復刻『青ちゃん新報』「そんなことまでさせて、本当にいいと思っているのですか!?」証拠調べ最終版で裁判長が咆えた 2014年2月24日

復刻!青ちゃん新報2電子版 

ついに証拠調べ終了!
その直前に発した裁判長の詰問。
「そんなことまでさせて、本当にいいと思っているのですか!?」
そのとき平田被告は……
 また遮蔽だ。
 24日午前10時。東京地方裁判所第104号法廷ではじまった平田信被告の裁判は、またしても証言台を囲う遮蔽板が登場してくる。そして、アコーディオンカーテンを引いて、証人の入退廷すら見せなくする。
 その向こう側に出てきたのは、平田被告の大学時代の友人だった。マスコミの取材に合うのがいやだから、こうした措置をとっているのだとか。やれやれ。これじゃあ、公判といいながら、どんな人物がやって来ているのか、傍聴人のチェックができない。ひょっとしたら、裁判所を騙したオウム信者の仲間かも知れないのに。暗黒裁判の入口だな。
 だけど、そのあとに証言台に立った73歳になる高齢の女性は、遮蔽を必要としなかった。平田被告の伯母にあたる人物だった。この日のために、わざわざ平田被告の故郷の札幌からやって来たのだ。
 そして、その次に立ったのは、78歳になる平田被告の叔父。彼は帯広から駆けつけている。
 平田被告の親族は、傍聴人の前に顔をさらしながらも、身分を明かし、緊張する中で、身内のために一所懸命に証言をしている。これが当たり前の風景なのだろうけど、なんだか頭が下がる思いがする。まだ、平田被告にはこういう人たちがいるだけ、幸せなのだろうな。
 ふたりの証言によると、平田被告が指名手配されたあとの両親はとてもたいへんだったようだ。父親は会社を辞め、酒量も増えていく。そして、2006年に他界。父親が危篤に陥ったことは、滝本太郎弁護士のブログを通じて平田被告も知っていたという。その後、独りとなった母親は一軒家から札幌市内のマンションに移るが、精神的に追い詰められ疲弊したところで、叔父のいる帯広に移り住む。そこで本来の自分を取り戻すも、平田被告の出頭前の2011年7月に他界。
「出頭があと半年くらい早ければ、母親に会えた。姉もあと半年生きててくれれば、会えたのに」(平田被告の叔父)
 平田被告は出頭するまで母親の死を知らなかった。ただ、母親が平田被告にあてた手紙だけが残されていた。その書き出しには「お帰りなさい」とあったという。
 ふたりの証言が終わると、再び被告人質問に入った。
 ここで平田被告が、前回法廷で仮谷事件の遺族の仮谷実さんから、指摘を受けたことについて触れる。(→詳細は本紙2014年2月21日号へ!)
 
弁償金だって、
女に貢がせたカネだろ!!

 まず、謝罪文を「自己満足」といわれたことについて、
「非常に狭い自己の了見で書いたものなので、自己満足、自己憐憫的な部分があると、不適切だったと思います」
 また、上から指示されたことは、目的や計画を知らなくても、それを訊くこともなく、ただ従っていたことを「教団の体質」と呼んでいたことについては、
「仮谷実様がおっしゃったとおり、出家した当時、麻原への白紙委任状を渡したもいっしょで、〝自己の思考停止、思考放棄〟に差し替えていただきたいと思います」
 更には、出頭時にあった800万円について触れ、このうち400万円を仮谷さんへ、400万円をオウム真理教犯罪被害者支援機構に弁償のつもりで寄付している。ただし、それでも仮谷さんは、逃走資金として教団から出たものであるのなら受け取らないと証言したことについて触れ、
「正直、非常に驚きました」
 として、その金が約17年間の潜伏生活をいっしょに送っていた女性が働いてカネであることを強調する。彼女は整骨院で働き、給料袋ごと平田被告に渡しては、カネの管理の全て平田被告に任せていた。
 教団逃走時に持っていた1200万円は、女性が整骨院で働き始める東大阪市に移った頃には、「50万から70万、多くても80万円はいってない」ほどになり、ここから約14年間、女性が働いたカネを貯めて作ったものであるという。もちろん、平田被告はこの女性の働く整骨院の寮に潜伏し、飲み食いも全て賄ってもらうという、究極のヒモ男生活を送っていた。
 その800万円の使い道について、はっきりこう述べている。
「私は、直接かかわった仮谷様ご遺族への全額の振り込みを希望しました」
 だけど、それも出頭後、最初に接見して、のちに彼女の弁護人となる滝本太郎弁護士が振り分けを決めて手続きをしたもので、
「そのあとに、聞きました」
 だから、本音は全額を仮谷さんに弁償したい気持ちがあったのだ、ということを言いたいらしい。それがうまくいかなかった。
 しかし、だ。いくら弁償といったところで、そのカネすら、自分で汗水を垂らして働いて稼いだものではないのである。
 言い換えれば、弁償金すら、〝究極のヒモ男〟として女に出させているのだ。それで使い道がどうこう言えた義理か!?筋道から言えば、平田被告の弁償でもなんでもないのだ。
 なんだか、そういうところに「狭い了見」や「自己満足」の「思考停止」が働いている気がしてならない。この男が、どうしても軽いものに見えてしまう。
 被告人質問の最後に裁判長がいくつか質問しているが、そのなかに、この女性のことについて触れたものがあった。

平田信の本性とは
齊藤啓昭裁判長・法服 齊藤啓昭裁判長 VS 平田信被告平田信2 
裁判長「社会復帰ですがね、○○さん(女性の名前)が、ずっとあなたを待っていると言っていましたね。あなた自身はどうなの?」
平田「社会復帰のことですか?○○が待っていてくれる前提がありますけど、私個人としては負債者に対して弁償金を支払うために仕事をします」
裁判長「○○さんと、生活するの?」
平田「待っててくれるのであれば」
裁判長「自分自身はどうなんですか。いっしょに暮らしたいんですか」
平田「先のことを考えることはできませんが、待っていてもらう時間は減らしたいと思います」
裁判長「そういう意思は、○○さんに伝えているんですか」
平田「接見停止が解けたので、手紙を書いたりしています。あの!さっきの答えで、時間を短くとは、刑期を短くしてくれということを言っているのではなくて……」
裁判長「待っていてくれるなら、いっしょに生活したいということですか」
平田「はい」
裁判長「○○さんに、そんなに待たせることまでさせて、本当にいいと思っているんですか!?」
平田「(言葉に詰まる)…………本当にいいかというと、○○の気持ちには応えたいと思います」

 こういうのを、相手の身になって考えられない「教団の体質」というのか、女の気持ちを利用するだけの「ヒモ男根性」が染みついたというのか、平田信という男の本性を見た気がする。
 これはひょっとすると判決は厳しいかな。だって、裁判員は6人中5人が女性なんだもの。
 この尋問のあと、裁判の証拠調べは終了。次回、論告と弁論をもって、いよいよ結審する。あとは、判決を待つばかりとなる。





フクシマカタストロフ カバー・帯  http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148
スポンサーサイト

騒乱ウクライナの首都キエフに学ぶ東京のなすべきこと

来月で3年!『フクシマ カタストロフ』フクシマ世代

騒乱ウクライナに学ぶ東京の未来
 暴動による多数の死者を出し、政権の崩壊が進むウクライナ。チェルノブイリ原子力発電所は、このウクライナにあります。
 暴動の起きている首都キエフは、チェルノブイリ原子力発電所の取材の拠点として、長期間滞在していた場所です。
 あの独立広場が衝突の現場となり、死者が出ているなんて。

ウクライナの首都キエフの独立広場 ※写真はクリックすると拡大します
キエフ独立広場
 事態を伝える報道画像によると、写真の右側の建物は真っ黒に焼けています。屋上に突出しているのは巨大なモニター掲示版なのですが、これも破戒されていました。
 広場の荒廃ぶりに、少なからず衝撃を受けています。

キエフの子どもたちはいまでも検査を受ける
 首都キエフは、チェルノブイリ原子力発電所から100キロ余り離れていますが、いまでも子どもが幼稚園に入るときには甲状腺の検査を必要としています。検査を受けなければ学校に入ることもできません。
 それだけ、原発事故の被害が深刻だった場所でもあります。
 だとしたら、東京の子どもたちの甲状腺の検査も実施すべきではないでしょうか。
 東日本大震災直後に、確実に日本の首都東京も被曝しているのですから。
 東京の金町浄水場から甲状腺癌を引き起こすとされる放射性ヨウ素131が検出さて、政府が注意を呼び掛けたことが、その証拠です。あれは河川から流れてきたものではなく、東京上空から降り注いだものです。
 いま、福島県では相次いで子どもの甲状腺癌が見つかっています。

 そして、これが国外脱出を阻止されたヤヌコーヴィチ大統領。
 ぼくのすぐ目の前で演説をしているときの模様です。

ウクライナのヤヌコーヴィチ大統領 ※写真はクリックすると拡大します
ヤヌコーヴィチ

 場所はチェルノブイリ原子力発電所の敷地内。死者の慰霊碑の前。2011年の東日本大震災の直後の4月26日。ちょうどあの事故から25年を迎えた記念式典の演説。その中に「フクシマ」の言葉が繰り返し出てきました。
 その隣にいるのは、ロシアの当時のメドベージェフ大統領(小さい!)

ふたりの大統領

 この時から、見えない糸で繋がっていたのかも……。
 ふたりのスタンドマイクを結ぶ蜘蛛の糸が印象的でした。

蜘蛛の糸
※写真はクリックすると拡大します

 キエフの被災状況や東京の被曝の現実、争乱の中心にいるヤヌコーヴィチ大統領とあの時の記念式典の模様もぼくの本の中に出てきます。
 読んでみてください。そして、いっしょに考えてみてください。
 ぼくはいまでも、東京や首都圏の子どもたちにも甲状腺の検査は必要だと思っています。
 いまのフクシマに起きていることを知れば、なおさらです。




フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

復刻『青ちゃん新報』オウム裁判で初!裁判員と遺族が被告人に直接尋問!そして法廷は涙に… 2014年2月21日

復刻!青ちゃん新報2子版

平田信被告タジタジ……
裁判員、遺族の怒濤のツッコミ!
そのとき、傍聴席にいたのは!?
 朝、アラキくんがいた。
 オウム真理教、というよりはアレフの広報部長として顔が日本中に知れ渡ったアラキくんだ。
 東京地方裁判所で開かれる平田信被告の公判傍聴券の抽選にひょっこり並んでいた。トレードマークのような眼鏡にマスク、青いジャンパーに、ベージュのパンツ、それによほど寒かったのだろう、サンダル履きなのに靴下をはいている(だったら、靴を履けばいいのに!実に不思議だ)。
 アラキくんは抽選に当たったらしく、午前10時開廷予定の第104号法廷の傍聴席にも姿があった。
 だが、この日は予定時刻に傍聴人を入れて法廷内撮影が終わると、齊藤啓昭裁判長が傍聴席に向かって言った。
「いったん入ってもらって申し訳ないんですけど、順番を変えて被告人への裁判所の補足質問からはじめようと思います。10時30分からはじめることにします。いったん出てください」
 きっと、裁判員との質問の打合せもあったのだろう。前日の被告人質問に引き続き、裁判員や裁判官がどんな質問を平田被告にするのか。
 法廷の外に再び追い出されて、待つこと30分。再び入廷が許可されて開廷。そこから裁判所の被告人への質問が飛ぶ。
 最初は、仮谷事件について、裁判員から左陪席、右陪席、裁判長の順に。そして次に、爆発物・火炎ビン事件について、同じ順番に。いずれも、それまでの供述の矛盾点やおかしな点を、裁判員も厳しく突っ込んでいく。それから、強制捜査があって逃亡生活から出頭までの経緯について、尋問が進んだときだった。いままでの証人尋問でも一度も質問をしたことのなかった裁判員のふたりが、はじめて「私から質問します」と口を開いた。どちらも女性だったが、これが強烈なパンチのように響く。
 まず、最初の女性裁判員。
「あなたは、昨日、出頭したことの理由に、これで死刑の執行は延びる、麻原以外の信者の死刑の執行は勘弁して欲しい、といいましたね……」
 そうなのだ。この前日に同じ法廷で行われた被告人質問で、弁護側からこういう質問があった。
「あなたは、出頭したとき、これで麻原の死刑の執行が停止するという考えはありましたか」
 平田被告は答えた。
「麻原についてはありません」
 麻原については? じゃあ他の死刑囚についてはどうなんだ? 当然、そこに質問が及ぶと、
「正直言うと、ありました」
 え? 出頭目的は、かつての仲間たちの死刑執行妨害にあったのか?
 さすがに、ここを検察官も突っ込む。すると、
「麻原以外は、執行を勘弁してもらえないでしょうか、という気持ちです」
 それは、執行が延びることを期待しているのか、問われると、
「それは否定しない」
 と、答えたのだった。これを受けての裁判員の質問。
 平田被告が、前日の供述を認めた上で、裁判員が突っ込んだ。
「その時に、真っ先に、被害者や遺族の気持ちを考えなかったのですか!?」
 それはない、と咄嗟に答える平田被告だったが、さすがにそこから先はタジタジとなっていく。
 そこに続いて、もうひとりはじめて発言するちょっと年配の女性裁判員。彼女は、いっしょに約17年間の逃亡生活を送った女性のことについて触れた。
「巻き込んでしまった彼女を、途中で解放してあげようという気持ちはなかったのですか」
 平田被告は、ああだこうだ言葉を繋いでも結局「弁解の余地はない」と答えるしかない。
 平田被告の……と、いうよりは、オウム信者たちの身勝手さを鋭く突いている質問に、裁判員たちが被告人をどのように見ているのか、その一端が垣間見える。
 そして、その鋭さは、このあと証人尋問に立った被害者遺族の仮谷実さんの言葉に実直に現れていた。

遺族の教団分析と裁判批判
 それは、検察官から処罰感情について訊かれたときだった。仮谷さんが答える。
「処罰感情ということでいえば、この裁判は、加害者の視点でこれまで裁判が進んでいるという点です。それはどういうことかというと、ひとりひとりの役割が刻まれている。被害者仮谷清志にしてみれば、住まいを見張られ、尾行され、拉致され、麻酔を受け、ナルコという拷問を受け、さらに麻酔をかけられ、結果的に死に至っている。仮谷清志は十数名によって死に至らしめたことになっている。ところが、これが裁判になると、加害者の役割が細分化され、私は運転手だ、私は引き込んだだけ、と、遺族から見たら非常に不満になっている。その一方で、被告人の証言を聞いていると、〝オウムの体質〟という言葉がよく出てくる。上司の命令に従う、それだけで誰もなんの目的か訊かない、当然、計画を訊く由もない。私たちは、白紙委任状を出したり、井上や村井との連帯保証人になっていると受け取らざるを得ない、つまり、いっしょなんですよね。同じ罪を犯している、そういうふうに受け止めざるを得ないと思っている。ですから、計画、目的を知らないではなく、このオウム真理教が犯した事件については、他のものと大きく異なるものでないかなと、私としては感じています」
 冷静に語る遺族の仮谷実さんだったが、その前の尋問では、これまでの裁判でも見せたことのないほどに、嗚咽を漏らす場面があった。再び、裁判の場所に立ち、そして被害者参加制度を利用して、父親が死んでいく(と、いうより殺される)話を直接耳にすることが、彼の感情を昂ぶらせていたのかも知れない。
 仮谷さんの長男だった実さんは、事件のあった年の6月頃、呼び出された検察庁の辺鄙な会議室で「逮捕した教団の複数の証言から、仮谷さんは残念ながら亡くなっている、ご遺体は灰にまで焼却され本栖湖に流されました」と告げられる。
「その場では、そうか、ということで家に帰りましたけど、その夜は………涙が止まらず、ゆっくり眠ることができませんでした」
 言葉につまり涙を流す遺族。
「教団側も、証拠隠滅ということで生きて返すことはないだろうと感じていましたが、母も妹も、そうか、と受け止めていましたが、母とか妹の様子を見て、私が思いやる……(咽ぶ)……だけの、余裕が私にはありませんでした……」
 それから、警察関係者に遺灰を流された本栖湖に案内されたときのこと。
「案内していただいたとき……そこの石をいくつか拾い……そこに父の遺灰が付着しているものと、骨壺に死亡認定書と、父が使っていた眼鏡を入れました」
 気が付くと、裁判員も、ひとり、ふたり……とつられるように、いっしょに泣いている。
「私の親族は、おじいさんもおばあさんも看取っている。そこには遺体がある。その遺体は、お別れをいう……(咽び泣き)……遺体はお別れをいう最後のお別れと思っています。心残りと思っている、いまだにお別れのできていない現状で、いま父が帰ってきたら、なんら疑問に思うことないと思っている。父の死をうけいれることはできません」
 遺族にとっては、時間は止まったままだ。そして、確実に歳をとり、堪えきれない感情が、再びこの場で堰を切ったように流れ出す。これまで以上に。
 このあと、仮谷さん自らが「被害者参加人」として、直接被告人に質問に立った。
 質問したのは、主に3つのこと。
 ひとつは、父親の死について。これは、平田被告が死の原因を「聞いていない」ことからすぐに次の質問へ。
 2つめは、平田被告が送って来た手紙について。そこには、仮谷事件が「逮捕監禁致死」で殺人罪でないことを平田被告も疑問に感じていたこと、それに、謝罪したいと言及しながらも、その謝罪で「自分はなにをしたらいいのか、答えが見つからない」「そもそもそんな答えなんて初めからないことはわかっている。でも、考え続ける」などという主旨のことを書き綴っていることについて、「これは自己満足の手紙ではないのか」と追及したこと。
「被告人本人が自分に対してどうすべきか考えるべきで、私たち遺族にメッセージを発信すべきものでない。その上で、答えのないものを考え続ける、というのは自己満足でないのか」
 さすがにこれを指摘された平田被告。
「いま、あらためて読み返してみて、自己満足であり、自己憐憫だったと思います」
 そして、3つめ。和解書について。平田被告と遺族は被害弁償で和解している。その中に、10年分割で毎月弁償金を支払い続けるという条項がある。仮谷さんが償いの証を示し続けて欲しい、と望んだもの。やはり過去に2人、この条項を盛り込んで和解した共犯者がいたが、いまでは2人とも完済前に支払を滞って音信不通だ。
 その約束が果たせるか、被告人に直接問い質し、確約させたのだ。
 その意味するところが理解できているのかどうか、迫ったのだ。
 向こう10年は、加害者を手放さない。毎月、事件を思い起こさせる。仮谷さんも手厳しい〝償い〟を求めたものだ。
 だが、それが遺族の気持ちである。
 なのに、オウムの元信者たちは、その期待すら裏切り続ける。
 そして、この日のこの法廷での最大の裏切り。

おい!聞いてるのか!?
 そんな裁判員や遺族の言葉を、わざわざ法廷に脚を運んだアラキくんはどう聞いたのだろうか。
 傍聴席に彼の姿を探してみる。
 ……って、アラキくん、なんと法廷中央前方2列目の席で、うつらうつら、居眠りの真っ最中。
 さすがだ! これこそが、オウムなのだ!
 なんだか、後ろから頭を引っぱたいてあげたい衝動にかられる。
 さすがに、見ていた裁判所の職員が彼を揺り動かし、寝ないように注意している。
 いったい、彼はなにをしに裁判所へ来たのだろう?
 裁判員や遺族の言葉に何を感じているのだろう?
 そして、そこにさらけ出される被告人の姿がどう映ったのだろう?

 去年の6月のことになる。
 あるシンポジウムのあとの親睦会で、ひとりの老婦人から声をかけられた。笑顔で、グラスに飲物を注ぎ足してくれた。そして、横にいた彼女のご主人を紹介してもらった。彼らの息子さんは、オウムに入信したまま、いまや音信不通で連絡もとれない、といった。ちょうど、あなたと同じくらいの年になる、と彼らはいった。そして、そのあとだった。この老夫婦の名前が「アラキ」ということを知ったのは。
「どこかで逢う機会があったら、どうぞよろしく伝えてください」
 そう言われて、笑顔で別れた。
 ごめんなさい。今日はどうしても、声をかけることができませんでした。

 そうやって、いつの間にか何かを裏切っていくのかもしれない。





フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

復刻『青ちゃん新報』平田信被告って、黙秘してたんだ!……出頭したのに?

復刻!青ちゃん新報2電子版

へぇ〜!!
平田信被告って、
取り調べで「黙秘」してたんだ!
……出頭したのに!?
 19日午前10時から東京地方裁判所第104号法廷で開かれた平田信被告の公判で、平成23年12月31日にわざわざ潜伏先の大阪から警視庁に出頭してきた平田被告は、直後の取り調べで「黙秘」していたことが明らかになった。
 この日、行われた被告人質問で、弁護人が平田被告に、最初に逮捕された仮谷事件の取り調べのあと、再逮捕されたいわゆる爆発物事件、火炎瓶事件について、「取り調べで全てを話しているか」と尋ねたところ、平田被告は、
「いえ、全ては話せませんでした」
 と、きっぱり。その理由として2つ挙げている。そのひとつが検察官への不信。
「仮谷事件の供述調書を作成して、自分で確認して、自分のいった言葉が変換して使われていた。『こんなこと言ってないんで、ここ変えてください』というと、検事さんは『いいじゃない、意味は同じなんで』といって訂正に応じてくれない。それでもまだ抗議をしていると、『どうして、そんなところにこだわるかなぁ〜』といって、不信が作られました」
 そんな取り調べがあったのが平成24年1月17日か18日頃。その模様も含め、検察官の取り調べ状況は全てDVDに録画されているという。
 それともうひとつの理由。
「爆発物事件と火炎瓶事件があって、そのあとに地下鉄サリン事件がある。時系列でいうと、あとの地下鉄サリン事件を取り調べでいきなり持ち出されてびっくりしまして」
 言うまでもなく、平田被告は地下鉄サリン事件では逮捕も起訴もされていない。
 で、それに驚いた平田被告が弁護人に相談したところ、
「黙秘することにしました」
平田信2
取り調べでの〝黙秘〟を語った平田信被告
 
被告人質問はじまる
 平田被告に対する被告人質問は、週明けの月曜日17日からはじまっていた。まず弁護側が尋問に立ち、オウム真理教と出逢った経緯から、入信、出家、教団内での境遇などからはじまって、起訴されている3つの事件について、裁判のなかった昨日を空けて、今日も引き続き平田被告の弁護側の質問が続いていった。
 そこでの印象をひと言でいうのであれば、被告人のどこからともなく醸し出す〝軽さ〟だった。
 それは、彼の淡々とした語り口にもあったのかも知れない。場慣れしたお役所の受付係のようにすたすたしゃべる。だけど、それだけではない。話の内容にもある。まるで当事者ではなく、他人事を話しているようなのだ。
 例えば、およそ17年に及ぶ逃走生活(と、いうより潜伏生活、いや、もっとハッキリいれば究極のヒモ生活)を支えた女性と、教団内で出逢った〝キリストのイニシエーション〟の監督では、違法薬物を使用していただけに死亡者も出ているのだが、
「最初の2名は、私が(監督役に)入る前、そのあとは3名ほどが亡くなったと聞いています。私が入った期間にはないです」
 と飄飄と語る。……でも、そんなに人が死んでいたら、それこそ大騒ぎだろう!
 仮谷事件についても、仮谷さんの妹さんの名前を聞いた時も、
「下世話な言い方ですけど、名前が年寄り臭くなく、未成年の女性かなと。麻原が未成年の女性を連れてきてはべらかせていたから、未成年で美人かなと思いました」
 で、現場に向かったところで、教団のワゴン車の後ろについていた乗用車に荷物を積み込んでいたら、たまたま誰もいなくなって、仕方ないから自分が運転席に乗り込んでそのままでいたら、女性(未成年で美人)を家族から救出するはずが、いきなり目の前で男性をワゴン車に押し込むのを見て、びっくり!
「なんなんだろうと、ぼうっと前をみていました。自分を落ちるけるために」
 だから、事前に拉致の話もなければ、役割分担の謀議もない、と事件を仕切っていた井上嘉浩や中村昇とは真っ向から食い違う主張をするのだ。
 そんな調子で、この日も被告人質問が続く。
 爆発物事件は、杉並の一軒家で横になってウトウトしていると、林泰男に「もう帰っていいよ」と声をかけられた。で、起き上がって、隣の部屋に行くと、のちの地下鉄サリン事件の実行メンバーと井上が何か話をしている。井上の斜め後ろに立って、井上の手にしていた紙を何気なく覗き込んだところで(そこには地下鉄サリン事件の運転手役の名前があった)、振り返った井上と目が合った。「オレ、もう帰っていいんだよね」確認をすると井上が「うん、いいよー」といった直後にやや間があって「その前に、ちょっと付き合って」と言われた。コンビニかファミレスに行くのだろうと思って付いて行って、見ているように言われた現場のマンションの前で車を停めて待っていると、井上が玄関に入って出ていった。で、いきなり爆発。
「まず、わりと乾いた音、パーンという音がしました」「2〜3秒おいて、わりと大きな音、ドーン!と爆発しました」
「そりゃ、もう、びっくりしました」「思わず、わっとのけぞりました」
 びっくりしてその場を離れた平田被告は、事前に何も聞かされていなかったことに、「井上に文句のひとつも言いたい気持ち」で杉並の一軒家に戻ると、玄関を上がって廊下の向こうにいる井上のもとに「あの野郎!」とばかりにズンズン歩いていって、
「あれ、なによ!」
 と、文句を言いかけたところで、談笑していた井上はすっと手を挙げて、平田被告を制止し、「大丈夫。人を傷つけることが目的でないから」とひと言。それで、
「虚を突かれたというか、一瞬、えっ!と思って、動きも気持ちも止まってしまいました」
「一瞬、頭が真っ白になったというか、怒りあり、動揺あり、緊張あり、驚きありで、心の振り幅が大きい。緊張から安心みたいに、井上の言葉を素直に受け入れてしまった。あ、そっか、人を傷つけるつもりじゃなかったのか、と……」
 で、気が抜けたようなところで、「このあと青山をやったら完璧だ!」という井上につられて、南青山にあった東京総本部道場へ火炎瓶を投げ込みにいっしょに行っちゃった、というわけ。
 そして、弁護側の被告人質問の最後に、取り調べ状況について訊かれ「黙秘」の事実を明らかにしたのだった。

『小さな幸せ』に徹底抗戦!
 さあ、ここから検察側の尋問がはじまる。取り調べの調書にあることと、これまでの被告人質問で、法廷でいうことと違うものだから、検察はそこのところをネチネチ突いてくる。だけど、決定的な詰めにどこか欠ける。そこで、最後に年配の検察官が立った。ずっと以前からオウム裁判の公判を担当していた人物で、黒縁の眼鏡をかけ、下あごが器用に動くしゃべり方をする、まるで『サンダーバード』の人形のようだ!
 このサンダーバード検事(以下、バード検事)が、冒頭の件について尋問した。

バード検事「1月17日の調書で、言葉が変換されていたといいましたね。どこの部分ことですか」
平田「どこの部分と言えません」
バード検事「1月17日は取り調べがないから、1月18日付けの調書になるが、あなたがなぜ出頭したかという理由の調書で、言葉にこだわったのではないですか」
平田「たぶん、そうだったかもしれません」
バード検事「平成24年1月18日付調書にある、いっしょに暮らしていた女性との関係で『小さい幸せかも知れないけれど、いっしょに暮らしていたい……』といった、この『小さい幸せ』という言葉にものすごく反応したのではないですか」
平田「私は、そういうことを言ってないのに、どうして入れているのか、と」
(え?事件とは関係ない部分なの!?)
バード検事「その時に、小さい幸せについて『いろんなものが交錯していて、いまうまく言えない、でもそれで結構です』と言って納得したのではないですか」
平田「そのやりとりに凄く疲れていて、そう言ったと……。でも、それだけでないと思います」
バード検事「それだけでないなら、言って」
平田「いま、思い出せません」

 つまり、究極のヒモ男だった平田被告は『小さな幸せ』という、事件とは直接関係のない言葉にこだわって、検察官との信頼関係を失っていったというのだ。それで黙秘に走る。
 取り調べの録画映像はすべて見た!というサンダーバード検事。

バード「45分間、あなたも検察官もひと言も話さないことがありましたね」
平田「ありました」
バード「どうして率直に事情を話さなかったの。言わないと伝わらないのでは」
平田「黙秘の理由を黙秘したんです」

 この日の最後に裁判長も確認する。

裁判長「確認ですけど、『小さい幸せ』に違和感は、あることはあったの?」
平田「それはありました」
裁判長「その他にもそうしたことはあったのですか」
平田「今すぐ、ぱっとは出てきません」

 わざわざ出頭して黙秘する。『小さな幸せ』にこだわって。検察官との信頼関係を失う。
 そもそも、国松警察庁長官狙撃事件の犯人に仕立てあげられることを怖れて、逃げ回っていたんじゃなかったの?そんな捜査機関を本当に最初から信用していたのかな?
 だいたい、出頭の理由に東日本大震災に不条理を感じたからじゃなかったの?非のない人たちが大勢亡くなった。そこにオウムの被害者の姿を重ね合わせたから、けじめをつけるつもりだったんじゃないの?
 で、『小さな幸せ』が気に食わないから黙秘?そりゃあ、ひとそれぞれこだわりや思いはあるだろうけど、人の死というものと真摯に向き合って、自分の犯した罪を受け入れようというのなら、そこで黙秘なんてするかな?
 なにかそこにオウム特有の身勝手さを感じてしまうのは気のせいだろうか。
 出頭して黙秘だなんて、それが被告人の軽さなのか、それともご都合主義の一端なのだろうか。
 いっしょに逃げた女が見て、そして惹きつけられたという彼の「誠実さ」とは、いったいなんなのだろうか。
 被告人質問はまたまだ続く。その間に、彼の正体も見えてくるのだろうか。




フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

剽窃者たちの系譜

 本を出版する、ということは、とても嬉しいことだけど、
 同時に、とても嫌な思いをしたこともあるので、
 そのエピソードについて触れてみます。

『帰還せず 残留日本兵六〇年目の証言』という拙著が新潮社より単行本として出版されたのは、2006年のことになります。その後、2009年には同じタイトルで、文庫化もされています。
 これは、ちょうど前の年、2005年に戦後60年の節目を迎えて、戦地の東南アジアからの帰還を望まず、自らの意思で現地に留まった元日本兵の方々を取材したものです。なぜ、あなたたちは日本へ還らなかったのですか。その理由を尋ねることをコンセプトに、同年『文藝春秋』にて掲載されたルポを基調に一冊にまとめました。ですから、本著には初出が(そしてお世話になったのも)『文藝春秋』であることも、きちんと記載があります。
 ところが、この本が出て、直後のことです。
 産経新聞社から『未帰還兵(かえらざるひと) 六二年目の証言』なる本が出版されたのです。
 びっくりしました。取材対象者もいっしょ。いや、それどころか構成もほぼ同じで、しかも、随所に同じ文章が出てくる。藤田松吉さんという、タイの内地に留まっていた方の登場場面なんて、まったくページをなぞったように同じでした。
 ぼくが現地を取材するずっと以前にも、同じ取材対象者を取材して、出版されている著作物もあります。だから、同じ人物を取材するな、とは言いません。だけど、これは酷すぎる。コンセプトからはじまって、まったく同じ本を作ったとしか思えない代物です。ご丁寧に、巻末の参考文献にはぼくの著作名まである。
 当時、ぼくは日本文藝家協会にも相談しました。
 懇意にしていた弁護士さんにも相談しました。
 そこで、あれやこれや議論もあったのですが、結局、小説のタイトルに著作権がないように、著作権法に問うことはできないということでした。微妙に文章を変えていることもありましたし、それでも過去に法廷に持ち込まれた判例をみると、裁判所もあえて騒ぎを避けるように深く追及することをせず、法廷闘争の効果がないことは明らかで、むしろ時間と手間がかかって面倒なだけ。本来なら、そうした面倒を乗り越えてでも著者の権利を守るのが日本文藝家協会のような気もしたのですが、結局、こうした問題は作者の良心に委ねられるものなのだそうです。
 それだけに、かえって、嫌な思いがしました。明らかに剽窃なのに。
 だいたい、タイトルを見比べただけでもその異常さに気付くでしょう。

『帰還せず 残留日本兵六〇年目の証言』
『未帰還兵      六二年目の証言』

 それで取材対象者がまったくいっしょなのですから。
 この産経新聞社の出版物の作者は同じ産経新聞の記者なのですが、実はこの記者、過去に日経新聞の記事を盗用したとして、処分された経歴の持ち主だったのです。
 やはり、盗み癖は治らないのでしょう。
「そういう奴(盗用者)は、必ずまたやる」そう教えてもらったのも同じ新聞のベテラン記者さんだったのですが……。
 中国の商品パクリなんて、もはや糾弾もできないほどに始末が悪い日本の現実です。

 それと、もうひとつ。
 本を出した3年後に『花と兵隊』というドキュメンタリー映画が公開されています。
 これが、まったく同じ取材対象者を取り上げたもの。
 しかも「なぜ、あなたは還らなかったのですか」というコンセプトまで、はっきりと打ち出している。
 取材開始時期は、明らかにこちらの初出のあとです。
 記録映画、映像にしたのだからいいだろう、という次元で許されるものではない。
 いや、それどころか、映像まで盗んでいるのですから、驚きです。
 ぼくの『帰還せず』の表紙は、単行本も文庫本も、タイに暮らしていた中野弥一郎さんに出征当時の額縁写真を掲げてもらっている写真です。取材当時に、ぼくが中野さんに頼んで、ぼくが撮影しました。
 これとまったく同じポジショニングの画像を撮って、この作者は喜んでいるのです。
 明らかにパクリです。剽窃です。
 しかも、ここに登場してくる人たちのなかには、終戦後すぐに帰国して、いまも日本と往来のある人までいて……。まったくコンセプトとずれている人たちまで登場させて「未帰還兵」としているのですから、さらに悪質です。
 それをまた本にしちゃって……それが許されると思っているのだから、どうかしている。

 もう、とても苦労して、せっかくいい仕事をしたと思っても、端からこうして盗まれていったのでは、堪ったものじゃありません。
 ほんとうに嫌な思いはするし、次につなげるモチベーションも急下降する。
「他人に真似のできないものを作ればいいだろう」という人もいますが、
 そんな次元の問題ではない。
 守るべき最低限の不文律や良心を失って、業界全体が腐っていくのだから。

 因みに、剽窃映画を撮って喜んでいるこの映像作家。
 よりにもよって、東日本大震災をテーマとした『311』というドキュメンタリー映画で、なんと、森達也とつるんでいるのですから、もう言葉もありません。
 類は友を呼ぶ、とは言いますが、森達也も平気で人の著作を盗む人。

<ブログ>破廉恥
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

 やっぱり嘘つきや泥棒は結託するのでしょうか。
 それとも、彼らのいる記録映画やドキュメンタリー映像の世界こそが、虚偽と剽窃の世界なのでしょうかね。

 同じことをやられたら、もう黙ってはいませんが……!



フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

復刻『青ちゃん新報』♪雪はぁ〜 降るぅ〜〜 ♪あなたは来ない〜〜 バレンタインデーに振られた平田信の自業自得 2014年2月14日

復刻!青ちゃん新報2子版 

あれ?ハッピーバレンタインのはずが……
 ♪雪はぁ〜 降るぅ〜〜 ♪あなたは来ない〜〜
 ……って、アダモの名曲あるけど、本当に証人が来なかった。
 首都圏が朝から雪に見舞われた14日のバレンタインデー。東京地方裁判所では、雪にも負けず、予定通り平田信被告の裁判員裁判が開かれた。
 ところが、齊藤啓昭裁判長が午前10時に開廷を告げるやいなや、
「本日、取り調べの証人ですけど、出頭がありませんので取りやめといたします」
 それも、出廷できない理由というのが、生憎の雪によるものでもなんでもないのだ。
齊藤啓昭裁判長・法服 齊藤啓昭裁判長

 本来だったら、ある意味で今日は、とってもロマンチックなバレンタインデー(それも、〝ホワイトバレンタインデー〟)になるはずだった。  
 と、いうのも当初の予定では、この日に平田被告と約17年間の逃走生活を共にした元女性信者が証人として出廷するはずだったのだ。そうすれば、2011(平成23)年の大晦日に平田被告が出頭して以来の、2年1ヶ月と14日ぶりの再会が、まさにこのバレンタインデーの日に実現することになる。裁判所も、粋なことをやる!(もっとも、裁判所にバレンタインデーは関係ないが)と、思っていたら、予定が狂いはじめる。
 10日月曜日に出廷予定だった証人が、突如キャンセル。それで「内縁の夫婦」を自認する彼女が、代わって出廷し、再会を果たすどころか、平田公判の欠番をフォロー。さすが内助の功といったところか。
 代わって、この日、その証人が出廷するはずだったのだが……。
 その証人というのが、平田被告と同じ3事件で起訴され、しかも、仮谷事件においては、死亡した仮谷さんの遺体の首を絞めさせられた人物。それだけに、犯罪に手を染めさせるように仕向けていった教団に対する怒りも強く、彼自身の公判では証人出廷した共犯者のチャラチャラした態度がよほど気に入らなかったのか、「なに、笑ってんだよぉ〜!!」と被告人席からガンを飛ばして、裁判長や弁護人から諫められたほど。いまは刑期を終えて出所、社会復帰している。
 裁判長の言葉のあとに、弁護人が立ち上がって意見したところによると、「ある通信社」(としか弁護人は言わなかった)が、彼の証人出廷を知って、彼の現住所に手紙を書いて送った。で、これを受け取った証人が、早い話が、怖じ気づいて証人出廷を拒んだ、ということらしい。
 やれやれ。なんなんだ?この裁判。
 通信社も余計なことをする。幹部でも主犯格でもない、こんな証人に手紙を送って、どうするつもりだったのだろう。相手は、自分の現住所が知れていることに、家族共々かなり驚いたようだ。
 とはいえ、証人もどういうつもりなのだろう。確かに、罪は償ったかも知れない。刑期を終えて社会復帰している。ひとりの一般社会人に戻ったかも知れない。だけど、人には消せない過去もある。オウム事件というのは、一般社会に教団組織が攻撃を仕掛けた事件でもある。罪を償うにあたってあったはずの「反省」という言葉は、その後の生き方にも通じるものではなかったのかな。オウムという組織に所属していた自分を、どう精算したつもりなのだろう。もう刑期は終わった、自分には関係ないで済むものなのかな。
 地下鉄サリン事件では、あの日、自身も被害に遭いながら、それでも同じ車両に乗り合わせていて、亡くなってしまった人の様子を悲愴な表情で証言する、まったく教団とはなんの関係もない普通の人たちの姿があった。当時を振り返るにあたっては、涙を流して言葉に詰まる一般女性だっていた。辛くても、社会人として責任を果たすとは、そういうことなんじゃないのかな。
 そこへいくと、この裁判は証人を隔てる「衝立」(遮蔽板)の登場が多すぎる。権利とか人権を主張することは、とても大切なことだけど、そればっかりを色濃く主張し過ぎて、他人を振り返らない、そして近隣との混乱を引き起こしていた、あの頃のオウム真理教の信者の姿と、どこか色褪せて見えないのは、気のせいだろうか。
 この日の証人の出廷拒否に至った経緯を、弁護人は「平田被告の裁判に不利になる」と強く主張していた。だけど、それもどうなんだ? 17年も逃亡した果てにいまの裁判がある。指名手配がされたあの頃に出頭していれば、こんな「不利」になる事態もなかったんじゃないのかな。自業自得というのも、こういうことを指すんじゃないのかしら?
平成のヒモ男平田信2 平田信被告 

 結局、この日は、出廷予定だった証人の1997(平成9)年当時の裁判で行われた被告人質問の記録を、ふたりの弁護人が掛け合いで再現することに。終了は午前11時55分。約2時間。さすがに裁判長も再現が終わると「ご苦労様でした」と声をかけていた。
 平田被告に有利な証言を引き出したいのならともかく、当時の記憶を確認するのなら、この調書で十分なのでは? 証言に時間の壁が障害となるのなら(実際に他の証人では、時間の経過が記憶を混沌とさせている)、わざわざ出廷したくない証人を呼び出す必要もないんじゃないかな。記憶はより事件に近いほうが正確のはずだし、井上嘉浩死刑囚のようにまた違うことを言い出して混乱させる奴もいるくらいだし……。
 いったい、なんなんだ? この裁判!?
 因みに、冒頭のアダモの名曲『雪が降る』(日本語詞・安井かずみ)は以下のように続く。

雪は降る あなたはこない
雪は降る 重い心に
むなしい夢 白い涙
鳥は遊ぶ 夜は更ける
あなたはこない いくら呼んでも
白い雪が ただ降るばかり

 本当に公判終了後の裁判所の外には、白い雪がただ虚しく降るばかりだった。




オウム裁判傍笑記http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784094026979
 虚しい夜に

「茨城県産の魚は食べないほうがよい!」という論証

 来月で3年!『フクシマ カタストロフ』フクシマ世代

 茨城県産の魚は食べないほうがよい。
 茨城県の現地をまわって、漁業や卸しの関係者の方たちが、いまでもとても苦しんでいる様は、よく理解していますし、応援もしたいのですが、残念ながらいまの状況では、そういう結論に達せざるを得ない。その理由です。
 チェルノブイリ原発事故のあと、周辺住民の内部被曝の状況をまとめたデータがあります。
 それによると、事故から数年は住民の内部被曝線量は下がり続けるのですが、それから次第にまた増加して来る傾向に転じ、10年を過ぎて、事故直後の数値よりも遙かに高い内部被曝のピークを迎えています。
 それも、第2ゾーンとされる汚染の酷い地域の住民より、比較的安全とされる第4ゾーンの住民、言い換えるのであれば、事故現場からより離れた住民のほうが、遙かに高線量の内部被曝を受けているのです。
 この理由として挙げられるのは、現地の人たちには野山に生える自然の恵みを食卓に持ち込む食文化があります。経済的に貧しいという背景事情が加われば、ますます自然の恵みに依存しなければならなくなる。
 それと油断。第4ゾーンの人たちが、自分たちは安全だろう、まさかこんなところまで、まさかこんなに時間が経って、食品が汚染されていることはないだろう、そう思った心の隙に内部被曝は忍び込み、汚染の酷い第2ゾーンよりも内部被曝線量が高くなったことが考えられます。
 日本に置き換えるとしたら、被曝に十分注意を払っている福島の人たちよりも、その周辺地域、さらにはそこから食材の恩恵を受けている東京の人たちのほうが内部被曝を受けやすいことになります。
 日本人は世界的にみても、魚をよく食べる民族です。いうまでもなく、それは自然の海の恵みによって育まれています。
 福島第一原子力発電所の事故では、海も汚染されました。
 果たして、近海から水揚げされる魚介類はどれだけ汚染されているのか。それは、水揚げの出荷先にして、大量消費地の首都圏の人々の内部被曝にも直結する問題です。農産物にしても海産物にしても、検査義務は産地にあります。
 ところが、茨城県の検査体制はとても信用に値するものではありません。
 かつて、このブログでも紹介しているように、茨城県の行政は、平然と虚偽を喧伝して、事実を改竄しています。信頼を裏切っています。実体験です。


茨城県の不当見解と暴挙
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-48.html

バカでもわかる茨城県の嘘と〝産地偽装〟実態
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-49.html


 ひょっとしたら、内部被曝を怖れる必要もないほどに、海から水揚げされる自然の恵みは汚染されていないのかも知れません。だったら、みんな喜んで食べる。
 だけど、その検査を実施する行政体がまったく信用できないのですから、安心なんてできません。
 そうでなくても、茨城県が公表したところをみるだけでも、今年1月28日に大洗町沖で採取されたスズキから1キログラムあたり88.2(セシウム134=23.6/セシウム137=64.6)ベクレルの放射性セシウムが検出されています。
 ですから、より検査は慎重であるべきなのですが、とてもこの県の対応は、信用に値するものではありません。
 このままではチェルノブイリと同じように、周辺住民の、それもより離れた大量消費地の東京の人たちのほうが、食物汚染による内部汚染が深刻化する可能性はとても否定できません。
 従って、茨城県の海産物は食べないほうがよい。少なくとも、ぼくはそう思います。
 茨城県には、ぼくの尊敬する方々も住まれていて、とても心苦しいのですが、原発汚染の現実は避けて通れるものではありません。これにどう対処していくか、地元行政やこれを司る人々の問題です。
 首都圏の大人も子ども巻き込んだ、ほんとうに危機的状況です。甘く考えすぎている。
 詳しいことは、この本の中にまとめています。チェルノブイリの地元ウクライナの国立放射線医学研究センターから提示を受けた周辺住民の内部被曝線量の変遷データも収録しています。
 目を通してみてください。そして、いっしょに考えてみてください。



フクシマカタストロフ カバー・帯  http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

復刻『青ちゃん新報』ストイックな専業主夫にして究極のヒモ男、平田信の逃亡生活! 2014年2月10日

復刻!青ちゃん新報2電子版

平田信の逃亡生活!?
それって、結局〝究極のヒモ生活〟じゃないか!!
 1995(平成7)年3月の地下鉄サリン事件とオウム真理教教団施設への一斉家宅捜索から、東日本大震災のあった2011(平成23)年の年末に出頭するまでの約17年間を、平田信被告といっしょに過ごしていた元女性信者が、10日、東京地方裁判所第104号法廷で開かれた同被告の裁判に証人として出廷した。彼女も平田被告を長年に亘って匿っていた犯人蔵匿の罪に問われ、1年2月の服役刑期を終えて既に出所している。
 それにしても、男と女というのは不思議だ。もともと平田と彼女は、教団内で親しい関係にはなかった、という。
 午前10時の開廷と同時に、相変わらずの遮蔽板の向こうの証言台に座った彼女は、これまた蚊の鳴くような小さな声で、弱々しく語る。それも法廷のマイクの調子が悪かったらしく、傍聴席にもよく声が届かない。午前11時過ぎの休廷中に専門の職員がうまく工夫してマイクを通じて聞こえるようになったが、それまでは同じ法廷、同じ証言台で麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚が、あの伝説の英語による意見陳述を行った時のように弱々しい。そのせいか、現在48歳の平田被告より年上のはずなのに、姿の見えないこともあって、何だが実年齢よりも幼くも聞こえる。
 その彼女の語るところによると、平田被告との接点は、教団内で行われていた薬物を使ったイニシエーションの管理監督役のワークで、いっしょになっただけ。それもすぐにそれぞれの元の所属する部署に戻っていったという。
 で、強制捜査が入ったあと。平田から彼女に電話が入る。
「できるなら、いっしょに来て欲しい」そういって、彼女は呼び出されるまま、待ち合わせ場所の東京・高田馬場に向かう。
「逃亡という認識はありませんでした」という彼女。平田被告が非合法活動に関与していた認識についても「ありませんでした」という。「当時、強制捜査などで教団の中が混乱して、主だった師が不在で、指示系統が崩れていた。私たち信者は不安で、何とかならないかというところに電話があった。そういう状況なら、出たほうがいいと」「私は、その状況が少しよくなるのではないか、彼を信用していたので、教団にいるのをやめて出て行こうとなりました」
 その時の平田に対する恋愛感情については肯定せずに「どちらかといえば信頼できる、尊敬できる人だと感じている」と答えている。
「逃げるという考えはありませんでした。明日なにをしようか、計画もありませんでした」
 それから、平田と彼女は仙台に向かい、東北の温泉地を転々とする。
 平田の非合法活動への関与を知ったのは、「報道で指名手配をされているのを知ってから」「5月の末くらい」だった。にもかかわらず、
「同時期に、国松警察庁長官狙撃事件の犯人がオウムの平田と名指しの報道がありましたので、それで(逃走を)決めました」「自分は犯人じゃない、と言っていました」「前日に三重県の友人宅に泊まっている。事件の当日もいた。だから違うと」「友人の方は元信者で、友人の方から『自分が証言しても、弱いんじゃないか』といわれ、その時、オウムの信者がなにを言っても信じてもらえない風潮があって、そう思いました」
 だから、
「出頭すれば、犯人と冤罪にされてしまう」
 そう確信して彼女は平田との逃避行を決意する。
 うーん……不思議だ。いっしょにいる人が犯罪者と知っても、こんどはそれを守りたいという〝愛〟に変わっていく。
「平田が(※彼女はあえて呼び捨てにした)、国松長官狙撃事件の冤罪にされてしまうので、愛する人を守りたいという気持ちがある。時効が成立するまで、私の守りたいという気持ちがあった」
 ふたりを襲った共通の危機意識が、それを男女の情愛にまで昇華させる。激しく奮い立たせる。でも、それって、ハルマゲドンが来る!救済だ!国家権力は敵だ!といって非合法活動に走った教団信者の構図と変わらない気がするは、やっぱり気のせいかしら……?もっとも、男女の仲というのはもうちょっと違った要素が加わるのかもしれないな。彼女の公判で明らかになったところによると、このあと、同じ年の7月頃には男女の関係が結ばれているというし……。それって、破戒だよね。教団とはもう関係ないところで、ふたりの世界が構築されている。
 で、そこからはじまる本格的逃亡生活……というよりは、平田の〝潜伏生活〟。

ストイックな専業主夫
 最初は仙台で彼女が仕事に就き、その寮にふたりで、次に大阪・北区の喫茶店で仕事を見つけ、その寮に匿うように平田といっしょに入る。北区には1年と2か月いて、そして、出頭までを過ごす東大阪市に移る。ここも彼女が働き始めた整骨院の寮のマンションだった。しかし、ここでも平田が同居していることは絶対の秘密にしなければならない。
 彼女は勤め先の整骨院で「朝8時過ぎから夜は10時11時まで」働き、寮としてのマンション家賃や必要経費を引かれて、月に10〜12万円を稼ぐ。この給与を袋のまま、平田に渡す。では、彼女の寮に居候する平田はなにをしているかと言えば、炊事、洗濯、掃除などの家事全般。お金の管理も平田に任せていた。つまり、専業主夫だ。
 その間に、平田が外出したのは4回だけ。それも彼女といっしょに。
「1度目は、東大阪市で就職した整骨院の周辺を知っておくため、それと2回は住居の周辺を探索するため、それともう1回は最初の寮を移って2つめの200メートル離れたマンションに引っ越すため」
 それも「1時間以内で終わった」という。しかも、
「北区の建物は従業員が全て入っていて、私の勤務中は生活感のある音があるとおかしく思われる。だから、トイレの水を流すのも控えるとか、そういうことで気を遣っていた」「そういう状況に陥っているのも、もともと自分の行った報いですので、受け入れようと、ストイックな感はありました」
 なるほど。これぞ本物の〝ストイックな専業主夫!〟と言いたいところだが、よくよく考えてみると、そうじゃない。これこそ引きこもりの〝ヒモ男!〟である。
 つまり平田信は、およそ17年に亘る逃走生活というより潜伏生活の実態は、彼の30代から40代前半を〝究極のヒモ〟として過ごしてきたのである。よ!平成のヒモ男!!
平田信2 
〝平成のヒモ男〟平田信被告

 因みに、こうして仕事に就くことを思い立ったのは、
「平田が(逃亡中の)林泰男さんと夏に名古屋で会われて、その時、いっしょに逃亡していた元信者の女性が働いていて、その寮にいっしょに住んでいた、そのことを私が平田から聞きまして、それがヒントになって、寮付きの仕事に就きました」
 ありゃりゃ。平田も林泰男も、結果的に入れ知恵になっちゃってるから、恐ろしい。
 それから、傷害罪の時効となる15年が過ぎた時、2010(平成22)年3月に国松警察庁長官狙撃事件が時効を迎える。ところが、平田は出頭しようとしない。究極のヒモ生活を手放したくなかったのか、と思いきや、理由はウサギにあった。

『ムーミンパパママ』『ウサギ』
「ウサギを看取ってから、出頭させてくれ」平田は言った。
 潜伏ヒモ生活を送るふたりは、小さなウサギを飼った。彼女に言わせると、このウサギが「子どものような存在」であった。今日の公判では語られなかったが、実はこのウサギを飼ってから、ふたりは互いを「パパ」「ママ」と呼び合うようになる。
 時に里親支援の慈善団体にも寄付をすることもあったようだが、寄付金の振り込み用紙には「ムーミンパパ・ママ」と記載していたという(そういえば、ムーミンパパの収入源もよくわからない。あれもヒモなのか!?)
「その時点でウサギの平均寿命は大きく越えている。ウサギの最後が近いと平田は察していると思いましたし、私も看取って出頭をと考えていました」
 その子どものようにしていたウサギが2011(平成23)年8月13日に死ぬ。
 そして、出頭のきっかけになったもの。
「東日本大震災です」「酷い惨事をみて、何の非のない方が大勢亡くなって、不条理を感じました。それがオウムの被害者と重なって『もう、けじめをつけるべきだ』『出頭する』と言っていました」「(具体的に話があったのは)11月13日前後です」「それは、ウサギを亡くして、その日、私の気持ちも落ち着いてきたから、『ちゃんと話をするからね』として『12月31日に出頭する』と告げられました」
 それから、不要品を分けて荷造りをはじめたところで、
「その中に、流れた免許があったのですが、平田の写真が残っているのはそれしかないと、私が貰いました」
 究極のヒモ生活は、相手の写真を撮ることも憚られていた。
 それから、12月31日。彼女は平田を大阪市内の駅まで見送る。それからあとのことは、報道で知る通り。全てはうさぎ年の間の出来事だったことは、単なる偶然だろうか。
 そして、この日を最後に、ふたりは今日まで会うことはなかった。17年をストイックなヒモ生活の中で過ごして来たふたりが、2年1ヵ月と10日ぶりに再会した今日の法廷。
 弁護人が、平田が刑に服して出所するまで待てるか、と訊ねたとき、
「待ちます!」
 と、そこだけは声を張って返答している。いまもあの時と変わらぬ気持ちを平田に抱いているとしたら、はやりまた平田の罪を許してしまうのだろうか。
 男と女。不安と緊張のストイックな生活。献身的な愛のかたち。少なくとも彼女は平田を「愛する人」と言った。果たして、17年間ものヒモ生活を許してきた女の心のなかに映ったものとは何なのだろう。それを謎だとするのなら、それはひょっとするとオウムという組織に引き付けられていった人々の心の中にも共有されているものなのかも知れない。




フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

呆れたふたり

 ツイッターを覗いていて気付かされたことなのですが、
 そこでツイートすると、ぼくの場合〝グッチター〟になってしまうので、
 あえてここではっきり愚痴っておきます。
 いや、本当にシャレにならなくて、つい最近、国立国会図書館の検索ページで自分の名前を検索したら、「連想キーワード」に「グチる」というのが出てきて、本当にそのことをツイッターで愚痴ってしまった経験があります!

 これは、かなりズレている。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140206-00032407/

 この人はオウム事件というものを、こういうふうに見ていたんだ、と呆れてしまう稚拙さ。
 それに共鳴している人たちの多いことといったら……。

 それより、いつの間にこの2人は〝手打ち〟をしたのでしょう。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/shinso/20140207-OYT8T00240.htm

 いまでは、互いのツイートをリツイートしたりして。
 2人での番組出演を宣伝までしている。
 過去を知るぼくからすれば、この2人は、

〝頭がおかしいんじゃないか!?〟と思ってしまいます。

 ヘイトスピーチどころか、他人を巻き込んで、
 あれだけ陰湿に、互いにやり合っていたのに。

 ちゃんと、説明してほしいものだな。

 ただの変節者なのでしょうけど。
 よくもみんなこんな人たちの言葉を信じるものだ、と感心します。




フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

復刻『青ちゃん新報』「現代のベートーベン」を生んだメディアの大罪!既存情報から耳を塞ぐオウム報道はペテンといっしょだ! 2014年2月7日

復刻!青ちゃん新報2電子版

 7日、東京地方裁判所では平田信被告の公判が開かれた。この日は、地下鉄サリン事件の前日に平田被告といっしょに〝運転手役〟を外されたある意味〝ラッキー!〟だったが、火炎瓶事件に借り出され、平田被告を現場まで車で送迎した○○さんが証人出廷。だが、特筆すべきこともないので、それよりも気になることについて__。

「現代のベートーベン」全聾の作曲家ペテン師を生んだメディア報道
それと同じ「オウム報道」の大罪を問う!!

「現代のベートーベン」とも呼ばれた全聾の作曲家のペテン話。実は、別人が作曲していた、本人は楽譜が書けない、本当は耳が聞こえている……まで、なんとも凄まじい話。
 どうも、人間というのは(あるいは、日本人というのは)、ハンディを持つ人の果敢な活躍ぶりに惹かれるところがあるらしい。日本特有のところで言えば、『座頭市』や『丹下左膳』なんていうチャンバラヒーローがもてはやされるのもそのひとつだし(個人的には、大河内傳次郎の丹下左膳がいいね!)、『浪人街』や『七人の侍』『用心棒』のように、見た目や立場は惨めでも、いざというときに発揮する力のギャップに魅了される。
 そう、麻原彰晃(本名・松本智津夫)なんて人も、目の見えないことを巧みに利用していたことは、まず間違いない。ハンディを乗り越えて悟りを開く、なんて凄い人なんだ!見た目は質素でも、本当は凄い力をもっているんだ!というところに妙な感動を覚えて近づいていった信者も少なくないはず。空中浮揚ができる、人の心を見通す超能力がある、魂を高い世界へ導く「ポア」ができる、神々の示唆が降りてくる……聴力がなくても「音が降りてくる」なんて、できもしない作曲を神格化していったところも、似ている。
 そして、そうした存在を持ち上げて、神格化に協力してしまう周辺環境の存在も、忘れてはならない重要な要素。
 教祖の場合は、周辺に熱烈な古参信者がいて、彼の超能力を吹聴し、いわゆる「折伏」によって、組織を拡大していったところも大きかったけど、やはりメディアの力も見逃せない重大因子。
 今回の全聾の作曲家ペテン師の話は、今週発売された『週刊文春』のスクープ。その本稿中には、彼を持ち上げた「NHKスペシャル」の記載もある。取材スタッフがずっと張り付いていたはずなのに、その本性を見抜けなかった。しかも、その間に、別人の作曲した楽譜が届いていたにもかかわらず。
 やっぱり、最近のNHKは、取材能力や検証能力に欠けて、どこかおかしい気がする。特に、このオウム事件に関しては。

NHKがおかしい
 いま、東京地方裁判所で開かれている平田信公判においても、ずっと以前にあったNHKの『おはようジャーナル』という番組で取り上げた特集のなかに、当時の井上嘉浩死刑囚と平田信被告が映っているものがあって、これを証拠採用したら、弁護人や裁判所に抗議しているという。どうして、抗議があるのか、よくわからない。それを放送しちゃっているのは、NHKなのに。不備があったのなら、まずそれを認めるべきでしょう。
 それから、同じ「NHKスペシャル」でいえば、オウム事件を取り上げた「未解決事件シリーズ」。あれは酷かった!
 その問題点については、ここに詳しいけど、

<ブログ>酷い!NHK「未解決事件シリーズ」の虚偽報道
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-40.html

 井上死刑囚から届いた手紙を得意気に取り上げて、「今回、NHKだけに」なんていいながら、地下鉄サリン事件のことを予言の成就と持ち上げていることを、そのまま放送しちゃっている。
 本当に出鱈目もいいところ! 地下鉄サリン事件は、事件の2日前のいわゆる「リムジン謀議」で発案されるのだけれど、このとき教祖から「アーナンダ(=井上)、なにかないか」と向けられた井上が「地下鉄に硫酸でも撒けばいいのではないでしょうか」と提案したことから、サリン撒布の話になっていく。他でもない井上自身が麻原公判で証言したことなんだから!
 それでもリムジンを降りた麻原が決行について「瞑想して考える」といって教団施設に戻っていったことから、井上は「ここでは謀議は成立していない」なんて言い張っているけど、結果的にはリムジン謀議で話し合われたことがそのまま実行されているんだから、詭弁だよ。
 しかも、そんなことは「NHKだけに」告白したことでもなんでもない。突然、思い付いたように、繰り返し法廷で述べていること。
 先日、平田公判にも出廷した井上は、再びこの持論を展開しはじめちゃって……。
 ところが、この「予言の成就」説を、また面白がったように新聞が大きく取り上げちゃっているから、もっと始末が悪い。
 本当に取材というものができていないのか、積み重ねができていないのか。検証能力すら失っている。
 しかも、どこのメディアもバカのひとつ覚えのように「オウムには謎が多い」だとか「平田裁判で謎が解けるか」なんて、連呼しているけど、いったいなにが謎なのか、そっちのほうが謎。そういっていれば済むと思っているんだろうな。いったいどこが謎なのか、明確にしてほしい。過去取材も振り返らないでほざいているだけだ。
 NHKの夜9時のニュース番組のキャスターは、全聾の作曲家に直接インタビューしておきながら「自分で作曲していないことを見抜けなかった」といって謝罪したそうだけど、その同じ口で「オウムには謎が残る」と喧伝している。
 そもそも、作曲家に「あなたが自分で作曲しているんですか?」なんて訊ねたら失礼に当たるし、よほどうまくやらないと、見抜く術はないだろう。
 そうではなくて、オウム事件というのは裁判で明らかになったことを検証すれば、「NHKスペシャル」のように間違いをひけらかすことはないだろうし、どこが謎なのかもっと細分化できるはずだ。ただ漠然と「謎が多い」とステレオタイプで喚き散らすのは、自らが既報された情報に耳を塞いでいることに等しい。それでもジャーナリストなのだろうか。

あえて耳を塞ぐ全聾メディアのペテン
 それともうひとつ、NHKでいえば、ラジオに森達也なんていう人を出演させていること。
 自著で「麻原は地下鉄サリン事件を指示していない」と明言している人物。しかも、そこに行き着くまでの論旨や記述には、明らかな間違いや嘘がやたらに多い。
 それが最近では「麻原が地下鉄にサリンを撒けといった動機がわからない」と言い出して平然としている。
 どうしたって、普通に考えれば〝頭のおかしい人〟だろう。そんな人を平田公判に合わせて、NHKラジオの報道番組に出演させてしまうのだから、文字通り〝おかしな電波〟が飛んでいるとしかいいようがない。
 結局のところ、「現代のベートーベン」をメディアがよってたかって作り上げてしまったように、オウム事件というものの本質を作り替えてしまうことに加担している、同じ罪を犯していることになる。
 まして、全聾の作曲家ペテン師なら、まだ人々を失望させるだけで、人の命が犠牲になることはない。
 だが、このオウム事件というのは人の命が奪われているだけに、より慎重にならなければならないはずなのに。それだけ罪は大きい。
 だからこそ、森達也の自著が大手出版社のノンフィクション賞を受賞したときには、抗議行動をおこしたのに。やっぱりこれは大罪に値するね。

<ブログの原点>抗議書 掲載
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

「現代のベートーベン」を作り上げちゃったことを詫びるのなら、いまいちどこの現実を見つめ直して欲しいな。
 そうでなければ、メディアや報道こそが全聾になったに等しい。
 そこから紡ぎ出される楽譜って、信頼できるのかしら……。



フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

復刻『青ちゃん新報』死刑囚って、こんなもの!? 異例の法廷出廷の果てに…… 2014年2月5日

復刻!青ちゃん新報子版 

死刑囚ってこんなものなのか!?
かつての事件に向き合う姿は!?
真っ向から衝突する事実

 5日、東京地方裁判所第104号法廷では、平田信被告の裁判が行われた。この日は、この裁判で3人目となる死刑囚の証人、地下鉄サリン事件の実行役で8人を殺した林泰男が出廷する。
 午前10時。相変わらず何のために設置されているのか理解に苦しむ防弾のアクリル板と証言台を囲う遮蔽板の前に、この日の証人が傍聴席の視線を憚って登場する。
「林さんですね」と裁判長が訊いた。「はい」と異様にかすれた声が響く。一部報道では、彼のことを「小池(旧姓・林)泰男」なんて記載しているけれど、ここの人定で裁判長が「林」といったのだから、本紙では「林泰男」で統一することにする(ついでに面倒臭いので敬称も略します)。以前にもましてかすれ声だったのも「喉はあまり調子がよくないんですね」と裁判長が確認していたから、その影響だろう。
 ここから爆発物の事件について、検察側の主尋問がはじまるのだが……。

林泰男 証人出廷した3人目の死刑囚 林泰男

 そこでまず、「オウムは素晴らしい!」とやたらに持ち上げ、擁護し、それを教団側も認めて喜んでいた宗教学者の島田裕巳さんの自宅マンションの玄関に爆弾を仕掛けたこの事件の流れをおさらいするところからはじめてみる。
 地下鉄サリン事件の発生した1995年3月20日の前日、すなわち19日の朝、林泰男は同事件の実行役だった豊田亨、廣瀬健一、横山真人(いずれも死刑確定)と、それに運転手役の候補となっていた平田信(この裁判の手役だ!)と、先週証人出廷した杉本繁郎と、それにもうひとりの信者が、上九一色村(当時)にあった教団施設から、東京に向かう。翌日に計画されていた事件の下見をするためだ。そこで立ち寄ったのが、当時、教団がアジトとして使っていた杉並の一軒家。
「井上くんが待っていると言ったんだから、彼が待っているんだろうなと思っていた」と証言する林だったが、ところが、その井上がいない。
 井上とは、前日までこの法廷で証言していた井上嘉浩死刑囚のこと。実は、このあたりのことについて、井上は「一軒家を使ってもいいけど、使うならその前に連絡をくれ」と言った、と証言している。なのに連絡もなく、知らないうちに勝手に来やがった、というのだ。__もう、このあたりから証言が食い違う。
 それから、井上が来るのも待っていた林たちだったが、「待ちくたびれて」林たちは新宿に買い物に向かう。翌日の事件の変装の為のスーツなどを買うためだ。
 この時、事件の実行役と送迎役(運転手役)の仮のペアを決めていた。林と平田、廣瀬と杉本、横山ともうひとりの信徒。決めたのは林。
「私は平田と組みたかったから。あとは適当に決めた。理由はない」(林)
 買い物のあと、平田と林はペアの決まっていなかった豊田と新宿に残って、あとの連中には地下鉄の駅の下見に行ってもらう。で、さらに豊田を車に残して、ふたりは新宿の街を「ぶらぶらする」。
「平田とふたりになりたかったから」「平田と私は深い仲間というか、自由に好きなものも食べられる間柄」「1〜2時間じゃないでしょうか」「村井の愚痴とか、この計画もうまくいかない、いずれなくなるだろうとか」「愚痴をいうことがあったのは間違いない」そうして「本屋に寄ったり、アイスクリームを食べたりして」杉並の一軒家に戻る。
 別行動の4人も一軒家に戻って、平屋づくりの真ん中の炬燵がある部屋にみんなでいると、井上がやって来た。そこで井上がメンバーに地下鉄サリン事件の運転手役が変わったこと、ここではなく拠点として使う渋谷のマンションに移動するように伝える。で、この時に、平田は運転手役を外れる。それともうひとりいた信者も。
「外れてよかったね。上九にもう戻っていいよ」
 林は平田にそう言ったという。
 では、なぜ仮にとはいえ、平田は当初、地下鉄サリン事件の運手役に選ばれていたのか。
「そもそも、私と井上でそういう話があった」「理由については井上くんが、平田、杉本、○○(もうひとりの信徒)がふさわしいと話していて、杉本と○○はサリンプラントで働いていてサリンのことを知っているから、平田はアタッシュケース事件や仮谷事件でヴァジラヤーナのワーク(≒非合法活動)をしているからと、言った」ところが、この井上の提案に、林はそこで反対する。
 そもそも、この話をふたりだけでしたとき、
「井上は『村井に任せられない』と言って、自分が主体的にしたがっていた」と言い、積極的に運転手役の名前を挙げたのも井上。そこへ
「○○と平田はふさわしくない。平田はその直前のワークで非常に精神的に不安定になっているからよくない。○○は最近のワークはちゃらんぽらんになってる」林はそういってふたりを外そうとする。
「杉本についても本当は反対したかったんですよ。でも3人が3人とも反対するのは憚られる。この計画に対して否定的と言われるのがいやで」
 ところがである。ここでも井上はまったく反対の証言をしているのだ。

井上嘉浩 vs 林泰男
井上嘉浩2 お馴染み〝童貞の死刑囚〟井上嘉浩

 周知の通り、林泰男は1996年の12月に石垣島で逮捕されるまで、平田と同じように逃亡生活を送っていた。この間にはじまっていた一連の裁判で井上は、この場面について林泰男が3人の名前を提案してきた、と証言している。まさに井上の独壇場で、林泰男って悪いやっちゃ!そんな積極的に事件に絡んで指示を出していたんだ!という印象を与えている。事実、井上は「現場指揮役は私ではない、林泰男さん」という主張を展開していたのだ。
 それが、林泰男が捕まってみれば、話が食い違ってきた。いったい、どちらが嘘をついているのか、この時点から井上嘉浩VS林泰男の構図が出来上がっていたのだ。
「8人も殺して、逃亡までしていた林さんは、少しでも罪を軽くしたいから、ぼくのせいにしようとしているんだ!」ということまで、法廷でほざいた井上に対し、
「うーん……ぼくはぼくの記憶で話している。井上くんは井上くんの記憶で話しているから、あとは裁判所の判断すること」と偉く大人の対応をしていた林だったはずなのだが……。
 話を事件当日に戻そう。杉並の一軒家で井上の指示があり、平田に「戻っていいよ」と言った林に、井上が軽い調子で声をかける。
「面白いことがあるから、いっしょに来ない?」
 それを林は、
「どこかにお茶でもしにいくのかな、と感じた」
 と、承諾する。すると、その直後に、
「井上が地図のようなのを見せて、説明しようとしたんだけど、あの辺の地理関係はわかってなかったので、説明を断って、『いっしょにいくからいいよ』と答えた」
 で、ここから「なにも覚えてない」のだけれど、林は「戻っていいよ」と言ったはずの平田といっしょに車で出て行くことになって、井上の車のあとを付いていった。で、島田さんの住んでいたマンションの近くのT字路で車が停まり、車を降りて井上のところに行くと、「マンションの前の駐車場に車を止めて、井上のすることを見ていてほしい」という主旨のことを言われ、そのとおりに駐車場に車を停めて待った。すると、T字路のほうから井上ともうひとり別の信者がやってきて、マンションの玄関に紙袋を置いて出ていってしまった。なにをしているのだろう?それを車の中から平田と見ていたら、急に紙袋が爆発する!
 すぐに車を発進させ、T字路に戻り、井上の車のあとを追ったところで袋小路に行き当たる。
「井上のバカ野郎!」と思っていた林は車を降り、「爆発するなら事前に言っといてくれ!」と文句を言おうとしたが、井上が「爆発するのが見えた!」と異様に喜んでいるのをみて、「がっかりして」車に戻る。
 つまり、林は爆弾のことを一切知らなかった、というのだ。
 同じ車の中で、爆発を目撃した平田についても同様。なにもわかっていなかった。そう認識していたという。
 林と平田は一軒家に戻り、林はそのまま渋谷に移動して翌日の地下鉄サリン事件へ、平田は井上に連れられて火炎瓶事件に関与していくことになる。
 だが……。

嘘つきはどっちだ!?
 前日まで同じ法廷で証言していた井上は、炬燵の上に住宅地図を貼り合わせたものを広げて、マンションに爆弾を仕掛けることを平田に説明している、といった。そして途中から、林に「こっちも手伝ってください」と声をかけて部屋に呼び寄せ、そのまま、
「炬燵の上に地図が広がっていたので、それを示しながら指示しました。島田さんのところに〝ヤラセ〟で爆発物を仕掛けると説明し、マンションの場所や爆発物のタイマーが3分という趣旨の説明もしました。第三者のふりをして、爆発物が爆発したかどうか確認してほしいとも。(確認するのに)『ここに駐車場があるから、ここがいいんじゃないか』という主旨のことを言いました」
「打ち合わせに使った地図を、林さんと平田さんのどちらに渡したかは覚えていませんが、地図を2人に渡るようにして、自作自演ということで(爆破を確認する役割の2人は)第三者を装う必要があったので、『別行動で』と伝えました」
 爆発後、もとの一軒家に戻ると、その同じ部屋に平田がいた。
「爆発は大きかった。人は通っていなかったので、人に被害はないよ」と平田は井上に言い、そして「〝ヤラセ〟にしたって、なんで島田さんなの?」と訊ねたとまで言うのだった。
 平田はこの爆発事件について「指示や打合せはなかった」と、つまり林と同じ立場の主張をしている。
 それが、この法廷でふたつの証言が真っ向から食い違ってしまったのだ。
 教団では平田と仲の良かったことを認める林泰男。いっしょに教祖から「不満分子」と呼ばれ、仮谷事件のあとに「こういうワークはしたくない。井上といると気が詰まる」と平田が語っていたことも暴露する。それでいて、この事件の細部については、曖昧として記憶にないことを証言する。
 検察は、平田を庇いたいから、そんな証言をするのではないか、と詰め寄るもこれを否定。それでも、詰め寄りたい検察はこんな質問まで。
検察「いまでも親しい仲なのですか」
林「ま、20年近く会ってないですからね。なんとも言えませんけど」
 そりゃそうだ。
 だけど、この日の林泰男の証言を聞いていると以前のような誠実さは消えていたように思う。まあ、年もとって、検察官や弁護人が年下になったこともあっただろうけど、質問にタメ口で答えることが多かった。「うーん……」と自然に唸ってみたり「えっとねぇ……」と前置きをしたり、「_____だね」と言ってみたり。かつて、一審の死刑判決で彼の態度は「好青年」とまで裁判長が評価していたように(「好青年」と呼ばれて死刑判決を受けるのも珍しい)、誠実に事件に向き合うような姿勢が見受けられない。記憶がないこともわかるけど、それでもどこか事件を遠くへ追いやろうとしているように、どこか開き直っているようにも見える。
中川智正死刑囚も証人出廷した中川智正 

事件の風化 証言者の劣化
 一方の〝童貞の死刑囚〟井上嘉浩。
 彼の証言ぶりは既報の通りだが、昨日の弁護側の反対尋問では、案の定、井上死刑囚の過去の供述の変遷が突っ込まれていく。
 例えば、仮谷さんを拉致することを教団施設で麻原から指示された場面でも、捜査段階で女性幹部の名前を出さずに庇っていたことを指摘される。もっとも、これは過去の他の法廷でも突っ込まれていて、麻原公判では「これからは正直に話す」と証言していることまで、突っ込まれる。それでも前々日の中川智正死刑囚の殺人関与のような重要な点を隠していたことを指摘されると「私の責任です」としか答えない井上死刑囚。「「教祖と対立する」と公言していたことや、黙っていても教祖に見通せる力(神通力)があったことを信じていたはずのことやらを突っ込まれる。
 検察とのように事前の打ち合わせもないから、証言も怯えたように大人しく受け答える。それでも、よほど自分が爆弾発言をしたこととその反響の大きさが嬉しかったらしく、訊かれてもいないのに仮谷さんの死に関する中川のことをしゃべりはじめる。「それは質問の主旨とずれている」とまで裁判長に突っ込まれるほど。よほど意識がそこにあって、とにかく語りたいらしい。
 挙げ句は、一般女性と話ができることがよっぽど嬉しかったんだろうな。女性の裁判員の質問に、ハイテンションで早口にまくし立てる。気持ち良さそうに。きっとこうやって布教活動に邁進して、人々を籠絡させていたったんだろうな。
 で、最後に平田被告に言いたいことは? と質問されて、
「必ず生きてね、刑に服すれば、社会に戻れる方。二度とオウムのような事件が起きないよう最大限に尽くしてもらいたい。そこは切に願う」なんて言いながら、泣いてみせる(って、いうか、起こしたのはお前だろう!君も被害者なのか!?)。もう自分に酔っているとしか思えないんだよね。それをまたマスコミが感動秘話のように持ち上げちゃうから。
 井上の証言もどこか裁判のキャスティングボートを握ることに精一杯で、どこか事件と真摯に向き合っているように見えない。むしろ、検察の切り札になって、平田を自分たちの側に必要以上に引きづり込もうとしているようにすら感じてしまう、この違和感。
 死刑囚が法廷に出てくる極めて異例の裁判。それも3人も。そこにある種の未知の期待もあったのだが……死刑囚ってこんなものなのか!?
どうする?平田信 平田信被告

 かつての法廷では、いろんな思惑があったとしても、もっと正面から事件と向き合っていたはずなのに。死刑が決まって、それぞれのパーソナリティーが極端な方向に突出していってしまっている気がする。
 事件が風化するより、死刑囚たちが劣化していく。
 遮蔽板を置いているのも、外からの無用な刺激を避ける為、とされる。刺激を避けて、静かにその時を待つ。だけど、彼らの心は本当に穏やかで静寂なものなのか。前よりもっと酷くなっている気がする。だいたい、仏教を信奉し小乗でも大乗でも悟った人間なら、「麻原」なんて呼び捨てにしないだろうに。死刑宣告を受けると、みんなこうなっちゃうのかな?
 お陰で証言が真っ向から対立する構図に。
 どっちの言葉を信用することができるのか。どっちのストーリーが真実なのか。
 結局、死刑囚出廷という平田公判の最大のヤマ場を過ぎたところで、裁判員の負担だけがずっと大きくなっただけのような……。
 なんなんだ!?この裁判。



復刻『青ちゃん新報』あの頃といったいなにが変わったのか?〝童貞の死刑囚〟ついに出廷! 2014年2月3日

復刻!青ちゃん新報2電子版

ついに〝童貞の死刑囚〟出廷!!
その時、法廷は……

 ある科学者が「嘘に効く薬」というのを開発した。これを臨床実験するために、嘘つきばかりを集めて、この薬を飲ませてみた。すると、あらびっくり!嘘つきたちは「嘘つきが治った」「嘘がつけなくなった」と、薬の効果を口々に語りはじめた。学者は喜んで、この臨床データをもとに、市販薬として大量に売り出す。ところが、ちっとも売れなかった。学者はなぜだろう、と頭をひねった。……確か、そんなようなお話が、天野祐吉さんの著作にあったように記憶している。今日はどうしてもそんな寓話が頭を過ぎって仕方ない。
 3日、午前10時からはじまった平田信被告の裁判員裁判。東京地方裁判所第104号法廷には、平田被告が起訴された3つの事件の共犯とされる井上嘉浩死刑囚が出廷した。死刑囚の出廷ということで、傍聴席からの視線を避けるように証言台の周りには、遮蔽板が置かれ、傍聴席を隔てるように防弾のアクリル板が設置されている。生憎、井上嘉浩死刑囚の姿を確認することはできなかったが、それでもマイクを通じて聞こえて来る声は、以前と変わりがない。いや、それどころか、早口で饒舌にまくし立てる口調は相変わらず。むしろ、以前のように、人前で事情を説き、人々の注目を集めることが、気持ちよさそう。それは、教団にいて、信徒の勧誘に熱弁を振るい、耳目を集めていた頃のそれとまったく変わらないのだろう。
 そして、この日の最大の衝撃は、仮谷さんの死亡したことについて触れたときだった。
 先月21日に証人として出廷した中川智正死刑囚の証言でも、あるいはこれまでの仮谷事件の裁判での事実認定でも、麻酔薬で眠らせた仮谷さんを上九一色村にあった教団施設に連れてきて、ちょっと中川がその場を離れて戻って来た隙に仮谷さんが亡くなっていた、とされている。中川によると、村井から仮谷さんの首を絞めて殺害するように指示されて、その首絞め役の信者を呼ぶために電話をかけにいったら、死んでいたという。
 ところが、この日の井上の証言によると、その場にやって来た井上に対して中川が、「どうせ首を絞めさせてポアさせるのだから、この際、薬物の効果を確かめてみることにした。薬物を点滴で注射したら、急に身体が光り出されて、その時にポアされた」と言った、というのだ。つまり、意図的に薬物を点滴注射して、仮谷さんを殺害した、という。しかも「このことは麻原(と、井上は呼び捨てにしている)には、言わんといてくれ」と中川に言われた、と井上はいうのだ。
 これまでになかった突然の新証言。だけど、このことは逮捕された直後に弁護人には話しているし、その時に、他人ことをとやかくいうな、殺人の共謀に問われたらどうする、などと言われ、「自分自身の判断、決断で」供述しなかった、という。じゃあ、なぜ、いまになって証言するのかといえば、一審で無期懲役判決だったものが、二審で死刑になり、仮谷事件も逮捕監禁に「致死」がついたから。で、ここから、井上特有の〝青年の主張〟口調がはじまる。
「死刑囚になって、自分の罪を見つめて、どのように亡くなられたのか、愛する家族も知らない、無念があると思えて、仮谷さん(遺族)がせっかく接見に来てくれたのに、伝えられない自分が、悔しくて、虚しくて、そういう自分も苦しんで、悩んでました……」
 で、もうこのあたりからは感極まって涙声になっていて、そうするうちに中川の死刑判決が確定することがきっかけになって、遺族に手紙で伝えたというわけ。で、決めのひと言。
「それまでお伝えできなかったのは、突き詰めると仮谷さんのご遺族よりも、自分のことを大切にしてしまったんです!慚愧の念に堪えません!全ての責任は私にあります!本当に申し訳ありませんでした」
 ここではもうほぼ号泣状態。それから、しばらく沈黙。「証人、こっちをむいてください」と裁判長が発言したから、きっと検察官と並んで座っていた仮谷さんの遺族(長男)のほうを向いて頭を下げていたのだろう。
 だけど……。
 正直言って、ここまでくるともう〝病気〟だね。

井上嘉浩2 過去の法廷で〝童貞〟を告白した井上嘉浩死刑囚

あれ!?これまで真実を語ってきたんじゃなかったの?なんだったの?
 あのさぁ〜、もうこれまでどれだけの時間をかけて裁判をやって、その度に何回「真実を語る!」「松本智津夫氏と対決する!」って言ってきたの!?だいたい、初期の頃の地下鉄サリン事件の調書だって、麻原を庇うような嘘を平気で供述していて、共犯者や麻原の裁判でも弁護人から追及されていたでしょ。その度に「いま、言っていることが真実だ」なんて繰り返してきたのに。この期に及んで、まだ隠していたことがあるなんて、どういうこと?ロジックからいうと、これまでの供述だって、信用性がなくなるということですよ。嘘つきが、嘘つきに効く薬を飲まされて、「嘘が治った!」と言うように、時間を置く度に「これが真実だ」「これこそ真実だ」って言われたって、信用できなくなるんだよね。
 そのあとの、地下鉄サリン事件のリムジン謀議の証言でも、これまで聞いた記憶にない会話の内容が混ざっているし(ちゃんとノートをひっくり返して見ないとわからないけど、とにかくこっちの記憶にないことを、ここでも言い出している)、新しく記憶を作り上げてない?再構築してない?
 だいたい、薬を試したことを中川が「麻原には言わんといてくれ」と言って、それで井上も中川も黙っていたとなると、それは「絶対的な麻原には逆らえなかった」という、これまでの自分たちの主張を否定しちゃうことになるんだよね。そんなことって、ある?
 もし、中川が薬物を投与して仮谷さんを殺したことが本当だとして、そうすると今度は仮谷事件を「殺人」でなく「逮捕監禁致死」で起訴した検察が批難を受けることになる。捜査の不備が指摘される。よく検察もこんなことを証言させたもんだと感心するね。弁護方針かどうか知らないけど、やっぱり「真実を明らかにする!」と豪語してきた井上も嘘をついていたこになる。仮谷さんのご遺族も、怒りの矛先を向けるとすると検察になる。
 いろいろ考えると、考えれば考えるほどツッコミどころは満載。
 だいたい、遺族のことを考えてとか、「愛する家族」なんて言葉を使って、その人たちの為に、なんていうけど、それって、オウム真理教という組織にいて人類だか人々だかの為に「救済」を掲げていた姿と、どこが違うの?挙げ句に、違法行為に走って、その人のため、といって「ポア」するのと同じように、自分本位ばかりで他人を傷つけてない?これこそが正義なんだ、救済なんだ、それを実践する聖者なんだ、とばかりに、いまは法廷の場で共犯者たちを糾弾していく姿は、あの時となにも変わっていないんじゃないの?流暢に気持ちよさそうに語る声を聞いていると、正義の味方のヒーロー気分に浸って、あえて周りを悪者に貶めているようにすら見えてくる。麻原に代わる検察の後ろ楯を利用して。自分だけが正しいように。自分だけが悟っていて、真実を知っているように。それも、かつて信徒を酔わせたような手法で、自分の影響力を誇示することに酔いしれている。それでまた高揚して口が走る。きっと、気持ちいいんだろうな。再び注目を集められて。時として調子よく遺族を持ち上げて泣いてみて。そういう姿は、かつて地下鉄サリン事件の遺族から、法廷の場で散々罵倒されていただろうに。
 なんにもわかってないじゃないか!
 そうそう……。冒頭の嘘つきの薬の話。確かオチは「嘘つきとバカにつける薬はない」だったな。
 やれやれ、疲れる裁判だこと。あ、明日も井上の証人尋問か……。

 あ!いつの間にか、自分の心の中の愚痴になっちゃった。ごめんなさい。
 まあ、それだけ疲れる相手だ、ということです。



フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148

チェルノブイリと福島第一ふたつの原発事故の意外な共通点

来月で3年!『フクシマ カタストロフ』フクシマ世代

全交流電源喪失!その時……
 日本人が知っていそうで、意外と知らないこと。
 チェルノブイリ原子力発電所の事故と、福島第一原子力発電所事故の共通点。
 福島第一原発の事故は、東日本大震災の津波によって、全交流電源喪失に陥り、原子炉を冷やせなくなったことが原因とされます。津波が施設内に押し寄せないことを前提にしていたので、まさかそんな状態になるとは想像もしていなかったのでしょう。全ての電源を失ってどうすることもできなくなった。
 ところが、チェルノブイリ原子力発電所の事故というのは、全ての電源を失ってしまったらどうやって原子炉を冷やすのか、その対策実験中に、人為的なミスによって、爆発事故を引き起こしたのです。
 まるで25年後の事故を予測したような皮肉な話。それでも20世紀、それも日本でいうところの昭和の時代に、旧ソビエト連邦ではそうした対策は練られていた。21世紀の平成の時代、日本の原発はその根本的対策ができていたといえるのでしょうか。
「フクシマの事故処理は適当ではなかった」
 結果からいうと、そういうことになる。
 フランスの専門家のひと言は手厳しい。



フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148
 いよいよ!

プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR