不見識!産経新聞にボツにされた幻のコラムを公表します!

産経新聞にボツにされた幻のコラムを公表します!

 我慢していてもなにもいいことはないし、その後のフォローも穴埋めもまったくなく、ちょうど2年が経ったので、産経新聞に掲載が予定されながらボツにされた幻のコラムを公表します。

 ちょうど2年前の4月から、産経新聞で連載開始が予定されていたぼくのコラムの第1回目のゲラです。

「取り上げる内容はなんでもよい」「そのかわり辛口で書いてくれ」
 というのがコラム執筆の条件でした。(なんなら、企画書を公表しても構いません。)

 ところが、以下のとおりゲラまで出来上がって、ボツにしたのです。
 その理由というのが、

「ウチはTPP賛成派だから」

 昨夏、朝日新聞が池上彰さんの従軍慰安婦問題に関する自社に批判的なコラムをボツにしたことを、猛烈に批判したのが産経新聞でした。
 まったく同じことを、産経新聞はやっています。
 池上さんのコラム内容の条件も「なんでもいい」ということだったといいます。


幻のコラム第1回
(※画像はクリックすると拡大します。)


 産経新聞からは、このコラムをボツにしたあと、別のテーマでの書き直しを求められました。
 そこで「テーマは本当になんでもいいのか」と念を押したところ「TPP以外ならなんでもいい」というので、別のものを執筆しました。
 そうしたら、今度は、

「ウチは原発推進派だから」

 という理由で赤字を入れてきました。(なんなら、そのゲラも公表しても構いません。)

 もう、こんなに酷い話もなく、こちらから降ろさせていただきました。
 その意向を伝えたときの担当者は「あ、そうですか」の一言で電話を切りました。
(池上さんは、いまも朝日新聞の連載を続けているようですが……)

 さて、あらためて公表する幻のコラムですが、よくみていただきたいのは、その中味です。

 このコラムがボツにされた直後から、安倍政権は農業の「六次産業化」を唱え、周知の通り、ついには農協改革に着手しています。
 TPPの推進と同時に、きっちり農業改革にも力を注いでいます。

 いったい、このコラムのどこにボツにされる理由があったのか!?

 ぼくには皆目見当もつきません。
 不見識もいいところです。
 いや、もはや横暴です。

 因みに、このコラムと、それにそのあとに書き直して掲載もされなかったコラムの2本。
 執筆の対価は、一切支払われていません。
 まさに詐欺のような話です。


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【告知】トークイベントのお知らせ!

【告知】トークイベントに出ます!

 4月16日木曜日、新宿にてのトークイベントに出ることになりました。

 ぶった切ります……。

 詳しくは、下記にて。

『やや日刊カルト新聞社主催 オウム事件欠席裁判!』
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/naked/32531
http://dailycult.blogspot.jp/2015/03/blog-post_68.html


本日発売『文藝春秋』5月号の連載を休載します!

本日発売『文藝春秋』5月号の連載を休載します。

 今年2月10日発売の『文藝春秋』3月号より、TPPに関連して米国の食肉事情についての短期連載を掲載中でしたが、
 編集部の事情により今月号は休載となります。

 編集部も誌面にての休載告知を失念していたようです。


 それにしても、嘘つきが報道番組批判をするとは……。

ウィキペディアで原稿を修正する活字メディアと学部長の式辞

ここ数ヶ月で驚かされたこと
 昨年の11月に取材で米国をまわって来て以来、いろいろな長い原稿を書いたり、海外ロケが入ったり、またノンフィクション番組を制作したり、随分と忙しくしていました。
 それで、このブログの更新も滞ったりしていたわけですが、その間にいろいろと驚かされることがいくつもありました。

 そのうちのひとつ。

 ある原稿を入稿して、ゲラが出てきました。ゲラというのは、簡単にいえば試し刷りのことです。そこで原稿に間違いがないか、チェックします。
 同時に、校閲という役割の人がいて、同じゲラをみて、間違いをチェックします。この校閲さんが間違いを指摘して書き込んできたものを、校閲ゲラあるいは校了ゲラと呼んでいます。これを筆者が受け取って、原稿をより正確なものに直していきます。
 ですから、校閲という人の役割はとても重要で、間違いの指摘もきちんとした事実に、あるいは一次情報に基づいてなされるべきものです。
 ところが、あえてどこの出版社とは言いませんが、渡された校閲ゲラを見た時のこと。
 原稿に事実関係の誤りを指摘してあるのですが、その根拠となるものが「ウィキペディア」から情報だったのです。
 ウィキペディアの記載を見て、原稿の間違いを指摘しているのです。
 びっくりしました!

ネット情報が根拠!?
それって……モラハラでしょう!

 しかも、そのウィキペディアに記載のあることのほうが間違っているのです。それは根拠を持って証明できます。(だって、それはこちらが20年近くも取材してきた内容に関することだったのですから!)
 ウィキペディアについて、もはや説明することもないでしょうが、不特定多数の書き込みで、正確な情報ばかりが発信されているとは限らない。
 例えば、ある新興宗教の教祖様のことなどは、信者たちが持ち上げれば、それはもう現人神のように仕上げてしまうこともできます。
 着実な裏付けや良心だけで出来上がっているツールではないはずです。
 しかも、原稿には文法的な間違いがないにも拘わらず、校閲さんが勝手に文章を手直ししている。つまり、個人の好みで文章をいじくって来ている。
 こんな校閲さん、はじめてです。
 さすがに不信に不快が加わって、編集者に連絡しました。
 すると、編集者が言うのです。

「青沼さんはうるさい」
「他の筆者なら、黙って編集者に任せる」「文章になんかこだわらない」
「校閲の指摘通りで、文章もみんな『お任せします』で終わるものだよ」
「普通はそうする」

「うるさい」と言われて、深く傷つきました。
 事実を追究すること、自分の書いた文章にこだわることが、どうしてそのように吐き捨てられなければならないのか。
 そもそも、雑誌やメディアで社会事象を追及することこそ、当事者や関係者、あるいは情報を受け取る側にしても時として「うるさい」ことなのに、完全にその本分を失っている。
 ましてや、普通はそうだ、みんなそうだ、といって、こちらが異常であることを認識させるやり方は、まさにモラルハラスメントです。
 編集者がいうように、書き手のみんながこだわりも疑問も持たずに、仕上げの全てを任せてしまうのだとしたら、それも異常なことです。
 これではノンフィクションも廃れるわけですよね。
 ウィキペディアでノンフィクションを書くような時代なのですから。

 とにかく、この有様にショックを受けました。
「うるさい」と呼ばれたからには、この編集者、編集部からは、もう仕事の話もないでしょう。
 酷いものです。

「教養」とは……
 そうした〝傷〟と〝疑問〟を抱えて、数か月を過ごしていましたが、たまたまこうしたものを目にしました。
 先月の東京大学の卒業式。教養学部の学位記伝達式での学部長の式辞です。

http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/message/oration/index.html

 ここではまず、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と卒業式で語ったことが有名になった大河内一男総長のことば。実はこれが本人のことばでないこと、メディアによって作り上げられていったエピソードであることが明かされます。そして……

 善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。


 ものすごく慰められました。
 涙が出てくるほどでした。

 ネット上で話題になっている、ということで目にとまりました。
 あの編集者や校閲さんにも見ていただきたい。

 このブログの原点にある『A3』問題。
 その根本もこの式辞が全てを物語っているように思えてなりません。
 そして、そこに指摘されている過ちを犯している。

http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

 やっぱりどこかが壊れている、そう思えます。


いま再び!『青ちゃん新報』弁護人、裁判員を脅す! 牽強付会な弁論で、高橋克也被告の裁判結審。なんなんだ!? この裁判……。

復刻!青ちゃん新報2番外編

弁護人、裁判員を脅す! 牽強付会な弁論で、高橋克也被告の裁判結審。なんなんだ!? この裁判……。

 最後のオウム裁判、高橋克也被告の一審審理が結審した。
 4月1日、東京地方裁判所104号法廷。午前10時から弁護人の弁論がはじまった。
 主任弁護人が証言台の前に立ち、法壇の上に並んだ裁判員を見渡してから、堂々と語りはじめる。
 その眼鏡といい、白髪交じりの髪といい、髭といい、まるで宮崎駿を彷彿とさせる(いや、そっくり!)の弁護人の開口一番。

「みなさん。人間の記憶は不完全です。人の記憶はもろい。あてになりません……」
 つまり、20年前のことを証言した共犯者たちの記憶の不確かさを強調するところからはじめて、証言があてにならないことを強調しはじめたのだ。
 それで高橋被告の主張の正当性をうったえたかったらしい。
 だけど、そもそも高橋克也の記憶だってあてにならないし、まして、事件から顔を背けた17年間の逃亡生活の中で、自分に都合の悪いことは、記憶から消したり、作りかえているんじゃないのか!?
 高橋の記憶にこそ疑問の余地がある。被告人にとっても不利になる。
 おもいっきり諸刃の剣の主張をはじめる。

 その弁論の中で、井上証言の嘘や、中川証言に信用性のないことを主張するのだが、これがどうにも牽強付会。
 例えば、地下鉄サリン事件に関する井上証言について。
 井上は自分の責任を他の共犯者に転嫁したい。現場指揮者ではなくて、ただの伝達役だったと過小に自分を評価したい。だから、嘘をつくのだ、と弁護人はいう。なるほど、それはあるかも知れない。ところが、そのあとに続く主張が、だから、高橋克也に地下鉄にサリンを撒くことを伝えた、という井上の証言も嘘だ、というもの。弁護人は、高橋は地下鉄にサリンを撒くことは知らなかったと主張している。
 現場指揮者で、しかもその井上の直属の部下であった高橋ともなれば、なおさらサリン散布の計画を伝えた可能性のほうが高いでしょうに!

 VX事件にしても、そう。例えば、浜口事件。
 弁護側は首謀者を含めた実行部隊の殺意を否認。ポアするつもりはなく、教祖の指示に従っただけ、麻原が「ほっ、ほっ、ぴゅっ!」(ジョギングのふりをして近づき、後ろからVXをかける)でやれ、といったやり方を、実行したに過ぎない、と主張するのだけれど、結局それも、柔道場に通う浜口さんのゲタにVXを塗っておくとか、電車内でかけるとか、積極的に実行の仕方を話合った挙げ句に、他にいい方法もなく、尊師のいったとおりにしよう、と議論が戻っただけの話で、その間をすっぽり落として、筋道を立てている。
 やれやれ……。

 そもそも、この高橋の弁護人。1月16日の初公判の冒頭陳述で、この日と同じように裁判員を見渡してから、こういう言葉から口火を切っている。

「みなさん。人は死にます。必ず死にます。私も含めて、この法廷にいる人で50年後に生きている人は半分もいない……」

 もう、裁判員を脅すところからはじまっている。本人にその意識がないにしても、死を意識づけるところ、そして恐怖を煽るところ、カルトと呼ばれる集団の〝強迫の構図〟に酷似するものがある。
 オウムに入信した高橋の心理と同調させたかった狙いがあるのだろうが、もっと他の言い方もあるだろうし、もはやその手法をとったところでカルトだ。

 そして、終日に亘ったこの日の弁論の締めくくり。
「最後に、私の恩師から聞いた昔話をします」
 そう言って語った主任弁護人の〝説法〟。
 昔、ある村に、スズメ捕りの名人がいた。この老人は、なんでも知っていた。その鼻を明かしてやろうと、悪ガキが計画を立てた。スズメを捕まえて手に握って、老人の前に差し出す。そして、尋ねる。このスズメは、生きているのか、死んでいるのか。生きている、と答えたら手の中でスズメを握り殺す。死んでいる、と答えたら手を開いてスズメを飛ばす。その計画を実行にした。その時、老人はこういった。スズメは君の手の中にいるんだよ。……と、そこまで話して弁護人はこう締めくくった。

「高橋克也さんは、いま、みなさんの手の中にいます! ありがとうございました!」

 なんなんだ!? この弁論! 最後まで裁判員を脅しているようにしか見えない。
 裁判員制度で、こんな手法がありなのか!?

 10年前、20年前のオウム裁判、それも地下鉄サリン事件の審理と、明らかに変わってしまった。
 こんな裁判の在り方で、いいのだろうか。
 そして、こんな審理でオウム事件が終結していく。
 これで本当にいいのだろうか。

 甚だ疑問である。


プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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