茨城県の不当見解と暴挙

 先週火曜日に発売された
 『女性自身』11月5日号に、
 『水産業者が衝撃証言!!「福島原発」沖の〝密漁魚〟が「産地偽装」で出荷されている!』というタイトルの、
 ぼくの署名原稿が掲載されています。

 これについて、
 茨城県がホームページ上で「反論」と自称する文書を公開しています。
 ここに事実と異なり、
 あまりに悪質で、
 当方の名誉を毀損する内容が含まれていますので、
 あえてここでご報告申し上げておくと同時に、
 同県の対応を糾弾するものです。

茨城県公式ホームページ http://www.pref.ibaraki.jp/
掲載文書 http://www.pref.ibaraki.jp/nourin/gyosei/joseijishin.pdf

 ホームページ上に公開されている文書は、
 同日付けで掲載誌である『女性自身』編集部にも「抗議」として、
 同文面の「反論」が送られて来ました。
 これによると、執筆者がまさに虚偽の記載をしたように主張されています。
 すなわち、
 文書の最後にある以下の文章です。

《毎週、何れかの魚種について検査を行っており、記事にあるように、「時化の関係で検査はやらないこともある」ということはなく、「数値が下がったものを検査対象から外す」ようなこともありません。》

 これは、明らかに事実と異なる、まったくの虚実です。

 具体的には、
 10月16日午後3時34分に茨城県庁に電話を入れ、
 当方が直接、同県漁政課に取材しています。
 その時の担当者の名前も記録していますが、ここでは控えます。
 ただし、この担当者は『女性自身』編集部に「抗議」をファックス送信してきた際の担当者として名前がある人物ですので、茨城県では確認ができるはずです。
 この担当者は、この時の当方の電話取材に対して、まさに掲載記事中にある通り、
 各港、週に1度しか検査を実施していないことを説明し、そして、
「しけの関係で、やらないこともある」
 と明言しています。
 言質を取ったことをそのまま、正確に記事に反映しています。
 ホームページ上に記載されている主張は、嘘です。
 そうでないならば、茨城県は最初から嘘を取材者に伝えて、騙していたことになります。

 そもそも、茨城県の主張からして瓦解しています。
 すなわち、
 この主張を文面どおりに受け取ると、
「時化でも何れかの魚種の検査をする」ことになります。
 時化で漁に出られないとき、いったいどこの魚を検査するというのでしょうか。
 言い逃れをしようとして、論理破綻しています。

 また、
「数値が下がったものを検査対象から外す」というのは、
 掲載記事中にもあるように、現地の漁業協同組合から直接聞いたものであり、
 これを茨城県が記事中に誤りがあるように主張するのは、
 本筋ではなく、的外れであり、
 閲覧者に多大な誤解を与えるものです。

 茨城県がホームページ上で主張していることは、
 虚偽の事実に基づいており、
 まるで事実と異なることを書いたように記事内容を否定することは、
 署名原稿執筆者の信用を貶め、名誉を著しく毀損するものです。

 ましてや、県の公式ホームページ上に掲示することによって、
 不特定多数の人物が閲覧することになり、
 毀損行為も甚大であり、
 また、茨城県の担当者が語ったことを、
「そのようなことはない」とし、
 当該記事を「誤認を与えるもの」として主張し、
「抗議」したことを喧伝するとは、
 まったく悪質としか言いようがありません。

 これは当方の名誉を毀損、侮辱するばかりでなく、
 県民ひいては国民を欺く、
 行政組織としての裏切り行為として、
 決して見過ごすことはできません。

 むしろ、
 このように県ぐるみで嘘を公言する現場に遭遇すると、
 果たして同県が公式に主張するように、
 公正な放射線検査を実施し、この数値を正確に公表しているのか、
 甚だ疑問を抱かざるを得ません。
 公表されている数値にも、悪質な改竄があるのではないでしょうか。
 県ぐるみからすると、
 それは水産物に限らず、農畜産物においても同様です。
 果たして安全と言っているものを信じていいものでしょうか。
 日本国内に暮らす消費者のひとりとして、
 とても恐ろしくなります。

 当方は茨城県において、情報の捏造による、著しい名誉毀損があり、人格否定があるものと認識します。

 これにより、当方の正当な取材活動が阻害され、具体的な損害も生じています。

 今後の茨城県の対応によっては、
 すなわち、
 同文書の削除、訂正、謝罪などを含めた適切な処置がなければ、
 民事あるいは刑事も含めた法的措置も検討していく所存です。



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『週刊朝日』という「掃き溜め」の論理

 ここ数日も、出版やメディア関係の人たちと会うと、
 必ずと言っていいほど話題に上がりますので、
 思い切って、ぼくも言及しておきます。

 週刊朝日編集長の懲戒解雇処分。

 もう、ここまで編集部が問題を起こし、
 歴代編集長が不祥事を繰り返すような雑誌は、
 お終いでしょう。
 社会的存在価値もない。

 今回の懲戒解雇(10月8日付)は、
 編集部を含めた社内のセクハラが原因のようですが、
 もう、この部署の腐りようといったら、
 社風を通り超してもはや伝統と言っていいくらいです。
 ほかでもない、
 週刊朝日の捏造記事、虚偽報道を発見して、
 内部告発したにも拘わらず、
 これを隠匿して、
 指摘した側を排除、潰しにかかたった、
 ぼくの実体験が言わせるのですから。

 その話は、以前にもこのブログで語っています。

『真っ当に生きるということ』2012-2-16

 また、その当時存在した文藝春秋『諸君!』という雑誌にも、
 経緯が詳しく載っています。

 ただ、ちょっと事情も変わってきたので、
 もう一度簡単にその事実を振り返っておくと……

 その当時、ぼくは週刊朝日にもよく原稿を寄稿していました。
 その関係で、編集部から、かつて週刊朝日誌面で取り上げた交通被害者家族とコンタクトをとってほしい、という依頼を受けました。
 この方は元警察官で、ご自身の娘さんがあった交通事故を通して、警察の交通事故捜査の杜撰さや不当性を告発している方でした。
 ところが、これをきっかけにいろいろ調べてみると、実はこの週刊朝日に掲載された記事の内容が、事実とまったく正反対であることに気付いたのです。
 つまり、虚報です。
 もちろん、客観的資料による証拠もあります。
 これをみると、単なる勘違いや見落としではなく、意図的に事実を改竄したところも透けて見えます。
 いわば、捏造です。そうでなければ、この記事の執筆者(柳原三佳という人の署名原稿でした!)はよほどの能力不足です。
 同じ場所に寄稿する者としても、ちょっと危機感を覚えました。
 そこでぼくは、懇意にさせていただいていた編集担当者(仮に「Oさん」としておきましょう)に、そのことを内々に報告したのです。当時としては、編集部の自浄作用を信じていたところがあります。
 ところが、この捏造記事を掲載した編集担当デスクという張本人が、そこに登場してきて、はっきりとぼくに言ったのです。
「こんなことを指摘する、あなたのほうがおかしい」
 ぼくは、びっくりしました。
 ちゃんと記事の間違い、でっち上げを指摘するだけの証拠が揃っているのに、
 ぼくのほうを「おかしい」というのです。しかも、その理由が、
「今回の件は別としても、警察の交通事故捜査なんていい加減なものなのだから、嘘を書いたっていい」
 そこまでいうのです。

 その瞬間に、ぼくはもうひとつ別のことを考えました。
 ひょっとしたら、掲載記事を盛り上げる為に、意図的に交通事故被害者家族を騙して、事実を歪め、更に被害者を苦しめているのではないか。
 そうして悲劇のヒロインに祭り上げて、同情を集めようとしているのではないか。
 あるいは被害者の無知を利用して、情報を操作している可能性も否定できない。
 だとしたら、これは被害者(取材対象者)に対する甚大な人権侵害ではないのか。
 そこでぼくは手紙を送りました。
 その当時、朝日新聞社内に発足していた『報道と人権委員会』という機関に、事の顛末を報告したのです。

 すると、今度は同委員会からこういう主旨の回答が届きました。
「報道によって人権を侵害されたという当事者からの訴えでない限り受付はできない」
 呆れました。
 だったら、報道機関なんていらないんじゃないの?
 当事者が声を挙げない限り、アクションを起こさない、何も書かないのなら、取材なんて必要ないじゃない。
 例えば、かつて朝日新聞には筑紫哲也という記者さんがいました(のちにニュースキャスターを務めた有名な人です)。
 彼が取材して同紙の一面を飾った記事に、精神病患者の入院治療における人権無視を取り上げたものがあります。
 これだって、精神疾患を抱えた人々の声にならない声をすくい上げたもののはずです。
 そこにとてつもない違和感を覚えました。

 いや、いまにして思えば、もっと一貫性の無さを、言い換えれば〝ご都合主義〟を指摘することができます。
 1年前のいわゆる週刊朝日の「ハシシタ」報道で、朝日新聞社が橋下徹大阪市長に謝罪したとき、
 この『報道と人権委員会』が独自で検証に入り、見解をとりまとめています。
 当事者である橋下大阪市長は、当事者とはいえ、申し出は行っていないにも拘わらず、です。
「重大な人権侵害、及び朝日新聞出版記者行動基準に触れる行為があると判断される」
 と、委員のひとりが騒ぎだしたのがその理由のようですが、
 そもそも、人の命や人権に大きい小さいや、優劣なんてあるのでしょうか。
 あの当時と内部規定が変わったのだとしたら、
 いったい、いままでどれだけの人権侵害が見過ごされてきたことになるのでしょうか。

 ただ、当時としても虚偽報道の存否については、報道機関として黙っていられなかったようです。
 結局、同委員会はこの問題を週刊朝日編集部に振り戻してしまいました。
 そもそも、自浄作用も持ち合わせず、会話のできない輩が相手だから、こういう事態になったのに、まったく、責任放棄というか、事なかれ主義というか……。
 ぼくからすれば、振り出しに戻った、としか言いようがありません。

 さて、その当時の週刊朝日の編集長というのが、加藤明という人でした。
 この人は平気で編集部との約束(契約)を反故にしたり、裏切る人でした。
 しかも編集長でありながら「俺はそんな約束をした覚えはない」などと、横柄な態度で、権威を笠に着る典型的なタイプ。
 その被害にぼくは既にあっています(過去のブログに詳しいです)。
 この加藤明という人物、編集長の職を離れたのちに、朝日新聞夕刊の「素粒子」欄に、死刑執行を相次いで裁可していた鳩山邦夫法相(当時)を「死に神」と書いて物議を醸したことでも知られています。

 そして、この加藤明という人のあとを継いで、編集長に内部昇格したのが、よりにもよってぼくが指摘した捏造記事を掲載した編集担当デスクの鈴木健という人物でした。
 上記のような言動を堂々と表明するような人物を、編集部の責任者に据えるのですから。
 それどころか、鈴木健という人は編集長就任からほどなく、北朝鮮による拉致被害者だった地村保志、富貴恵夫妻の取材内容を勝手に録音し、「単独インタビュー」と掲載して猛抗議を受け、誌面で謝罪し、定職10日間の処分を受けています。
 編集長が定職だなんて、あり得ないでしょう! 普通なら更迭です。
 この時も鈴木健という人は「相手の承諾を得たものと理解している」などと、当初は言い張って(つまり、嘘を言って)逃げ切ろうとしていた程です。
 この時の、処分はあまりにも甘すぎたように思います。

 そして、何よりこの加藤明、鈴木健に、もうひとつ先代の編集長を加えて、消費者金融「武富士」からグラビア企画の編集協力費5000万円を受け取りながら社名を一切公表しなかったこと、つまり、「武富士」から〝裏金〟を受け取っていた問題が発覚して、処分されているのです。
 この問題を報じた当時の週刊文春には〝ブラック・ジャーナリズム〟とまで呼ばれて、指弾されています。
 もう根源からおかしいのです。

 一方で、捏造記事を指摘したぼくのほうはというと、
 編集部から依頼があって、取材対象者と連絡をとり、掲載済み記事の誤りを伝えた時点で、毎週送られていた『週刊朝日』の送本はパッタリと止みました。
 関係を絶ちにかかったのです。
 以来、編集部との会話もなくなりました。
 もちろん、ぷっつりと仕事もなくなりました。
 それどころか、ある編集部員は「アオヌマと仕事をすると揉める」とまで陰口を広めていたほどです。
 この仕事を続けたかったから、事実ももみ消せ! とでも言いたいのでしょうか。
 そこに内部的な権威主義を感じたのも事実です。
 お陰で『内部告白者はバカをみる』ということを朝日新聞社から教えていただきました。

 それと、最初に捏造記事を指摘し、鈴木健との間に入ったぼくの編集担当者(Oさん)。
 彼は『アサヒカメラ』の編集長にまでなるのですが、在任中に同じ部局内で、自殺しています。
 数年前のことになります。一部の週刊誌でも報じられています。

 そして、昨年の「ハシシタ」事件による編集長の更迭。慌てふためいたような『報道と事件委員会』の対応は上述の通り。

 それから、今回の現職編集長の懲戒解雇処分。

 ここ10年ほどの間に、
 これだけの編集部トップの不祥事が続き、自殺者まで出しているとなると、
 もう部内の風紀の問題なのでしょう。

 ただ、その一方で、ぼくの別の実体験から、ある疑問も湧いてきます。
 朝日新聞には尊敬に値する現場の記者さんやOBの方々もいらっしゃいます。
 どうしても一括りで、朝日新聞はおかしい、と言いにくいところもある。
 組織というのは、巨大化すればするほど、いい奴もいれば、悪い奴も沢山混じってくる。
 だけど、それだけで一極集中的に不祥事が積み重なるものでしょうか。
 疑問です。
 その謎を解くキーワードとして、新聞紙面を作っている側の人間から、こういう言葉を耳にしたことがあります。
 いまでこそ分社化していますが、あの当時に雑誌をつくる社内部署を称して、彼らはこう称していました。

「そこは、〝掃き溜め〟だから」

 あるいは、〝人材の墓場〟と聞いたこともあります。
 あ、いまや人気ドラマとなった『相棒』でいうところの特命係を「人材の墓場」というのとは違います。
 あれは、特命係に送り込まれた人材が堪えきれなくて職を辞していくことを称したのに、
 こちらは新聞で使えなくなった人材を送り込む、文字通りの墓場という意味です。
 もちろん、なかには雑誌を作りたくて自ら希望して配属になった人もいるでしょうが、
 ぼくが過去に受けた仕打ちや実体験から、
 それに、ここまで不祥事が続く現実からすれば、
 ほかでもない朝日新聞社内で評された、その表現は適切なのではないでしょうか。

 まして、現職にあった編集長が懲戒解雇なんて……。
 同誌の売上の落ち込みからしても、
 普通なら絶版です。
 社会的存在価値もない。
 いくら編集長の首をすげ替えたところで、
 もう土壌が腐っているのですから、
 立て直すことも困難でしょう。

 今回の懲戒解雇処分も、「ハシシタ」事件も、そしてぼくが味わされた苦痛の体験からしても、
 週刊朝日や『報道と人権委員会』の本質は何も変わっていないように思います。
 ぼくが捏造記事を指摘したとき、彼らは通報者を排除にかかった。
 くさいものには蓋をしろ、面倒な奴は追い出せ、黙らせろ、といわんばかりに。
 そうして自社の集団組織内の護身と利益を優先させた。
 次に「ハシシタ」事件で、時の人を怒らせてしまった。
 これは不味い。謝罪しろ。内部委員会を起動させて体裁を保て。そうすることで組織を自衛する。
 そして今回、内部のセクハラが問題化した。大きな声になりつつある。その前に沈静化させる。
 もちろん、セクハラの被害を受けた人たちはたいへんな思いをしたことでしょう。
 ですが、今回の処分を大局的にみれば、
 組織の内部事情や保身ばかりが優先された結果の解雇処分に過ぎません。
 元来ならば、労働環境もさることながら、自社で提供する商品にもっと厳しい視線が注がれていいはずなのに、
 捏造記事はもみ消されたまま、
 自社の利益ばかりを優先して、そちらの処分が大きくなるなんて。

 果たして、セクハラ行為の被害に声を挙げた社員や記者の人たちは、
 記事の信憑性に関する問題や、自誌が提供する記事のプライオリティーに、
 今回と同じように社内で声を挙げるこことができるのでしょうか。
 ぼくにはとても疑問です。

 いうなれば自己偏愛的な組織体質は相変わらずなのです。

 社会的存在意義もわからない。
 いっそのこと、掃き溜めはお捨てになったほうがよろしいのではないでしょうか。
 これだけ不祥事を重ねているのですから。
 そのほうが世のため人のためだと思います。



「四谷大好き祭り」の陰で大嫌いになりかけている心境についての考察

 うるさいな。
 昨日といい、今日といい。
 それも朝から。
 東京四谷荒木町界隈では、この週末の2日間、
 飲食店が中心になって、通りや路地に屋台を並べるなど、
「四谷大好き祭り」と称する催しものをしているようです。
 荒木町のど真ん中にある荒木町公園では、
 特設ステージを置いてスピーカーでライブをドンジャカやっています。
 四方をマンションなどの建物で囲まれた場所で囃し立てれば、
 音が籠もってしまってたいへんなのに、
 あそこまでスピーカーで音量を上げる必要があるのかしら?
 お陰で、うまいのだかへたくそなのかもわからない、
 けたたましいだけの騒音だけが響いて、
 うるさくて、堪らない。
 まったく、仕事にならない。
 とっても迷惑。
 そもそも近隣への配慮が足りない。
 そういう催しものがあるのだったら、
 事前に近隣住民に通知があってしかるべきなのに、
 主催者側からはなにもない。
 それもおかしな話だと思うのですが、
 まあ、それで楽しんでいる人たち、それも喜んでいる子どもの姿を目撃しちゃうと、
 文句も言いにくくなる。
 仕様がない、ここは少しばかり我慢しよう。
 そう思って大人ぶってはみるのですが……

 ぼくには、同じ界隈でどうしても我慢のできないことがひとつあります。
 仕事柄、署名原稿や本を書くこと、あるいはテレビに顔をさらけ出すこともあるのですが、
 それをいいことに、ひとりで食事をしたり、ひとりでお酒を楽しんでいるところへ、
 いきなり絡まれたり、罵倒されたら、みなさんは黙っていられるしょうか。
 それもわずか数ヶ月前に、とても信じられない体験をしました。
 お陰で「四谷大好き」どころか「大嫌い」になりかけています。
 少し長くなりますが、いい機会なので自戒を込めつつ、詳しく記録しておきます。
 熱くて息苦しくなるようなこの夏の思い出の続きをもうひとつーー

*****

 ぼくはよくお酒を呑みます。
 ここ1年ほどは、根を詰めた仕事も多かったので、深夜に人の臭いを嗅ぎたくて、よくバーに出没していました。
 荒木町が多かったと思います。

 荒木町はもう十数年来親しくしてもらっているのですが、
 最近、古い店が閉まって新しい店が暖簾を下げるという、
 いわば新旧交代が進んでいるように思います。
 いままではぼくよりも年上の職人さんが提供してくださる料理に感銘していたはずなのに、
 いつの間にかぼくよりも年下の人たちが、
 それもご夫婦でお店をもたれて、
 それも美味しい酒と肴を味合わせてくださる。
 それが歴史や伝統のひとつのかたちなのかと感慨すら感じています。

 そんな荒木町に震災のあとにできたバーがあります。
 仮に「A」というお店にしておきましょう。
 ぼくより若い女性のバーテンさんがひとりで切り盛りしている小じゃれたバーです。
 他のお店の経営者さんに紹介されて、のぞいてみたのですが、
 彼女の人柄も雰囲気も、それに提供されるお酒もとてもよく、
 深夜ともなると地元のお店の方々も通っていらっしゃいます。
 そこでいろんなお店を紹介してもいただきました。
 実際に、紹介されたお店にいってみると、
 新しい、若いお店ではありましたが、
 とっても料理が美味しかったり、雰囲気がよくて、
 仕事柄ご一緒させていただく編集者さんなども、
 気に入ってくださっている様子でした。

 さて、ある夜のことです。
 そのA店に、同じ荒木町で青い看板を掲げる「B」という店の経営者兼俗にいう“ママ”と呼ばれる女性が入って来ました。
 もう10年も前に、新宿でお店を構える知人に紹介されて、この「B」という店にも顔を出したことがあるのですが、
 あるときからばったり行かなくなりました。
 ひと言で言ってしまうと、客を選り好みして絡むのです。それも上から目線の横柄な態度で。攻撃的に。
 例えば、「おまえにそんなこという資格はない」「おまえにそんなこといわれたくもない」などと暴言を吐き、筋も理由もなくこちらをなじる。まるで不平不満の捌け口にする。人を見くびっている。
 それがとっても不愉快でしたし、お金を払ってお酒を楽しみにいって嫌な気分になるというのもおかしな話ですから、そんな店にはいかなくなりました。
 それでも、ずっと店が続いているのは、どこかマゾイスティックな人たちが、なじられるのを喜んでいたからでしょう(ぼくは御免ですが)。
 ところが、このBのおばさん、困ったことに、他店で行き会っても絡んでくる。
 ぼくがひとりでいても、ことあるごとに絡んでくる。それも攻撃的に。
 その度に不愉快な気分になる。
 だから、このおばさんが大嫌いでした。できることなら、顔も見たくない。意図的に避けていたことも事実です。
 そこに数年ぶりにA店で遭遇してしまったのです。
 ぼくは席を立ちました。顔を見ただけで不愉快になったものですから。
 そのとき勘定ついでに店員さんにこれまでの経緯を話しました。ぼくが彼女を見ると、どうしても不快になることもいっしょに。
 あとで聞いたところによると、行き違いにぼくが店を出たことに、彼女は「アオヌマと和解できるいいチャンスだったのに」などと言っていたようです。
 ぼくにしてみれば、A店にBおばさんが出入りしていると知ったことのほうが衝撃でした。

 それから数日経った日のことです。
 ぼくがA店にひとりでいると、再びBおばさんが入って来ました。
 狭いカウンター席はぼくの隣しか空いていません。
 女性のバーテンさんはすぐにBおばさんに駆け寄って事情を話したようですが、そんなことを意に介さないようにおばさんはずけずけと入ってきて、平然とぼくの隣に座りました。
 そして、彼女はいきなり吐き捨てるようにこう言ったのです。

「おう!アオヌマ! おまえの週刊誌連載読んだぞ」

 いったいどういう因縁や立場でそんな言い方をされるのかわかりません。
 しかも間髪を入れずにこう続けるのです。

「だけど、おまえ、大失敗だったな!あの記事は」

 異様に不快になりました。だけど、他にもお客さんがいるのですから、その場の雰囲気を壊すわけにもいきません。その態度といい、言動といい、抗議したいところをじっと堪えていました。すると、
「アオヌマ、読んだんだぞ」
 もう一度くらい言いました。仕方がないので「そうですか。ありがとうございます」というと、「大失敗だったな」と続ける。「あ、そうですか」と答えて会計を急がせる。バーテンさんは、そのやりとりを「おもしろーい」といって場を取り繕うとしていました。だけど、こちらは腹の底が煮えくりかえるほど不快で堪らない。しかも、そこで「どこが失敗なんだ!」などと言い返せば相手の思うつぼ。そこから会話がはじまって、一層攻撃的にこちらをなじりにかかる。
 過去の経験からもわかるのですが、結局、彼女はそうやってある対象を場の中で貶めることによって、満たされない自意識を満足させる。それで他のみんなが笑って盛り上がれば、なおさら嬉しい。そうして存在感を誇示し、自分より弱い人間の存在を確認して虚しさを癒す。まさに苛めの構造。
 しかし、それは独りの客として楽しんでいる相手にいうことではない。
 明らかにぼくを蔑んで絡んでいる。
 最初から横柄な態度をとる、それで許されると思っている。
 この女性は、どこか人格も歪んでいる。
 絶対に相手になどしたくない。
 さっさと会計を済ませて店を出ようとすると、彼女は捨て台詞のようにこう言いました。

「おまえよぉ−! 荒木町を歩くときはもっと明るい顔をしろよ!」

 なんでそこまで言われなければならないのか。まったく不快になって店を出ました。
 あらためて書き記してみても、彼女の言動は明らかに〝異常〟としか思えません。

 それから数日。
 A店でお酒を楽しんでいると、Bが顔を出すことしばしば。
 その度に、ぼくは店を出ます。
 あるいは、ぼくがA店をのぞくとBがカウンターに座っている。
 そうするとぼくは中には入らない。
 いままで快適に済んでいたことが阻害される。
 それがいつしかストレスになって溜まっていく。
 もちろん荒木町には他にもいろいろなバーがあって(だから楽しい)、他所にも向かうのですが、その度にこんどはBに対するぼくの愚痴が出るようになる。
 いわば同じ商店街の商売仲間ですから、彼らもBのことはよく知っている。
 意図的に愚痴っているところもありました。
 彼女の異常さをわかってもらおうと。
 その度にみんなぼくに同情的になってくれて、
「あとで、ガツン! と言っておいてやるよ」
 という人もいたのですが、
 あるときやっぱりA店をのぞいてみると、
 そのバーテン仲間さんたちがBを囲んで楽しくやっている。
 そんな場面にも遭遇して複雑な気持ちになりました。

 そして、またあるとき、ちょっとほろ酔い心地でA店をのぞいたことがありました。
 すると、Bがいたのです。
「なんで、あんな奴がいるんだよ……」
 溜まらず零すと、A店の彼女に言われました。
「Bさんだって、大切なお客様ですから!」
 あとになって考えてみると、それがすべてだったように思います。

「C」という店があります(これも仮に「C」と呼ぶことにします)。
 このお店もA店さんからのご紹介でよくのぞかせていただいていました。
 その夜は、他にお客さんは泥酔した男性がひとりカウンターに突っ伏していました。
 そこでやっぱりBの話になりました。
 最近、Bの話をすると、あの上から目線の絡み口調が「彼女の愛情表現だから」という人もいて、それを一所懸命に否定していました。
 あれを「愛情表現」というのは、暴力を体罰やしつけと言ったり、苛めを可愛がりと呼んだりするのと同じだと言っていました。
 そして、彼女の人格異常について語っていたときです。
 扉が開いて客がひとり入って来ました。
 バーテンさんが一瞬目を丸くしたので、誰かと思えば、なんと、
 BおばさんがC店に入って来たのです。
 さすがにびっくりしました。そして、たちまち嫌な気分になりました。
 このところ、ずっとぼくを襲う異様な不快感です。
 Bは平然とカウンターの前を横切ると、ぼくのひとつ席を隔てただけの隣に腰を下ろしました。
 ぼくはいつものように店を出ようとしました。
 数千円をカウンターの上に置き、立ち上がろうとした瞬間に、バーテンに向かった彼女の声が耳に響きました。
「久しぶりね」
 その瞬間でした。
 お酒も入っていて、彼女の不快な話をしていたのだから、我慢も限界にきていたのでしょう。
 ぼくは自分のグラスの中味をBの顔にめがけてぶち開けていました。不幸なことに(と、いうよりは幸いに)中味は小さな氷しか入っておらず、それもグラスが長かったから、あらぬ方向に飛んでいって彼女にあたることはありませんでした。
 てめえ!ふざけるな!
 たぶん、そんな言葉を発したと思います。完全に興奮していて、どんなことを最初に言ったのか、よく覚えていません。
 あってはならない汚い言葉も発したと思います。
 でもどうしても我慢できなかった。
 それから、俺に絡んでくるな!とか、何様のつもりだ!とか、そんなことを言ったのだと思います。ぼくがまくし立てていると、彼女はこう言い返しました。
「こっちは、読んでるんだぞ」
 相変わらず、でした。おまえの週刊誌記事を読んでやっていている。
 だからって、あんな口調で、人前で蔑んだように絡んでいいはずもない。
 いったいどういう立場で、この人はモノを言っているのだろう。
 その顔を見たくもない。
「だったら、引っ越せばいいじゃないか!」
 Bはそう言いました。
 それは、あなたが言ったからだろう。「荒木町を歩くときは、もっと明るい顔をして歩け」と。あんたみたいな奴がいるから、暗い顔になるんだろう。それをどういう立場で、何様のつもりで言ってんだ! だから、同じ立場でおまえにいってんだよ。二度と俺の前に顔を見せるな!
 彼女は言いました。
「そんなこと、言ってねぇよ!」

 あとで冷静に彼女の言動を振り返ってみると、
 やはりこの女性は「人格障害」なのだと思います。
 仕事柄、いろいろな刑事事件の裁判を見てきて、
 殺人犯の精神鑑定にも触れてきました。
 そこでは統合失調症までいかないものの人格障害と呼ばれる範疇にあると鑑定されることもしばしばです。
 最近では(と言っても震災の前になりますが)、法政大学のキャンパスで教授を刺し殺してしまった卒業生がこれにあたりましたし、
 通り魔にもこうした傾向が見られます。
 ひとり静かにお酒を嗜んでいて、いきなり悪態をつかれたり、暴言を吐かれて、絡まれるのも、通り魔にあったようなものです。
 彼女の場合は、そうやって選んだ相手を攻撃して、自己愛を満たす。
 自分の店にやって来る客をそうあしらうのであれば(それが好きな客がやって来るのだから)、それでいいかもしれない。
 だけど、それを自分も客として訪れた同業他社の店にいる客に絡む異常さ。
 荒木町という狭い社会の中に存在する人格障害者。
 その障害者を街が受け入れていっしょに生活している。

 気が付くとCさんに店の外に連れ出されていました。
 ぼくがキレてしまったその瞬間から、
 ぼくこそが疎まれる存在になったのです。
 ぼくがある日突然、一方的に不快な思いに落とされたように、
 Cという店にもとっても、ぼくがそういうことをしてしまったことになるのです。迷惑をかけたのです。
 理不尽だと思いました。
 ですが、Cさんにとってはぼくの言動こそ理不尽なのです。
 そして、また再び同じ過ちを繰り返さない為には、Bの存在を遠ざけることでした。
 それは結局、彼女と同じ空間を共有しないこと。
 でも荒木町という空間は彼女を受け入れています。
 人格障害者であっても「大切なお客様」として扱われるのです。
 商売仲間として和気藹々とつるんでいくのです。
 そうして商売を支え合うひとつの世界が成り立っていく。
 傷つきたくなかったら、ぼくのほうが放れていくしかない。
 一方的に傷つけられたはずなのに。
 たかが飲み屋さんの話です。そこに依存するつもりもありません。
 ですが、廃絶されていくぼくの人格にどこかで折り合いをつけるとしたら、
 人格障害者を受け入れて補完するエリアを嫌いになるしかない。
 おかしな街、異常な街と決めつけて納得するしかない。
 もちろん、荒木町という街にはもっと素敵な店が沢山あります。
 一緒くたにいうことはおかしい。
 ですが少なくとも、人格障害者といえども人を虐げて喜んでいるような輩とつるんでいる空間をぼくは忌々しく思う。

 ぼくの好きな小説のひとつに
 村上春樹の『沈黙』というものがあります。
 とても短い作品です。(前にも紹介したことがあります。)
 今回のことでその小説を再び思い出しました。
 いま、ぼくに向けられている沈黙も、この類のものなのだろうと感じています。
 彼女を取り囲む人たちは、そうやって静寂を保とうとする。
 でも、そうやって生活していく。

 Cさんにはとても悪いことをしたと思うけれども、
 これからもC店にはいけないし(なぜなら、ぼくが粗相をしたから)、
 また、行くこともないでしょう(なぜなら、Bが出入りする店だから)。
 これが街を心ならずも嫌いになっていく理由なのです。
 もうこんなおかしな空間に身を置いてはならない。

*****

「四谷大好き祭り」とはいうけれど、
 みなさんもおかしな輩に絡まれないように気をつけてください。
 いいお店はいっぱいあります。
 ですが、おかしな輩も少なからずいるのです。
 それもはっきりこちらが身体を張って抗議しないと、事態が理解できないような(いや、いまも理解できていないかも知れない)おかしな輩が。

 因みに、すべてを匿名で書いたつもりでしたが、
 そうでもなさそうなところが1カ所だけあります。
 まあ、同じ被害者を出さない意味でも、
 ご勘弁を……。


プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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