時に法廷で見た被告人の様子が「壊れている」から、精神鑑定を施すべきとする。その時点で、まず事実誤認があり、彼の論旨は壊れている」
 と論評しているのです。
 そもそも、刑事責任能力と訴訟能力の違いが明確でなく混同しているのは森さんのほうであり、これを整理、論述したのが『諸君!』なのです。

 そもそも、森さんは『A3』において、
「麻原には犯行時における責任能力がなかった可能性があるなど、僕はまったく思ってもいないし書いてもいない」(69ページ 1〜2行)
「少なくとも逮捕直後の彼は訴訟の当事者としては問題ない精神状態を保っていたと思う」(242ページ 15行)
 としていますが、そうだとすると上述のようように「通常なら逮捕直後に実施されたはずだ」とする精神鑑定の根拠がまったく見えないものとなってしまいます。

 どうしてこの文章が『A3』における見解になるのか。
 裁判員制度が開始されて2年以上が経ちますが、およそ裁判員になれる教育水準(義務教育を終了した人と同等以上の学識を有する)ならば、こんな過ちは犯さないでしょう。
 だけど、見てのとおり『諸君!』のぼくの原稿は5ページ半を占めているのに、「4頁にわたって」なんて数えてしまったり、引用文の書き取りも正確でないところをみると、その基礎能力にも疑問を持ってしまいます。

 「抗議書」にもあるように、きっと『諸君!』の指摘を受けてはじめて自分の無知に気付いたのでしょう。
「森氏は、自らが傍聴したのは逮捕から9年近く経った2004年2月27日の判決公判にのみであり、たったそれだけの状況から鑑定が主張できるのは刑事責任能力ではなく、言うべきは訴訟能力だけだとようやく刑事司法の基本に気付いたことから、自身の過ちには口を拭ってしまい、青沼氏こそ両者の能力について混同していると批判しているのである」(「抗議書」より)

 もともと、精神鑑定における無知、無勉強をひけらかしたのは森達也さんのほうなのです。
 意見を公言する言論人としてはとても恥ずかしいことですが、一個人としてみるなら、無知であることは決しては恥ずかしいことではありません。無知を指摘されて、学習すればいいのですから。
 ところが森氏の場合は、自らの無知を覆い隠して、他者に転嫁してこれを攻撃しているのです。
 とても卑劣です。
 それどころか、「言い返したくなる」と言い訳を付け加えながらも、「おまえの母ちゃんでべそ」などと、発言の当時者でなくその家族を意図的に誹謗する暴言を書き込むなんて、幼稚で、常軌を逸しています。
(ぼくは発言の内容とその当時者についてしか評論を加えていません。)
 言論への反論は、発言者の責任において記述の引用、客観的事実の開示を的確に行うべきです。そして読み手に第三者的な判断を求めるべきです。
 全文掲載ができない、あるいは読者に読み比べの機会のないことをいいことに、ここでも読み手に事情が伝わらないように必要な情報を意図的に隠匿して、恣意的に持論を押しつけ、自らの主張を光り輝くように見せかけています。
 やっぱり卑劣です。

 こうした手法は、司馬遼太郎氏の論評についても用いられています。
 これは「抗議書」でも指摘していることですが、
 『A3』では、司馬遼太郎氏の「週刊文春」1995年8月17日・24日合併号における対談で、
「僕は、オウムを宗教集団として見るよりも、まず犯罪集団として見なければいけないと思っています。とにかく史上希なる人殺し集団である」
 と、発言したことを引用した上で、
「『人を殺すならばそれは宗教でない』とのレトリックはあまりに浅い」(「A3」124〜125ページ)
 と、断言しています。
 ですが、司馬氏はこの雑誌の対談の中で、オウムは人を殺すから宗教集団でない、などとは一切発言してはいません。

「週刊文春」1995夏・合併号


「森氏は、人の発言を歪曲してもしくは言ってもいないことをでっち上げて読者を欺いているという外はない。この司馬氏との対談の相手は、選者のひとりでもある立花隆氏であった。立花氏がこの点をどう考えたか判然としないが、甚だ遺憾である」(「抗議書」より)

 驚くべきは、この問題が講談社ノンフィクション賞の選考会でも俎上にあがっていることです。
 9月5日発行の「g2」vol.8に掲載されている選考会の模様で明らかになっています。
 選考委員のひとり野村進氏がこう発言しています。

野村 『死刑』(朝日出版社)でもそうでしたが、ご自身の思いこみを読者に押しつけるような森さんの書き方に、どうも私は抵抗感があります。ほかの著者を批判するときに、自分の都合のいいところだけを引用し、自己流に解釈を加えて批判するやり方も賛成できません。例えば、『A3』には司馬遼太郎さんを批判している箇所があります。
重松 司馬さんが立花さんと対談したときの発言ですね。
野村 そうです。《僕は、オウムを宗教集団として見るよりも、まず犯罪集団として見なければいけない》《とにかく史上希なる人殺し集団である》という司馬さんの発言を引用し、森さんは《『人を殺すならばそれは宗教でない』とのレトリックはあまりに浅い》と言います。でも、そんなことは司馬さんだって言われなくともわかっているでしょう(笑)。

「g2」vol.8より
「g2」180-181
「g2」182-183


 そこまで指摘しておきながら、どうしてこの人たちは、こんな著作に賞を与えてしまうのでしょうか。

 こういう手法が素晴らしい、ノンフィクションにはこういう卑劣な嘘があってもいい、賞に値する、そう認めてしまうのですから、
 この人たちもどうかしています。

 結果的に、そうやってこの歴史に残る巨大事件の全体像、裁判の実態まで歪曲させてしまっているのですから、罪は重いと言わざるを得ません。

文字の世界における「ヤラせ」

 懇切丁寧に説明しようとしたところで、だいぶ長い「抗議書」となってしまいました。
 抗議ということもあり、言葉も口語調とは違って、慣れないと少し読みづらいところもあったかも知れませんね。
  そこで、すこし解説を加えたり、具体的な証拠を提示しながら、ぼくの(ぼくらの)主張したかったことをかみ砕いてみます。

 『A3』という著作が、オウム真理教事件を題材としたものであることは、「抗議書」の冒頭で理解できることでしょう。
 そこで著者がどんなことを主張しようと、それは自由です。
 「事件は弟子の暴走によって引き起こされたのだ」「麻原章晃は首謀者ではない」「無罪だ!」そう主張したって、自由です。
  ばくらは、そういって声を挙げることにまでクレームをつけたり阻害しようとは思いません。
 主義主張、表現の自由は尊ばれるべきです。
 だけど、そこに嘘や偽りがあってはいけません。
 ノンフィクションを標榜し、これが真実であるというのですからなおさらです。
 まして、世界中を震撼させた地下鉄サリン事件や、就寝中の家族を襲った坂本弁護士一家殺害事件など、沢山の人の命を奪い、傷つけ、そして8年もの歳月をかけた刑事裁判を振り返るのですから、より慎重に検証する必要があるはずです。
  そこから導かれる大胆な結末はノンフィクションの醍醐味でもあるはずです。
 言論人としてもこれほどの喜びはないでしょう。

 だけど、この『A3』には、あまりに嘘が多すぎます。
 事実誤認や勘違いなんていったレベルのものではありません。

 そのひとつの典型が本著の冒頭に出てくるくだりです。
 本著の構成は、まず扉を開けて目次があって、読み手を本の世界に誘う「プロローグ」と題する導入から本文がはじまります。それがページ数でいえば、6ページから。
 ところが、8ページにはもうこんな記載が出てくるのです。
 地下鉄サリン事件の犯行動機について、

「そもそもが『自己が絶対者として君臨する専制国家を建設するため』と『警察による強制捜査の目をくらますため』なる理由が共存することからして、論理として破綻している。もしも麻原を被告とする法廷が普通に機能さえしていれば、この程度の矛盾や破綻は整理されていたはずだ」

 そうそう……
 どうも字面だけ書いていても、どうもしっくりこないものらしいので、客観的証拠を掲げます。
 百聞は一見にしかず、そういってしまえばモノ書きの立場としては忸怩たるものも残るのですが、それもこうしたツールを利用する利点でしょう。
 実際の『A3』の紙面です。

『A3』P8


 ですが、麻原章晃こと松本智津夫被告の一審判決にはこうあります。
 地下鉄サリン事件の動機を、

「被告人は,国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き,多数の自動小銃の製造や首都を壊滅するために散布するサリンを大量に生成するサリンプラントの早期完成を企てるなど教団の武装化を推進してきたものであるが,このような被告人が最も恐れるのは,教団の武装化が完成する前に,教団施設に対する強制捜査が行われることであり,(中略)現実味を増した教団施設に対する大規模な強制捜査を阻止することが教団を存続発展させ,被告人の野望を果たす上で最重要かつ緊急の課題であったことは容易に推認される」

 いったいこの文脈のどこに論理の破綻や矛盾があるのでしょうか。

 判決を読みたければ下記のサイトへ。滝本太郎さんも推奨されているサイトです。
 判決文中の「ⅩⅢ 地下鉄サリン事件」の項目の[弁護人の主張に対する当裁判所の判断]の「3」にあります。

 麻原判決全文

 どうして、こんな間違いが起きるのでしょうか。
 判決をしっかり精査すれば、こんな書き方はできないはずです。
 同じページにあるテロの認識に関する記述だって、本論から逸脱しています。

 麻原一審公判回数は250回を超えています。
 本著でも認めているところですが、著者の森達也氏はそのうちの最後のたった1回、判決公判しか傍聴していないのです。
 その印象に残るべくたった1回の公判で、裁判長が法壇の上で読み上げた判決の内容すらしっかり聞き取れていないのです。
 あるいは、意図的に読み手に誤った情報を与え、ミスリードしていく。

 これをテレビの世界では「ヤラせ」と言います。
 事実に忠実な「再現」でもなく、過剰な演出による「行き過ぎ」でもなく、有りもしないことを描き出してしまう「ヤラせ」という偽りの事実。
  視聴者を欺く行為。読者に嘘の情報をもたらす害悪。

 そもそも判決においては、弁護側の主張する「弟子の暴走」論は事件ごとに逐一説明が加えられ、これを否定しているのです。
 ですが、531ページにものぼる「A3」の中で、判決の内容について触れているのは27ページの1カ所のみでごくごく一部を紹介したに留まっているのです。
 黙ること、無視することで、読者への情報を遮断し、自分の思惑通りの方向へさらにミスリードしていく。

 そういえば、講談社ノンフィクション賞の選考委員5人中の2人はBPO/放送倫理・番組向上機構の放送倫理検証委員を兼ねていますね。
  こんな人たちがテレビの「ヤラせ」を見抜く、論じることができるのでしょうか。
 とっても心配になります。

 放送倫理検証委員会/BPO

 もっといえば、この2人のうちのひとりは、あるはずの井戸を「消えた」と公言してしまうし、もうひとりはぼくの取材ネタを平気で盗んでいくし……って、このあたりの裏事情また後日あらためてお話するとして、
 これが意図的なものでないとしたら、筆者の能力をよほど疑ってかからなければなりません。
 テレビの世界では厳しくチェックの目が向けられ通用しなくなった「ヤラせ」の手法を、文字のノンフィクションの世界に持ち込んだ。
 最初から「ヤラせ」を仕込んだ嘘の情報で構築される著作物。
 それで通用するどころか評価されてしまうのですから、筆者にとってはこんなにやりやすいことはないでしょう。
 同時に出版、編集の世界もずいぶんとなめられたものです。

青沼陽一郎です。

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 ぼくはずっとモノ書きはブログをすべきではないと思っていました。
 文字を書くことを職業とする人間が、無償で文字を書いて自己表現するなんて、どこか理に反している。だったら書いたものを誌面に載せる、あるいは出版すればいい、そう思っていました。
 だけど、そうも言っていられない事態が起こりました。
 森達也著『A3』が講談社ノンフィクション賞を授賞することに対して、講談社に抗議を行ったのです。
 ずっとオウム問題に取り組んで来られた弁護士の滝本太郎さん、宗教にお詳しいフォトジャーナリストの藤田庄市さんと連名で、講談社に「抗議書」を送付しました。2011年9月1日のことです。
 それから2週間が過ぎました。
 ですが、講談社からは誠意のある対応どころか、返答すらいただいておりません。
 マスコミ各社の取材に対して「選考は公正を期しており、選考委員から『授賞相当の作品』と評価をいただいている」とコメントするに留まっています。
 それどころか、9月5日の授賞式と同時に同社より刊行されたムック「g2」に掲載された同賞の選考会の模様を知って、愕然としました。
 それはすなわち「主義主張を通すためには、読者に誤った情報を与える、嘘や歪曲もノンフィクションには許される」と断じて、これを推奨しているのに等しい内容でした。
 これで「公正な選考」「賞に値する」とコメントするなんて、ぼくにはとても信じられませんでした。
 しかも、嘘によって主張するところは、いわば「麻原無罪論」。
 そこに賞を与えてまで世間に誤った情報を流布するのですから、意図的にテロを擁護している「テロ支援メディア」と呼ばれても仕方ないでしょう。しかも副賞賞金100万円まで渡して援助している。
 とても重大な局面なのに、それに当時者たちが気付かない。
 異常事態です。
 きっとこのままでは、ぼくらの抗議を無視したまま、そしてモノ書きとしてのぼくは、講談社から干されて終わってしまうことでしょう。
 だけど、それ以前に「ノンフィクションの嘘」を肯定するような場所では、とてもぼくは生きて行けません。
 とてつもない喪失感と絶望感に襲われました。
 数年前から、およそメディアの現場には疑問を抱くようになっていましたが、ここまで土壌が腐っているとは思いませんでした。
 言葉を発しても地獄、黙っていても地獄ならば、徹底的にこの狂った現実を時間をかけて、ブログという形で指摘してみようと思います。

 そこで、まずはぼくらの行った抗議について、ここに「抗議書」を掲示します。
 ここから、日を追いながら細かく問題点を検証していきましょう。



抗  議  書

2011年9月1日
青  沼  陽 一 郎  
滝  本   太  郎  
藤  田   庄  市  
                          (50音順)  

株 式 会 社 講 談 社  御中
代表取締役社長野間省伸  殿


 貴社にあって、「A3」森達也著(集英社インターナショナル刊、2010年11月)に平成23年の講談社ノンフィクション賞を授与するとの報に接し、ここに、次のとおり抗議する。

1 オウム真理教およびその事件の重大性と特質
 いわゆるオウム真理教とその事件は、1995年発覚した戦後日本における最大かつ一連の刑事事件として、果ては化学兵器まで使った無差別大量殺人事件として、また教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚と実行犯ら弟子の関係の異様さから大きな関心を集め、その裁判も様々な分析ともども、日本国中のみならず世界的な関心事となっている。
 それら内容は、過去の事件にとどまらず将来にわたって類似の事件を再来させてはならないという観点から、今後とも関心が持たれ続けるべき事柄である。

2 「弟子の暴走」論に帰着する「A3」
  書籍「A3」は、オウム真理教を内側から描いたという映画「A」「A2」の監督である森氏が、月刊PLAYBOYに連載していた記事をもとに集英社インターナショナルから平成22年11月30日発行された。
  「A3」は、松本死刑囚にかかる刑事裁判を軸として様々な記述をしているところ、地下鉄サリン事件を中心として、ほぼ確信しているものとして「弟子の暴走論」を結論づけている(485ページ)。すなわち
       *******
  連載初期の頃、一審弁護団が唱えた「弟子の暴走」論について、僕は(直観的な)同意を表明した。二年半にわたる連載を終える今、僕のこの直観は、ほぼ確信に変わっている。ただし弟子たちの暴走を促したのは麻原だ。勝手に暴走したわけではない、そして麻原が弟子たちの暴走を促した背景には、弟子たちによって際限なく注入され続けた情報によって駆動した危機意識があった
       *******
というのである。

3 司法の認定や実行犯の供述と真反対の「弟子の暴走」論
 「弟子が暴走」したとすることは、松本死刑囚は刑事法上も無罪であって、「首謀者ではない」という主張に帰結する。森氏にあってどのような文学的な修辞を施そうと、そう把握される。森氏自身も、「A3」の94ページで、「弁護側は、起訴された13の事件すべての背景に『弟子の暴走』が働いているとして、被告の全面無罪を主張した。」と無罪主張に帰結することを認めている。
 しかし、松本死刑囚が被告となっていた一連の事件に関しては、最高裁判所での判決を含めすべて松本死刑囚の指示があると認定し、また松本死刑囚を「首謀者」と認定している。例えば、土谷正実死刑囚に対する最高裁判所2011年2月15日判決では「被告人の本件各犯行が,松本死刑囚らの指示に従って行われたものであること,被告人は,サリンやVXを使用する殺人等の実行行為に直接関わっておらず,また,これらを用いた個々の犯行の具体的計画を知る立場にもなかったこと,被告人には前科もなく,犯罪的性向を有していたわけではないことなど,所論指摘の諸事情を十分考慮しても」として松本死刑囚の指示を認めている。
 さらに、「首謀者」の裏付けとなる「グルと弟子」といった異様な服従の関係は、弟子らについて鑑定をしてきた精神科医・社会心理学者らによっても認定され、また弟子らの判決文にも多く示されている。新実智光死刑囚に対する東京高等裁判所2006年3月15日判決でも「いずれも教祖の指示があって,被告人はこれに従って実行したものである。被告人がどう言おうと,客観的には,他の弟子らと同様に被告人は,松本被告によって,その帰依の心を最大限利用されて,悪質な実行行為をさせられたというべきものである。」としている。 さらに例えば、林泰男死刑囚への2000年6月29日東京地裁判決には「麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することはできない。およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」とある。死刑判決の中にかような文脈があるのは、まさに異例中の異例である。
 松本死刑囚が首謀者であり、その指示に基づく犯罪だと言うことは、傍聴し続けた多くの識者の分析からも指摘されてきたことであり、何よりも実行犯である弟子らが明白に証言してきていることである。松本死刑囚の東京地方裁判所の判決公判を傍聴しただけの森氏にあっては、直接には見聞しなかったことであろうが、様々な記録から極めて容易に分かることである。なお、松本死刑囚の刑事弁護人らが被告人の有利になすべく様々な主張をなすは、職務上当然のことである。
 一連の事件の首謀者が誰であるのかは、司法のみならず、歴史上オウム真理教と事件を正しく把握しようとするとき極めて重要な論点であり、その点に誤りがあっては、事柄の本質をまったく違えてしまうという外はない。
しかるに、「A3」の「弟子の暴走」論は、オウム真理教事件にあって松本死刑囚の指示とか「首謀者である」という結論をつまりは否定しているのである。なおさら十分な検証が必要となる。

4 講談社が「A3」にノンフィクション賞を授与することの意味
 書籍は、単に一般に出版されるだけでならば、所詮一筆者の論述にすぎないとして格別の影響力を持たないことがある。森氏の月刊PLAYBOYでの連載も書籍「A3」にある「弟子の暴走」論は、司法判断をあまりに無視したものであったこともあろう、社会的な影響力をほとんど与えなかった。
 しかし、権威を備えておられる貴「講談社ノンフィクション賞」を受賞したとなると、後世に残り得るものとして、多くの人が関心を持つことになる。そしてその権威からして、後世に、その内容にわたっても相当の信頼性があるものと思われる蓋然性がある。
まして、事件発覚から16年を経過している今日、若者はオウム真理教の実態もオウム裁判の情報も得ていないことが多い。その状況で、かかる受賞までしている書籍だということとなれば、影響は看過しがたいものがある。
 オウム真理教にあっても、有力な出版社である御社から賞まで与えられて「弟子の暴走」論を支持しているとか「教祖の無罪」を支持しているとして、信者の勧誘・維持のために有力な材料として使えることとなる。事実、後継団体の一つであるアレフは未だ残存しており、オウム事件は他からの陰謀事件であった、教祖は無実だが「殉教」されてしまうなどとも言っているところ、その維持・拡大の助力となるのである。
 貴社が、「A3」にノンフィクション賞を授与することは、このような重大な意味を持つ。

5 刑事事件・裁判と「ノンフィクション」について 
講談社ノンフィクション賞は、受賞基準といったものが事前に決まっていないようであるが、ノンフィクションは、「創作をまじえない、事実そのままのもの。記録文学、紀行文、記録映画など」であるから(講談社『現代実用辞典』第二版2010年2月1日第一七版)、作品である以上創造的な再現描写や主観部分が入ることはあり得ても、事実を歪曲させてまで個人の見解を披露している創作については「ノンフィクション」に値しないことも、また明らかであろう。
 刑事事件や裁判に関する事柄の著作でも、優秀な「ノンフィクション」が成立することはもちろんある。戦後日本の作品群にあっても、いくつもの裁判、特に確定判決についてさえも判決の信用性、説得力のなさや証拠との矛盾、またさまざまな証拠の別の見方、新たな証拠の呈示・説明をするなどしたノンフィクションも多くあり、中には後に再審無罪となった事案にかかるものまであるのである。そのような水準に達していると思われる「ノンフィクション」の場合、推薦されるべき優秀に作品として、賞に値することも十分にあろう。
 したがって、「A3」特にその中の弟子の暴走論についても、ノンフィクションとして十分な報告、分析をふまえてなされていて質が高ければ、多くの確定判決とは矛盾するが、1つの視点、考え方を示したものとして、授賞に値することも、論理上はあり得なくはない。
 しかし、「A3」がこれに達していないこと明らかである。

6 教祖の指示など確定判決を検討・記述せず、考察していない「A3」 
すなわち森氏は、1995年3月20日朝の地下鉄サリン事件につき、「弟子の暴走論」と矛盾する多くの事実について、確定している2004年2月27日の東京地裁判決文に示されている松本死刑囚の関与さえ記述せず、また考慮もしていない。
そもそも森氏は、531ページにものぼる「A3」の中で、27ページの1カ所のみにてこの判決文のごくごく一部を紹介したにとどまるのであって、実に驚くべきことである。
 松本死刑囚の地下鉄サリン事件における指示は、3月18日未明のいわゆるリムジン謀議を別としても、具体的には、別紙1のとおりである。
 その他の事件についても、まったく同様である。森氏は、起訴されている事件だけでも1989年2月の田口修二君殺人事件以降、実に多くの事件があって、それらには松本死刑囚の指示などあると具体的に認定されているのに、これをほとんど書いておらず、「弟子の暴走論」の矛盾点を覆い隠している。具体的には別紙2のとおりである。
 これらは様々な反対尋問をも経て認定されている松本死刑囚の指示であり、遺体の状況、サリン副生成物の検出その他の多くの客観的な証拠とも合致していることからこそ、判決で認定されている。それは多くの判決書、傍聴記を検討すれば勿論得られる情報であり、インターネットでも検索できるものである。もとより、森氏が唯一傍聴したと自認している公判は、この判決文が朗読された東京地裁での判決公判であって、知らないとは言えない筈であろう。それをも確認、分析そして記述しないままに、どうしてノンフィクションと言えるのであろうか。
 森氏は、地下鉄サリン事件の動機についてミスリードもしているが、これが原因かとも思われる。すなわち、「A3」の冒頭8ページには、地下鉄サリン事件の犯行動機について「そもそもが『自己が絶対者として君臨する専制国家を建設するため』と『警察による強制捜査の目をくらますため』なる理由が共存することからして、論理として破綻している。もしも麻原を被告とする法廷が普通に機能さえしていれば、この程度の矛盾や破綻は整理されていたはずだ」と指摘する。
 しかし、前記判決は、地下鉄サリン事件の動機をこう認定している。「被告人は,国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き,多数の自動小銃の製造や首都を壊滅するために散布するサリンを大量に生成するサリンプラントの早期完成を企てるなど教団の武装化を推進してきたものであるが,このような被告人が最も恐れるのは,教団の武装化が完成する前に,教団施設に対する強制捜査が行われることであり,(中略)現実味を増した教団施設に対する大規模な強制捜査を阻止することが教団を存続発展させ,被告人の野望を果たす上で最重要かつ緊急の課題であったことは容易に推認される」と。森氏は、地下鉄サリン事件の動機について、判決文を示さないままに、明白なミスリードをしているのである。
 これらが、森氏の意図的なものでないとするならば、取材の意欲と取材力、何より真摯な態度が圧倒的に不足していることを示している。それにもかかわらず、「A3」では「弟子の暴走」論を実に安易に結論づけられているのである。
 いわば先入見を記述しているに過ぎないこのような「A3」が、いったいどうしてノンフィクションとして推薦できるのだろうか。

7 実行犯と面談・手紙のやり取りを先入見で利用している「A3」
 森氏は、面談した被告人らの話を軽視し過ぎている。松本死刑囚のもとで極悪な事件を起こした被告人らは、死刑が確定せんとする状況下で森氏との面談に協力し、また文書を送るなどしてきた。その中では、多く森氏の「弟子の暴走」論を遠慮がちに諫めているところ、その一部を紹介しつつも自らの「判断」を率直に顧みることなく、つまりは「弟子の暴走論」に終始させている。
 これら面談内容や供述や文章は、『最終解脱者』『教祖麻原彰晃』の桎梏を離れた獄中で死刑判決を受けた立場になっていた者らが、喉から血を吐くようにして述べているものであり、ノンフィクションであらんとするとき、あだや疎かにしてはならない情報である。疎かにするはたとえ重大な罪を犯した者らだとはいえ、人の命に対する冒涜である。
 もとより、それぞれの視点とアプローチ、さらには「先入見」が異なろうことは当然にあるが、ノンフィクションとする以上、真実に肉薄しようとしなければならないはずである。ノンフィクションは「フィクション」ではないし、矛盾した多くの情報までも捨てて、自分の先入見を披露する場でもないのである。
 そんな、「A3」が、どうして優秀なノンフィクション作品として、推薦できるのだろうか。

8 松本死刑囚の陳述についても記述、分析していない「A3」
 森氏は、実は、松本死刑囚の弁論更新時になされた罪状認否、すなわち1997年4月24日の意見陳述のほとんどを記述せず、また分析していない。一部記述はあるが、精神状態の説明として利用するために記述しているだけである。すなわち陳述の最終部分の記述のみ示し(19-24ページ)、森氏はこれを引き合いにして、松本死刑囚の精神状態が普通ではないと主張しているのである。
しかし、松本死刑囚は、当日、実に驚異的な記憶力にて起訴された順番に個別具体的に認否しているのである。後に裁判の早期の進行のために起訴が取り下げられた事件を含めて認否している概要は、別紙3のとおりである。
 これらの陳述の部分も、文献やインターネットで容易に入手できるものである。しかし森氏は、これらをなんら記述していない。本人の陳述自体からして「弟子の暴走論」が成り立つのかをつまりは分析しようとしておらず、先入見を記載しているだけなのである。「弟子の暴走」だったのかどうかにつき、この松本死刑囚本人の陳述を考察しないなどあり得ない態度である。
 このような手法の上で「弟子の暴走」論に帰着させる「A3」の、いったいどこがノンフィクションなのであろうか。

9 切り貼りと恣意的な引用、信用性のないものまでの引用
 「A3」が優秀なノンフィクションとは到底考えられず、むしろ事実を歪曲するまでしている作品であるのは、なにも「弟子の暴走」論にいたる記述だけではない。「A3」は、多くの文献、証言、手紙その他を引用して記述されており、切り貼りでできた作品といった趣でもある。その合間の文章は森氏本人の見解のように記載されてあるが、裁判で判明しまた報道もされている事柄を初めて分かったような書き方をしている所が少なくなく、面喰ってしまう状況でもある。
 たとえば、「A3」を通じて問題に挙げられている地下鉄サリン事件直前のサリン原料のジフロ保管に関連する事柄は、降幡賢一著「オウム法廷」に強調して記述してあるところである。また、中川被告の「巫病」指摘とそのエピソードは、藤田庄市氏が雑誌『世界』2004年4月号で初めて指摘し、同著「宗教事件の内側」(岩波書店、2008年10月)にて記載してあるが、藤田氏文献はなんら参考文献ともされていないのであり、不可思議である。
さらに、「A3」には、恣意的また信用性のないものまで引用しているという大きな問題がある。また明確な事実誤認をしたままの記述も多く記述されている。
 恣意的な引用としては、刑法上の責任能力と刑事訴訟法上の訴訟能力の混同において如実である。森氏は、青沼陽一郎氏の「思考停止しているのは世界ではなく貴方の方だ」(諸君!、2005年3月号)を68ページで引用している。青沼氏は、「諸君!」の中では、森氏が「世界が完全に思考停止する前に」という書籍の中で法廷での松本死刑囚の様子を根拠に「逮捕されてから現在まで、彼は一度も精神鑑定を受けていない。通常なら逮捕直後に実施されたはずだ」としていることから、森氏が刑法上無罪となり得る責任能力の鑑定を求めていると理解し、これを批判している。この青沼氏の批判の文脈は正しいものである。しかし、森氏は、自らが傍聴したのは逮捕から9年近く経った2004年2月27日の判決公判にのみであり、たったそれだけの状況から鑑定が主張できるのは刑事責任能力ではなく、言うべきは訴訟能力だけだとようやく刑事司法の基本に気付いたことから、自身の過ちには口を拭ってしまい、青沼氏こそ両者の能力について混同していると批判しているのである。さらに「A3」の242ページでは、森氏は「少なくとも逮捕直後の彼は訴訟の当事者としては問題ない精神状態を保っていたと思う」と記載し、自らの言説を巧妙に変更している。ノンフィクションを志すものとして誠意ある態度ではない。そのような文章がどうして「ノンフィクション賞」に値するのだろうか。
 作家・司馬遼太郎氏の発言の引用についても同様である。森氏は、司馬氏が雑誌の対談(「週刊文春」1995年8月17日・24日合併号)において、「僕は、オウムを宗教集団として見るよりも、まず犯罪集団として見なければいけないと思っています。とにかく史上希なる人殺し集団である」と発言したことを引用しつつ、「『人を殺すならばそれは宗教でない』とのレトリックはあまりに浅い。」と断言している(「A3」124-125ページ)。だが、司馬氏はこの雑誌の対談の中で、オウムは人を殺すから宗教集団でない、などとは一切発言していない。森氏は、人の発言を歪曲してもしくは言ってもいないことをでっち上げて読者を欺いているという外はない。この司馬氏との対談の相手は、選者のひとりでもある立花隆氏であった。立花氏がこの点をどう考えたか判然としないが、甚だ遺憾である。
 信用性のない情報の引用としては、「一橋文哉」なる正体不明者であり証拠関係が何ら示されていない文章の引用さえも見られる。その他、旧上九一色村にある慰霊塔に「日本脱カルト協会」の銘があるなどと、実際に行けば間違うはずもないのに記述しているといった細かいところもあるが(482-3ページ)、これ以上は避ける。

10 松本死刑囚の視力障害につき、水俣病説の無責任すぎる流布
 森氏は、藤原新也著「黄泉の犬」に記載ある松本死刑囚の水俣病による視力障害説を数カ所にわたって引用しているところ(112ページ、363ページ以降)これは少し検討すれば誤りであることが判明するのに、そのまま引用しているのであって極めて重大な問題である。未だ呻吟している方も多い水俣病患者への偏見をも生みかねないからである。1995年以降しばらくの間、松本死刑囚の被差別部落出身説や親の朝鮮半島出身説などまで流布させた者がありそれが未だ一部で言われているが、これと類似して大きく誤解を招くものである。
 ところで、水俣病により視力障害の状況は、次の通りとされている。「水俣病診断総論」(2006年11月医師高岡滋水)による。
「水俣病では、メチル水銀による大脳の視覚野が障害されることによって、これらの視覚障害が現れる。とりわけ視野狭窄に関しては、視野の周辺部分から欠損する求心性視野狭窄が特徴的である。この求心性視野狭窄は、水俣病以外では極めてまれにしか見られない症候であり、八代海沿岸住民にこれが認められる場合は、水俣病と診断して間違いない。視野沈下等についても、水俣病との関係を考えなければならない。視野を調べる方法は、医師が向かい合って調べる対面法と、フェルスター視野計やゴールドマン視野計などの器械を用いる方法がある。視野障害をきたす水俣病以外の疾患で頻度の高いものとして緑内障や網膜色素変性症がある。いずれも放置すると進行することが多く、眼科的に診断が容易であるため、水俣病との鑑別に問題となることは少ないが、緑内障による視野障害は、通常、求心性ではなく不均一な分布を示すことが多い。網膜色素変性症は進行性で失明にいたることも少なくなく、鑑別は容易である。」
  一方、松本死刑囚の視力障害は先天性緑内障または網膜色素変性症と見られている。それは、上記のとおり水俣病による視力障害とは著しく異なって鑑別も容易である。もとより松本死刑囚についてはその他の水俣病、慢性水俣病にかかる症状は一切報告されていない。それにもかかわらず、藤原新也氏は、松本死刑囚の実家を訪れて水俣市が近いことに気がつき(地理を知る者なら行かずとも分かる情報であるが)、またその兄の話を聞いただけで、水俣病である蓋然性があるような記述をしている。
 それを森氏は検討することなく引用し、更にハマグリのエピソードを記載して強調し(410ページ)、松本死刑囚の国家に対する恨み「ルサンチマン」を滔々と述べている。
 しかも、森氏は、「A3」139ぺージにあるとおり、関係者から網膜色素変性症だろうと推測を聞いているのに、このように視力障害についての水俣病説を延々と記述し、無責任に流布しているのである。
 事実を追及しようとするものであるならば、これが水俣病の症状としてあり得るのかを確認すべきこと、実に当然である。森氏は、ノンフィクションとして刊行する者として基本的な「真実に達しようとする姿勢」に欠けていると言うべきではなかろうか。恣意的な引用、信用性のない情報の分析なき引用、単純すぎる取材間違い、他の論者の論を歪曲して記載するような「A3」のどこにノンフィションとして優秀な点が見られるのであろうか。

11 映画「A」についての基本的な情報を提供していないこと
 森氏は、書籍「A3」に至ることとして、各所で映画「A」「A2」の撮影制作関係の事柄を記述している。これは「A3」を著わす経緯、森氏がオウム真理教を考察する際に重要な事柄であり、記述するは当然であろう。読者にとっても、映画「A」を踏まえての書籍「A3」の理解、または書籍「A3」を読んだ後に映画「A」の視聴を得る方らにあっても、重要な経緯であろう。
しかし、その中には、いくつかの重大な事柄が記述されないままであり、読者らに大いに誤解を招いていると言うべきである。
 すなわち、映画「A」は、オウム真理教側にあって、その撮影に全面的に協力したのみならず、信者に「映画A推進委員会」まで作らせその上映普及を支えられたものである。当時そのメンバーであった信者が後に脱会し、森氏がそれを知らなかった筈はないとまで述べているが、この指摘について森氏は一切答えず、本書「A3」でも示していない。
 そもそも森氏は、「A3」の原点とする映画「A」は、テレビ局から排斥され番組放送ができなくなったものを自主映画にした、と主張するが、森氏の自著の中でも制作中止を命じた人物が二転三転しており、その具体的な体験の真偽が問われる事態でもある。
また、書籍「A3」の374ページに掲載されている「オウム真理教家族の会」からの内容証明郵便に記載の「A」君について「一生背負い込む責任」など言っても実際上できないものであるとの指摘には、森氏自身は未だに何ら答えていない。「A」君は案の上、未だオウム真理教の1つ「アレフ」の幹部として活動し続けているのである。
 そのほか、佐川一政氏が、雑誌月刊サイゾー2002年11月号81ページ「凶悪犯罪に群がる進歩的文化人の本音とは」にて、森氏が「「(A)君は、撮影の初っ端に、オウムの信仰についてとうとうと延べ、その信仰のためには人を殺めても構わないという発言までしたんです。これでは最初から観客が引いてしまう。自分はあくまで(A)青年を、普通の若者として撮りたかったんです。そこで、この(A)君の一連の『弁明』をすべてカットしてしまいました。案の定、上映の折、『オウムの信者も僕らと同じ普通の青年だったんですね』とある観客に言われ、とても嬉しかった」としているところ、これが事実であれば映画「A」自体に、現実の信者の姿として重要な本質が抜けているものという外はない。その釈明もないままに、「A3」にあって映画「A」の諸々を記載するのは、信者の姿を再び恣意的に扱ったものと言う外はない。
 これらの立場の説明がないことや状況は、その1つだけをとっても、ドキュメンタリー作品として避けられないとして許容される範疇を超えており、これを作る立場として許されない態度であって、意図的な誤導だと言う外はない。そして、そのような瑕疵について説明もしていない書籍「A3」が、ノンフィクションとして優秀である筈もない。

12 選者に中沢新一氏が含まれていることについて
 選者の中に中沢新一氏がおられたことは、今年度の「A3」への授賞につついて疑義をもたせ、同時に貴ノンフィクション賞の価値を減じるものである。
 中沢氏が著わした「虹の階梯」(平河出版社 1981年7月、 中央公論社文庫1993年5月)などは、オウム真理教の教義の成立、「グルと弟子の関係」の確定に多大な寄与をした。書籍の影響のみならず、中沢氏にあっては、坂本事件直後の1989年11月という教団にとって危機的状況の中で、真っ先に松本死刑囚と対談し、同人を宗教家としてほめたたえるなどしている(週刊誌SPA1989年12月6日号「狂気がなければ宗教じゃない」)。これが教団の危機を救ってさらなる拡大に寄与したことは明らかである。外部の者、知識人としてもっともオウム真理教の拡大に寄与したのが中沢新一氏である。
 中沢氏が1995年当時、そうは批判されていなかったのは、「週刊プレイボーイ」1995年5月30日号にて、揺れ動く信者の心をつかみつつ、心からの脱会にはならずとも組織から離れるための文章を寄稿し、また1995年当時、「学問の独立」と矛盾しても被疑者の調べ方法について工夫をしていた東京地方検察庁に協力していたことによる。
 しかし、中沢氏は、現在に至るまで結局は自らの言説を総括せず、「サリン事件の被害者が、一万人、あるいは二万人だったら別の意味合いが出てくるのではないか」などと脱会したばかりの元出家者に言ってきた存在である。その中沢氏らにより、森氏の「A3」がノンフィクション賞として選出され、貴社から授与されようとしている。
いったい、これがまともな「ノンフィクション賞」の授与であろうか。

13 結論
 森氏は「麻原彰晃という圧倒的な質量だ。」(88ページ、37ページ)と表現もする。オウム真理教教祖である松本死刑囚に幻惑されてしまったのであろうか。それを心配する。
 「A3」はいかなる背景からか、判決公判でのたった1回の傍聴での印象から始まって、情報も分析も足りないままあるいは矛盾点も隠したまま、「弟子の暴走論」を記述しているなど、「ノンフィクション」としては多くの過ちを犯している。
 よって、貴社にあって、「A3」に2011年のノンフィクション賞を授与することにつき、ここに強く抗議する。
以 上  


別 紙 1

松本死刑囚にあって
(1) 平成7年3月15日、井上嘉浩死刑囚に対して地下鉄霞ヶ関駅構内にボツリヌストキシン様の液体を噴霧させようとしたこと、
(2) 18日午後11時ころ遠藤誠一被告に「ジーヴァカ,サリン造れよ。」などと言い責任をもってサリンの生成に取り組むよう念を押したこと、
(3) 19日正午前ころ,同人に「まだ,やっていないんだろう」と言ったこと、
(4) 午後1時過ぎころ、井上死刑囚に対し「アーナンダどうだ。」「じゃ、おまえたちに任せる。」と言ったこと、
(5) 午後10時30分頃、遠藤被告が「できたみたいです。ただしまだ純粋な形ではなく混合物です。」と報告したのに対して「ジーヴァカ、いいよそれで。それ以上やらなくていいから。」と、サリンを分留することなくそのまま使って構わないと答えたこと、
(6) 3月20日未明、遠藤被告がサリン入りビニール袋11個について「修法」という儀式を求めたのに対して、段ボールの下に手を触れて瞑想をし、修法を終えたこと。
以 上  



別 紙 2

松本死刑囚にあって、
(1) 89年2月上旬ころの田口殺人事件について、松本死刑囚は、岡崎一明死刑囚、故村井秀夫元幹部、早川紀代秀死刑囚、新實死刑囚外に対して、「まずいとは思わないか。田口は真島のことを知っているからな。このまま,わしを殺すことになったらとしたら,大変なことになる。もう一度,おまえたちが見にいって,わしを殺すという意思が変わらなかったり,オウムから逃げようという考えが変わらないならばポアするしかないな。」「ロープで一気に絞めろ。その後は護摩壇で燃やせ。」などと言ったこと、

(2) 同年11月4日未明の坂本弁護士一家殺人事件について、2日の夜、故村井元幹部、早川死刑囚、岡崎死刑囚、新實死刑囚及び中川智正被告に対して、「もう今の世の中は汚れきっておる。もうヴァジラヤーナを取り入れていくしかないんだから,お前たちも覚悟しろよ。」「今ポアをしなければいけない問題となる人物はだれと思う」と述べ坂本弁護士を名指ししたこと、塩化カリウムの薬効等について説明したこと、岡崎死刑囚に対して坂本弁護士の住所を調べるよう指示したこと、端本悟死刑囚を、坂本弁護士を一撃で気絶させる役割として担当させることに決めたこと、住所が判明した後に「そうか分かったか。よしこれで決まりだ。変装していくしかないな。」と言ったこと、変装のために五,六十万もあれば足りるだろうと言い用意するよう指示したこと、3日午後11時ころ、電話をしてきた早川死刑囚に対して「じゃ,入ればいいじゃないか。家族も一緒にやるしかないだろう。」「人数的にもそんなに多くはいないだろうし,大きな大人はそんなにいないだろうから,おまえたちの今の人数でいけるだろう。今でなくても,遅い方がいいだろう。」と言ったこと、

(3) サリンプラント事件殺人予備罪について、松本死刑囚は、1990年4月ころ、教団幹部ら二十数名に対して「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったので,これからはヴァジラヤーナでいく。現代人は生きながらにして悪業を積むから,全世界にボツリヌス菌をまいてポアする。救済の計画のために私は君たちを選んだ。」などと言ったこと、1993年2月上旬ころ、故村井元幹部、渡部和実受刑囚、豊田亨死刑囚及び廣瀬健一死刑囚に対し、教団で実際に造ることができるようにロシアに武器の情報収集に行くよう指示したこと、自動小銃AK-74を分解して持ち帰った報告を受け横山真人死刑囚を自動小銃製造の責任者に指名したこと、同年8月末か9月初めころ上祐史浩元幹部、故村井元幹部、新實死刑囚らの同席する部屋で,滝澤和義受刑囚に対し「70tのサリンプラントを造ってくれ。いきなり大きいのでいこう」と言ったこと、同年12月中旬ころ、井上死刑囚らに対して「サリンができた。あと3万人いれば何とかなる。だから,何としてでも3万人のサマナを作らないといけないんだ。」などと指示したこと、1994年2月22日から数日間の中国旅行において、新實死刑囚ら教団幹部その他のメンバーに対し「1997年,私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早く殺さなければならない。」旨の説法をしたこと、同年2月27日ころ、同様のメンバーらに対して「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリンを東京に70tぶちまくしかない。」などと言ったこと、サリンプラントの設計担当者である滝澤受刑囚らに対して設計担当者を新たに追加して設計を急ぐよう支持したこと、翌28日、廣瀬死刑囚及び豊田死刑囚に対して、自動小銃の製造チームに加わり,自動小銃1000丁を一,二か月で完成させるよう指示したこと、同年3月中旬ころ、新實死刑囚、井上死刑囚、中村昇受刑囚らに対し「もうこれからはテロしかない。」などと言い、新實死刑囚をリーダーとして信者数十名に多種の武器による射撃訓練を含め武装訓練させたこと、同年5月ころ、青山吉伸元受刑囚らに対して、日本を壊滅した後の将来の国家体制を担うオウム国家の憲法草案を起草するよう指示したこと、

(4) 滝本サリン殺人未遂事件につき、松本死刑囚は、1994年5月7日ころ、青山元受刑者、遠藤被告、中川被告らに対して、「滝本の車に魔法(サリン)を使う。」と言ったこと、創価学会の池田事件で噴霧したサリンが乗用車内に流入してきた経験を踏まえて、自動車のボンネットなどにサリンを滴下して外気の導入口を通じて車内に気化したサリンを流入させて滝本を殺害することを命じたこと、アンモニアを使って試してみるよう指示したこと、滝本車両が三菱ギャランであることを知って某女性出家者のギャランを実験に使うよう指示したこと、実験に成功すると「よし、そこでいい。」と言ったこと、「おまえらは(裁判所の)裏の駐車場に停めろ。裏の駐車場から歩いていって滝本の車に掛ければいい。掛けた人を後で回収しろ。」などと具体的手順を指示したこと、実行役について「某女にやらせる。B型女性はいったんやると決めたらためらわないから。わしの方から某女に話しておく。」などと話したこと、駐車位置を教える役を富永昌宏受刑囚に割り当てたこと、某女の服装等について「裁判所にふさわしい服を着せろ。お布施のものがあるだろう。倉庫のかぎを開けてそこから借りればいい。マスクとサングラスを掛けさせろ。化粧もさせろ。」などと話したこと、自動車にサリンを掛ける練習を某女にさせるよう指示したこと、移動の車は「まだ名義変更のされていないものを使え。ナンバーは不自然ではない近県のナンバーを用意しろ。」と指示したこと、 8日夜、富永受刑囚に対し「サマナを無理やり下向させている滝本という弁護士がいる。明日もその関係で甲府で裁判がある。滝本に魔法を使う。君にはアパーヤージャハ(青山)の車を運転してもらう。詳しいことはジーヴァカ(遠藤)たちに聞いてくれ。」と指示したこと、某女に対し「ちょっと危険なワークだけれども,できるかな。ある人物をポアしようと思うんだよ。」などと指示したこと、

(5) 1994年6月27日夜の松本サリン事件につき、同月20日ころ、新實死刑囚、遠藤被告及び中川被告に対して「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて,サリンが実際に効くかどうかやってみろ。」と言ったこと、「警察等の排除はミラレパ(新實死刑囚)に任せる。武道にたけたウパーリ(中村昇受刑者)、シーハ(富田隆受刑者)、ガフヴァ(端本死刑囚)の3人を使え。」と指示したこと、サリン噴霧車の運転を端本にさせるように言ったこと、最後に「後はおまえたちに任せる。」と言ったこと、6月27日午後8時ころサリンを噴霧する目標を裁判所から裁判所宿舎に変更することを電話により了承したこと、

(6) 自動小銃密造事件について、松本死刑囚は、1994年2月28日、廣瀬死刑囚らに対し自動小銃1000丁を造るよう指示したこと、機関部の21種類の金属部品についてはマシニングセンターで造るように,ライフリング作業については大型の放電加工機で穴開けと一体化してやるように言うなど指示をしたこと、1994年1月1日、廣瀬死刑囚らから、完成した本件小銃1丁の献上を受けた際,よくやったと言って同人らをほめたこと、次の段階として弾丸を造るよう指示したこと、同日、同小銃や部品を隠匿するよう指示したこと、

(7) 落田耕太郎殺人、死体損壊事件につき、松本死刑囚は、1994年1月30日未明、保田の母を連れ出すために保田英明元被告と共に第6サティアンに侵入してきた落田らにつき、新實死刑囚に対し、第2サティアン3階に連れていくよう指示したこと、松本知子元受刑囚に先導させて杉本繁郎受刑囚運転で第2サティアンに行くよう指示したこと、出発させた直後に「今から処刑を行う。」と言ったこと、同室内にて幹部らの前で「これからポアを行うがどうだ。」と言ったこと、保田に対して「おまえは、落田にだまされて,ここに来て真理に対して反逆するというものすごい悪業を犯した。ぬぐうことができないほどの重いカルマを積んでいる。間違いなく地獄に落ちるぞ。おまえは帰してやるから安心しろ。ただし条件がある。それはおまえが落田を殺すことだ。それができなければおまえもここで殺す。」などと言ったこと、「落田に対しても,催涙スプレーを使わないとまずいな。」と言い催涙スプレーを落田に掛けるよう指示したこと、マイクロ波焼却につき人手が必要なので、外で待機している警備担当の山内信一受刑囚と北村浩一受刑囚を呼び入れて、同人らに落田を殺害した経緯等について説明した上で、死体を梱包して地下室に運び村井の指示に従って落田の死体を処理するよう指示したこと、保田に対して「これからは,また,入信して,週1回は必ず道場に来い。おまえが今回積んだカルマはちょっとやそっとでは落とすことができないカルマだから,一生懸命修行しなさい。」と言い,最後に「おまえはこのことは知らない。」と付け加えて落田の殺害について口止めをしたこと

(8) 冨田事件につき、松本死刑囚は、平成6年7月林郁夫受刑囚に対し薬物などによるスパイチェックを実施するよう指示したこと、10日頃、新實死刑囚に対し、中村昇受刑囚、杉本受刑囚及び山内受刑囚を使い、冨田俊男にスパイであることの自白させるよう指示したこと、途中「今,どういう状況だ」と新實死刑囚に尋ねたこと、「ガンポパ(杉本)にやらせればいい」と言い自白させるのを杉本に担当させるように指示したこと、新實死刑囚が「冨田は自白しませんが,どうしましょうか」と尋ねたのに対して、冨田を殺害した上その死体を損壊するよう指示し、かつ「ガンポパにやらせればいい。」と言って杉本が焼却するよう指示したこと、

(9) 水野VX事件につき、松本死刑囚は、1994年11月21日ころ井上死刑囚に、水野の身辺等の調査を指示したこと、26日頃の朝、新實死刑囚、井上死刑囚及び遠藤被告に対し、「水野は悪業を積んでいる。N女の布施の返還請求は,すべて水野が陰で入れ知恵をしている。水野にVXを掛けてポアしろ。そうすれば,N女親子は目覚めてオウムに戻ってくるだろう。これはVXの実験でもある。水野にVXを掛けて確かめろ。」などと言ったこと、具体的な殺害方法としてはVXを注射器に入れて水野に掛けること,役割分担については,VXを掛ける役割は井上死刑囚が務め,それが失敗した場合には自治省所属の山形明受刑囚に実行させること,実行役等がVX中毒になった場合の治療役として遠藤被告と中川被告が同行すること,さらに遠藤被告はVXを注射器に入れて用意すること,CHS(諜報省)に所属する平田悟受刑囚及び高橋克也逃亡犯を実行メンバーに加えること、現場指揮は井上死刑囚が務め、新實死刑囚が補助することを指示したこと、第1次水野事件の失敗後、実行役を山形受刑囚に変更することについて了解したこと、28日の実行後、実行犯らに「よくやった。」などとねぎらい、山形受刑囚に対し「この毒液はVXという最新の化学兵器だ。こういうことはガル(山形)が適任だな。今日からガルは菩師だ。」などと言って,山形受刑囚のステージを師補から菩師に昇格させ、高橋逃亡犯のステージも愛師から愛師長補に昇格させたこと、それがVX塩酸塩であったことを知り、改めてVXを製造させ、同年12月1日ころ新實死刑囚に対し「新しいVXができた。これで水野をポアしろ。今度は大丈夫だろう。」などと言ったこと、

(10) 浜口VX事件につき、松本死刑囚は、1994年12月8日深夜、井上死刑囚及び新實死刑囚に対し「教団分裂を謀った某男を操っているのは,大阪の柔道家でヴァジラクマーラの会に参加したことのある浜口という者だ。法皇官房で調査したんだが,浜口が公安のスパイであることは間違いない。VXを一滴浜口にたらしてポアしろ。」と言ったこと、実行するメンバーは,水野VX事件のメンバー6名でいいのではないかと言ったこと、

(11) 永岡VX事件につき、松本死刑囚は、1994年12月30日、新實死刑囚に対し「どんな方法でもいいから永岡にVXを掛けろ。幾らお金を使ってもいい。VXを掛けるためにはマンションを借りてもいい。息子の辰哉の方が行動力があるから,永岡ができなければ辰哉でもいい。井上としっかり打合せをするように。」などといったこと、そのころ新實死刑囚に対し「100人くらい変死すれば教団を非難する人がいなくなるだろう。1週間に1人ぐらいはノルマにしよう。」などと言ったことがあったこと、その後、中川被告に対して「おまえは医者だから,人を潜在的に助けようと思っているから,ポアが成功しないで人を助けてしまう。だから現場に行くな。」などと説明したこと、

(12) 假谷逮捕監禁致死事件、死体損壊事件にあって、松本死刑囚は、1995年2月28日未明、井上死刑囚及び中村昇受刑囚に対し,假谷を拉致してナルコを実施しN女の居場所を聞き出すように命じたこと、武道の得意な中村昇受刑者らが中心となって拉致することなど指示したこと、拉致死亡後、井上死刑囚ら3人に対し「なぜ,無理してやったんだ。警察が動いてるじゃないか。レーザーを使わなかったんだろう。」と叱責したこと、中川被告の死体焼却にはだれが立ち会えばいいかとの問いに「おまえたちでやるしかないんじゃないか」といったこと。
以 上  



別 紙 3

 松本死刑囚の各事件に対する1997年4月24日の意見陳述は、起訴された順でなされており、次のとおりである。

(1) 地下鉄サリン事件では「私は、18日の夜村井秀夫を呼んでストップすることを命令し、19日に井上嘉浩君を呼んで同じくストップを命令しました」などと事前に知っていたことなどの範囲で認めている。

(2) 落田殺害事件では「私自身は殺害の指示はしていませんが、弟子たちが直観的に殺害したものと思います。手錠、ロープで縛られたとき、殺害指示は一切していません。」とその場にいた範囲で認めてしまっている。

(3) チオペンタール密造事件は「チオペンタールを日本の政府の厚生省が許可するならいいだろうと言ったが、……吉岡君から聞いたわけだが、ジーヴァカ正悟師が20万円くらいの罰金刑ということでそれを作ることにしたと聞いています。」とし関与と製造を認めている。

(4) 假谷監禁致死事件では「治療が遅れたがゆえに起きた事件です。検察、裁判所の認定も、逮捕監禁致死であって殺害としていません」としておおよそを認めている。

(5) 坂本堤弁護士一家殺害事件では「早川君から電話があって、1回目は何月何日かわかりません。2回目は、夜11時ごろ、人がいない、ドアが開いているという電話があり、とにかく時間を延ばせ、時間を守って朝の5時まで延ばせと話しました」として、事件直前の実行犯からの電話さえ認めてしまっている。

(6) 田口殺害事件では 「麻原彰晃の立場から言うならば、私はロープの指示をしていません」とし関与自体は認めている。

(7) LSD密造事件では「遠藤誠一がLSDを作りましたが、ポイントは、私の弟子たちはこれによってお金を儲けたことがなく、そこに行ったことはない」「5月1日、私が第5サティアンに帰ってきた段階で、遠藤誠一君が持ってきたLSD1グラムを一気に飲み、これに決定しました。そして、2日か3日くらい意識がなく、いろんな世界の体験が起き、光が現われ、空が現われました。これが麻原彰晃の世界です。このとき、数人の弟子たちにチェックし、これが瞑想修行の延長上にあるんだと立証できました。立証すると無罪となります。」として実質上すべて認めている。

(8) 覚醒剤密造事件では、「まず、オウム真理教で使われたものは、エフェトニンを変形したもので、植物性のものを使っています。」「お金をもらっていないこと、販売していないこと、どのように魂が進化するかということにのみ私たちは使った」などとしておおよそ認めている。

(9) メスカリン密造事件では、「林郁夫君は自分の体で行なったのです。これは自分で危険性をチェックするという善良な心です。この善良な心の表われによって危険な実験をし、その結果、意識不変の状態を3日間経験しました。2日か3日ほど意識不明の状態になりました。そして、メスカリンは麻薬ではなく睡眠薬であることが証明されたのです。これは検察庁にデータをあげますから、検討してください。これは睡眠薬であって、一切副作用がないことが立証されました。」として実質認めている。

(10) 自動小銃密造事件では、「マシンガンは作りました。しかし、マシンガンのタマは作ってません。これは確認していただきたい。」として認めている。

(11) 浜口VX殺害事件では「ここでVXが使われたということですが、山形君が誤って注射器を延髄に刺し、呼吸中枢に至ったわけです。」「麻原彰晃の調査指示が生きていて」として関与を認めている。

(12) 冨田殺害事件では、「ポリグラフ検査で有罪となり、かつ、オウム真理教のサマナがそれ以前にサリンによる傷があり、しかもポリグラフ検査で有罪が出たから、そのサマナが死んだとしても情状酌量でせいぜい1年か1年半だな」として関与を認め、

(13) サリンプラント建設事件では、 「第2プロセスの3塩化リン・5塩化リンのプロセスを中止し、第4プロセスの途中でサリンプラントの中止を命令し、実際止まっています。つまりサリンプラントは稼働せずしたがって殺人予備は成立せず」として関与を認め、

(14) 滝本サリン殺人未遂事件では「2グラムのサリンが滝本さんのフロントに滴下されたものです。」と関与を認め、

(15) 松本サリン事件では 「もしターゲットが住居や裁判所だとしたならば、ポイントを誤ることはなかったでしょう。計算が狂うわけがない。したがって、これについての論証が地下鉄サリン事件の布石となっているわけですが、30キログラムのサリンが撒かれていますが」「オウム真理教に対してサリンが噴霧されており、ここでサリンをまけば、オウム真理教のサマナが救われるという立場に立ってまかれたものであります。」として認めている。

(16) 永岡VX殺人未遂事件では、「井上君に痛めつける必要、懲らしめる必要があると言ったのは事実です。」「村井君にお願いして注射針のない注射器のようなものを作らせていたので、井上君に手渡して」などと関与を認めている。

(17) 水野VX殺人未遂事件では、「注射針をはずせと指示をしたり、頭皮の髪の毛の厚い部分をねらって、浸透率を遅くするように落とせと言いました。新實に対し、山形を使うように指示したが、これは認めている。」として関与を認めている。
以 上  

プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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