生放送番組に再稼働支持の意見メールを送るように関係会社の社員に指示していた出来事。
この報道に接する度に、違和感を覚えるのはぼくだけでしょうか。
その昔、寺山修司という人は、自分の劇団の評価と集客率を上げるため(と、ぼくは解釈していますが)、劇団員にはがきを買わせて劇団の名前を書かせ、演劇専門雑誌の人気投票に応募させていたと聞いたことがあります。
当時は小劇場アングラブームで、唐十郎をはじめ(こことの殴り込み騒動は殊に有名)多数のライバル劇団に差を付けることに必死だったのでしょう。
いつも人気ランキングの上位にあったそうです。
九州電力の玄海原発の再稼働を目指して、視聴者参加番組にメールを送り込む。
それで企業が潤うのだとしたら、経営陣としては市場原理主義に根差した素晴らしい経営努力です。
まだどこにも発表はしていませんが、ぼくがこの夏にフランスの原発の現場を取材したときのこと。
九州電力が世界第2位の原発大国フランスの地元住民を起用して「原発大好き!」などと叫ばせる原発推進のPRのコマーシャルまで撮影していたことを知りました。
それほどまでに企業努力を惜しまない会社なのです。
演劇と原発とでは次元が違う、という声も聞こえてきそうですが、昔から一般公募、市民参加型のアンケート意見聴取では、こうした当事者が意見を寄せることはあり得ることで、当事者が参加してはいけないなんて決まりも法律もないはずです。
むしろ、安易に顔の見えない不特定多数の善意を信じて、こんな旧態然とした手法を用いた番組制作サイドに問題があるのだと思います。
このケーブルテレビの番組制作を主催したのは、経済産業省なのだそうですが、わざわざこんな隙を与えるような手法を用いた生放送番組で、いったい何をしたかったのでしょうか。
ちょっと不可解ですね。
それでいて「ヤラせ」発覚後に、経済産業大臣が目くじらを立てているのですから、おかしな話です。
同じことは、アマゾンのサイトでも言えます。
カスタマーレビューを覗いていると、頓珍漢なことを書き込んでいる人もいれば、悪意に満ちたものや、必要以上に持ち上げている論評を目にすることがあります。
ある宗教団体が教祖さまの著した本を多数の信者で買い漁ったり、みんなで高評価を付ければ、それはアマゾンでも上位にランキングされますね。
逆に、教祖さまを攻撃する本を、徹底的に貶めることもできるわけです。
果たして、不特定多数参加型の評価基準をどこまで信じていいものか。
森達也という人は、講談社ノンフィクション賞の授賞式の挨拶で、ぼくたちの行った抗議に触れて、
「これによってアマゾンの順位が500位くらい上がった」
と、笑って言い放ち、会場の笑いを誘ったそうです。
そして、こうも発言しているのです。
「批判には、全部反論できる!」
あれから2か月近くが経とうとしています。
ですが、森達也氏は一向に反論をしようともしない。
したくてもできないのでしょう。(ですから、「全部反論できる」なんて、またしても嘘を付いたことになります。)
沈黙を貫いて時間が過ぎ去るのを待つ姿勢なのでしょう。
あの時と同じです。
米原万里さんに「破廉恥」と一言で酷評された『下山事件 シモヤマケース』の証言の捏造が発覚した、あの時と。
少しは、麻原章晃こと松本智津夫死刑囚の気持ちがわかったのではないでしょうか。
無罪だと主張しながら、裁判が続くに従って、自分の犯した罪が白日の下に曝されていく。それに反証できなくて、黙り込んでいった麻原死刑囚。
森達也氏の姿勢は、これにそっくりですね。
賞を与えてしまった講談社も抗議を黙殺して通すようです。
「進んでしまった時計の針は、もとには戻せないんだよ」
ある編集者が零していた言葉です。
後悔しても、与えてしまった賞は、取り消すことができない、という意味です。
「でも、そうして自ら自社の賞の社会的評価を落としていく。価値を貶めていく。そうやって滅びていく。だから、黙ってみていればそれでいいんだよ」
他社の編集者が、ぼくの憤りを前に、教えてくれたことです。
時計の針が進むのといっしょに、積み重ねてきたはずの歴史。
過去の講談社ノンフィクション賞の受賞作には優れた作品もあったはずなのですが、もはやそうしたものの価値観まで否定してしまった。
それを黙ってやり過ごそうとすることの恐ろしさ。
村上春樹さんの書いた小説に『沈黙』という短編があります。
九州電力のヤラせメール事件、森達也氏の沈黙、講談社の黙殺の現実を眺めていて、この小説のことを思い出しました。(以前にも、村上さんの短編小説を引き合いに出していて、頭がそっちに向かったのかもしれませんが。)
九州電力のヤラせメールも、佐賀県知事が「経済界には再稼働を容認する意見があるが、表に出ない」「こうした機会を利用して声を出すことも必要だ」と発言したことにはじまるそうです。
沈黙とその背後に潜む混沌とした顔の見えない大衆の恐ろしさ。
沈黙の持つ意味が見える者と見えない者との違い。
この短編小説を一読すれば、いろんなことに気付かされます。
最初にこの小説を読んだときには、ぼくも目が醒めたような気分になったことを覚えています。
決して難しい小説でもありません。
全国学校図書館協議会というところが集団読書テキストとして、薄い小冊子の単価193円で販売しています。学校の授業で用いられる教材になっているものですから、難しくはないはずです。
およそ、その笑いが失笑であったことを祈るばかりですが、「アマゾンの順位が上がった」と豪語する森氏の言葉に、その会場に居合わせて笑ってみせた人たちには、是非読んで欲しいものです。
それと、一般視聴者参加型の安易な番組作りに精通した人たちにも。
そして、二十歳を超えた大人がこの作品を読んだあとには、きっとビールが飲みたくなるはずです。










