コラム掲載拒否なんて、他の新聞社でもやってるじゃないか!! 池上彰の朝日新聞連載コラム掲載拒否問題。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140902/trd14090223300015-n1.htmhttp://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140903/ent14090320490014-n1.htmhttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20140903/k10014324831000.htmlhttp://www.yomiuri.co.jp/national/20140903-OYT1T50185.html あえて、どこの新聞社とは言わないけれど、
2年前の春、まったく同じこと、コラム掲載拒否をぼくは体験しています。
月1回のペースでコラム連載が決まっていました。
その条件は「自由に何を書いてもいい」「そのかわり、辛口で描いてくれ」というもの。
顔写真入りの表題レイアウトまで出来上がっていました。
ところが、「何を書いてもいい」というから、迷いながらも第1回目の原稿を書き上げて入稿したところ、ボツに!「ウチでは掲載できない」という理由。
そこで、すぐに代わりの原稿を、と求められて、違うことを書き上げれば、こんどはゲラに赤字を入れて(つまり、原稿の修正をして)きた。
結局、ぼくのコラム連載は幻に……。
そんな新聞社が、よくぞ、今回の出来事を紙面で取り上げて、批判できるものだな!
……と思います。まあ、筋違いというか、恥知らずというか……。
「何を書いてもいい」という条件は、池上氏のケースとまったく同じです。
本当にイヤな思いをしているし、当時、手元に送られて来た「企画書」も幻のゲラもちゃんととってあります。
その昔、三島由紀夫も掲載拒否されていた! ただ、その昔は三島由紀夫も新聞コラムの掲載を拒否されたことがあったようです。
林房雄との対談の中で、「危険な思想」について触れ、「一度、原爆のことを新聞に書いたら没になった」と発言しています。
詳細はわかりませんが、ともかく、三島の原稿すら拒否する編集権は確固としていたのでしょう。
そこへいくと、朝日新聞の編集権とはなんなのでしょう。
最初に、池上彰の原稿を拒否した礎はどこにあったのか。
朝日新聞の犯した本当の過ち それから、本人が連載の打ち切りを打診し、
そのことが公になると、一転、掲載に踏み切る。
一般読者からの問い合わせや、内部批判も高まったのでしょう。
ですが、この姿勢こそが一番危険であり、問題だと思います。
極端なことを言えば、
「戦争反対!」を唱えていても、世間の風潮が「やむなし」「賛成」にまわれば、それはたちまち「戦争支持」に転向してしまうことだって考えられる。
池上彰でないにしろ、大きな影響力や権力をもつ存在から、外圧がかかれば、「判断が間違っていました」と謝罪し、屈してしまうのでしょうか。
まるで戦前の新聞と同じ。独立したメディア機関として、もはや機能していない。
もはや、典型的ポピュリストの原点を示してしまったに等しい。
その証拠をもうひとつ。
6日付け紙面に掲載された「謝罪文」には、自称「多様な言論を大切にする朝日新聞」と公言していますが、トンでもない!
http://www.asahi.com/articles/ASG956K76G95ULZU019.htmlhttp://www.huffingtonpost.jp/2014/09/05/akira-ikegami-asahi-column_n_5775870.html このブログでも、繰り返し指摘していますが、
ぼくはかつて、『週刊朝日』にも原稿を寄稿していました。朝日新聞社の入館証を持たされるほどでした。
それがあるとき、その誌上に「捏造原稿」を見つけた。
そのことを指摘すると、記事の訂正をするどころか、以来、ずっとぼくが干されている。
それどころか「お前のほうがおかしい」まで言われて、いわば内部告発者を締め出しにかかった。卑劣な媒体。いまでいう「ブラック企業」。
『真っ当に生きるということ』http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-20.html『『朝日新聞』という「掃き溜め」の論理』http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-47.html 従軍慰安婦問題と同じ構図。過ちを放置し、人を傷つけて平然としている。
そのことは、当時の『諸君!』(文藝春秋)という雑誌にも掲載して、問題提議をしています。
ですが、今回のように大騒ぎにならなければ、問題解決の姿勢すらみせない。
多様な言論すら封殺しているじゃないか!
某新聞社もいっしょ。「なんでも書いていい」といいと多様性を強調しながら、テーマによっては掲載を見合わせる、原稿をボツにする。言論の自由や多様性どころか、最初の条件提示と違うのだから、これはもはや詐欺に近い。
編集権の侵害と隠匿体質 池上彰は、「今回は過ちを認めたから」を理由に一転、掲載を認めていましたが、捏造事実の真贋を確認して過ちを認めるのと、オピニオン的コラム掲載を拒否するのとでは、意味が違う。
朝日新聞は、商業偏重、外圧に靡いて編集判断を撤回するというとても危険な過ちを犯してしまった。
結果的にそうなっている。
これからは、池上彰が「連載をやめる」のひとことで、彼の言説に歯止めがかからなくなることだって起こり得る。
朝日新聞は「謝罪文」を載せることで、本質的な問題点を隠匿してしまったようにしか思えない。
記録的な猛暑が続いた昨年の夏。朝日新聞をはじめ各紙は、熱中症に関する記事と注意を呼び掛けていました。
ですが、朝日新聞社が主催する全国高校野球選手権大会(夏の甲子園大会)では、甲子園で何人が熱中症で搬送されたか、一切、公表しなかった。
デング熱の都市感染を予測した昨夏の『文藝春秋』掲載原稿の取材で知りました。
昨年ほどの猛暑ではないにしても、おそらく今年もそうでしょう。
「多様な言論を大切にする」どころか、都合の悪い事実は隠匿する体質は、相変わらずですね。