ダンコンの呪い

 辞めるにしても、あそこまで無様な醜態を晒すとは思っていませんでした。
 猪瀬直樹という人。

 彼を見ていると中島敦の著した『山月記』を思い出します。
 中国・唐の時代。詩人としても役人としても出世できなかった主人公が虎になる。その原因は、彼の持ち合わせた「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」にあった、というお話。
 ただ、猪瀬東京都知事の場合は、前任の知事の威光を借りて「虎」になったつもりが、実は小さな「猪」だった……というところでしょうか。
 彼が懺悔録を出すのなら、タイトルは懺悔をもじった『残月記』にして欲しいな。

 それにしても、
 いろいろ彼の素性やら評判は見聞していますが、
 やっぱりツッコミは一流だったようです。

 これは繰り返し週刊誌で取り上げられていることですし、
 いまさら隠すこともないのですが、
 ずっと以前に、
 歌舞伎役者さんと結婚もされていた綺麗な女性アナウンサーさんが、
 ある番組の中で台本にあった「団塊の世代」を「ダンコンの世代」と読み上げてしまうという事件がありました。
 すごく真面目な番組で、異様な緊張感の中で進行していただけに、
 たちまちスタジオの空気はどっちらけ。
 真っ白になって静まり返ってしまって、
 どうしていいのかわからないところに、
 むしろ空気を読めないようにツッコンだ番組出演者がいました。
「ダンカイ、でしょ」
 それが猪瀬直樹さん。たちまち番組スタッフは爆笑に。
 相手を追い詰めることはこの時から一流だったようですが、
 ここにはもうひとつ曰くが付きます。
 この時、番組のメインの司会進行役で、女性アナウンサーの隣にいたのが、
 実は、板東英二という人。
 今年「カツラは経費で落ちる」と発言して植毛を懺悔した(あれ?懺悔は脱税だったかな?)人です。
 これを奇遇というのか、あるいは仕組まれた偶然というべきなのか、
 はたまた「ダンコンの呪い」とでも呼ぶべきか、
 ここへ来て晩節を汚すように、
 言い訳をしては、ボロボロ崩れいくのはどうしてなのでしょう?
(あっ、そのテレビ局にしても苦戦を強いられているような……)
(ああっ、そう言えば、歌舞伎役者さんも今年……)

 それにしても、佐野眞一といい、猪瀬直樹といい、いったいノンフィクション作家って、なに!?   最近、同世代の編集者さんや知人によくそう言われます。
 ほんとうに恥さらしの「ダンコン世代」とでも呼びたくなる。
 諸先輩方に聞くところによると、
 昔、四谷辺りに番屋という店があって、そこで編集者や書き手が定期的に会合を開いて(彼らはそれを「番屋の会」とか「例の会」とか呼んでいたそうです)、その頃からふたりは仲違いをしていたそうですが(往々にして、佐野氏の剽窃や盗作を猪瀬氏が攻撃していたらしい)、
 奇遇にも、相前後して馬脚を現すところを見てしまうと、
 もう、その頃からぞんざいで先行きの暗い世界だったのでしょうね。
 そうでなくても、
 平気で嘘をつくジャーナリストなる輩は蔓延るし、
 出鱈目のトンでも本にノンフィクション賞を献上してしまう媒体や審査委員はいるし、
 もうウンザリ。真面目に仕事をすることがバカらしくなる。

 ……と、いうわけでチャレンジです。

 本が出ます。ぼくの本です。

 相当、苦労しました。中味もハードです。ハードボイルド・ノンフィクションといったところでしょうか。

 チャレンジの意味、おわかりいただけます?

(つづく)



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ツイッターがうるさい!……と思っていたら

 ツイッターがうるさい。
 人に勧められて触ってみたけれど、なにが面白いのかよくわからないところへもってきて、誰かをフォローしろ、7人はフォローしましょう、とか、今週のトレンドがどうのとか、言って来る。どう使おうがユーザーの勝手だろう、と思いつつ、独り言を呟くにも、それがどんな効果があるのかもよくわからない。
 フェイスブックもまた然り。
 へぇ!と思う情報もあるけれど、だいたい今夜の食事のメニューやら酒の肴やらが写真付きで更新されていて、そこからなにが発展していくのか、よくわからない。
(ごめんなさい。是々非々で本音を語らせてもらっています。)
 時代についていけなかったり、社会からドロップアウトしている証なのか、宝の持ち腐れというように利用方法を理解できていないだけかも知れませんが、存在意味がよくわからない。
 もっとも、このブログの立ち上げには相当の意味がありましたが、
 やはりいまでもモノ書きはブログなんてするものではないと思いますし(実際に、ずぼらで遅筆なぼくが根を詰めて原稿と格闘しているときは、ブログどころではなくなって、更新も滞っています)、
 誰かがいったようにウェブやネットいうのは暇人の文化なのではないか、と追認しかけています。

 そう思っていたら、最近、月刊誌や週刊誌で、ツイッターやらSNSやらを批判する記事が目立って飛び込んできました。
 どちらも同じ筆者で、同氏はツイッターやらSNSを推奨してきた立場にありながら、いまやこうしたものが日本を滅ぼす、と懺悔しているもの。
 やれやれ……と溜息が漏れます。
 原稿そのものにも思慮に欠けた論理破綻の内容が見てとれるのですが、
 そもそもツイッターやらフェイスブックやらは、道具に過ぎないでしょう。
 火や原子力と同じで、要は、それを使う側の人間、利用する側の問題です。
 そこへいくと、これらを利用して情報を発信する側が、嘘を発信することがもっとも重大な問題。
 あえて実名を挙げるつもりもありませんが、この筆者の軽佻さに加えて、嘘や虚報には、傍で見ていてもウンザリ。
 米国映画に『ニュースの天才』という捏造報道の実話を描いたものがありますが、日本のタブロイド紙に、ありもしない外国人記者のインタビューを捏造して記事にしてしまっているところで、もうお終いでしょう。
 報道媒体と違って、ネット利用者は自由に情報が発信できるだけに、検証システムがなく、それが劣化を招く原因にもなっているのでしょうが、相変わらず足下をみないというか、浅はかというか。
 同氏がテレビで顔を見なくなった理由を、あるテレビ関係者に訊くと、
「あいつは平気で嘘をつくから」
 既に見抜かれて放逐されて、居場所がなくなって、また文字の世界にやってきたというところでしょうか。
 それって、森達也といっしょだな、と話していたら、ふたりでメディアを批判する共著を出していて、まあ、某テレビ局員の失笑が止まらなかったこと!
 ネットと違って校閲機能も持ち合わせているはずの文字媒体が、いまさらながらにこういう輩を登用することが、ぼくにはよく理解できません。
 批判しているはずのウェブ社会よりも、劣化が進んでいる有様です。

 そう、最近の週刊誌記事は酷いものが目立ちます。
 やはり週刊誌でしたが、巻末に600回近く続く、髪型に気合いの入った女性ジャーナリストの連載コラムの中に、スラブティッチという街を取り上げたものがありました。チェルノブイリ事故のあと、約50キロの地点に建設されたものですが、同女史は福島の再興を引き合いに、この街を「子どものための夢の町」と持ち上げていました。
 びっくりしました!
 ここは「夢の町」どころか、原発事故処理のために造られた場所で、予算不足から造成も途中で断念、しかも街中では低線量被曝による心臓疾患を引き起こしてバタバタと住人が倒れていく、むしろ悲愴な町なのです。
 嘘じゃありません。だって、現地で寝食してきた張本人(つまり、ぼく)がいうのですから!
 ジャーナリストとはいえ、万能ではありません。
 だから取材するのですが、この女性ジャーナリストも他者から聞いた話をそのまま鵜呑みにして書いて、結果的に嘘を喧伝していることになっている。
 評価の問題もあるでしょうが、誕生の経緯や現地の実態も踏まえずに、生死の問題も絡む場所を「夢の町」と告知するのは重罪です。
 酷いものだと思っていたら、前出の輩とこの女性ジャーナリストが月刊誌で猪瀬直樹東京都知事を批判する対談をしていたのは、もっとびっくりでした。

 このブログを立ち上げたきっかけとなったように、
 嘘を書いておいてノンフィクションと自称し、そこに賞を与えてしまったり、
 他にも平気で嘘を書く御仁の作品が映画化されてしまったり、
 本来あるべき情報も正しく伝わっていなし、これでいいのか、甚だ疑問。


 ……と、いうわけで、チャレンジです。
 ……チャレンジをはじめます。

(つづく)



プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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