日本経済新聞の誤報記事といまさらながらの農林水産大臣

農林水産大臣の発言とチェック・オフ・プログラム
 NHKに出演した農林水産大臣が「チェック・オフ・プログラム」について言及したことがニュースになっています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151018/k10010274131000.html
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS18H04_Y5A011C1NN1000/

 ぼくにしてみたら、いまさら……という感じしかしませんね。

 まず、米国のチェック・オフ・プログラムについては、現地で取材して、今年の『文藝春秋』3月号からの連載で書いています。
 牛肉や豚肉の場合、1頭を出荷したところで1ドル程度からそれにも満たない額を徴収します。大量生産が可能な国柄だけに、少額徴収でも大金が集まります。
 この資金によって「ビーフ・ボード」「ポーク・ボード」と呼ばれる組織が運営され、生産者の教育や、消費者への情報提供、販路拡大、あるいは輸出の促進など、あらゆる事業を展開していきます。
 ビーフ・ボードの場合は、1920年代にチェック・オフ・プログラムが立ち上がり、1986年には法制化され全国で義務化、徴収されています。
 また、30年前には豚肉の輸入国だった米国は、このシステムの後押しもあって、いまや輸出国に転じ、TPP交渉では日本が重要五項目に入れて国内の養豚事業を守らなければならいほど、日本を脅かす存在に急成長しています。
 チェック・オフ・プログラムには任意参加による民間団体も存在し、そのひとつ豚肉の任意団体NPPC(National Pork Producers Council)は「TPPの草案を書いたのは私たちだ!」「日本も参加させるべきだと提案したのは私たちだ!」と、自負しています。いわば、TPPの仕掛け人です。
 日本の場合だと、ものすごく簡単にいってしまえば、その役割を農協(農業協同組合)が担うべきはずでした。
 それがちゃんと機能しないから、いまのような事態に陥っています。
 和牛に関していえば、「○○牛」というブランド戦略が各自治体でバラバラに展開しているから、米国のような一体性がない。米国にのみ込まれるわけですね。
 農林水産大臣がチェック・オフ・プログラムの導入について言及したことは、農協の存在に取って代わることを意味するのに、まあ、農協側(全中)の人間も暢気なものです。

日本経済新聞の誤報
 さて、食肉に関してもうひとつ。
 日本経済新聞の間違った記事、いわば誤報、嘘記事を見つけましたから、触れておきます。

日本経済新聞『伊藤ハム・米久が経営統合発表 「新興国の食欲」再編促す』
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ15HTN_V10C15A9TI1000/

 先月、日本の業界第2位の伊藤ハムと第7位の米久が経営統合することが明らかになりました。
 中国の台頭と世界の食肉の買い漁り、それに対抗する国際競争力の必要性から、合併に至った経緯を説いているのですが、その中にこんな文章があります。

例えば輸入の牛バラ肉(ショートプレート)。中国との競合で、米国産(冷凍品)の取引価格が14年は1年間で9割高の1キロ1100円前後となった。これが牛丼チェーン各社の値上げにつながっている。中国の経済発展によって「肉食化」が進み、急騰した。(日本経済新聞 2015年9月16日紙面より)


 これ、まったくの間違い。出鱈目。
 中国では、米国内でBSEが発生して以来、米国産の牛肉の輸入を禁止しています。(因みに、日本の和牛も同じ理由で輸入禁止の状態です!)
 だから、米国産牛肉で「中国との競合」なんてあり得ない。
 根本が間違っている。
 ただし、香港やマカオの業者が買い付けて大陸に密輸していたケースはあります。
 それも昨年の後半から取締が厳しくなり、密輸できなくなったブローカーはアジア諸国に転売。
 いまは日本への供給量も安定しています。
 今月はじめに、牛丼チェーン店が値下げキャンペーンを実施したのも頷けます。

 日本経済新聞が、こんなお粗末な記事を掲載するとは、なんともはや……。

 日本人は世界を取り巻く食料事情を知らなすぎるような気がしています。
 そこに関心を持たないことも、いかがなものでしょうか。

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産経新聞の筋違いで破廉恥極まりない社説

 TPPが大筋合意して10日が経ちます。
 どうやら、参加12ヵ国のうち、大騒ぎをしているのは日本の報道だけのようです。
 米国では合意内容でさえ、報じていないようです。

 その間に産経新聞に掲載された社説です。

『TPP大筋合意 「自由」基盤の秩序築いた』2015年10月6日
http://www.sankei.com/column/news/151006/clm1510060002-n1.html

『TPP 攻めに徹する対策とせよ』2015年10月11日
http://www.sankei.com/column/news/151011/clm1510110002-n1.html


 前にも伝えましたが、産経新聞での連載が予定され、2年半前にボツにされたぼくの幻のコラムのゲラです。
「取り上げる内容はなんでもよい」「そのかわり辛口で書いてくれ」というのがコラム執筆の条件でした。

ボツにされた幻のコラム ゲラにまでなっているのに……
幻のコラム第1回
(※画像はクリックすると拡大します。)

 いったい、なぜボツにされたのか、理由がわかりません。
 ここへ来ての社説と同じことを、当時の状況を踏まえて示唆的に「辛口で」書いているつもりなのですが。

 どなたかに説明してほしいものです。
 筋が通らない。
 恥ずかしくないのかしら。


 朝日新聞を批判なんてできませんね。不見識も甚だしい。
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-122.html

反論掲載を拒否する森達也と『創』の存在に値しない浅薄さ

 過去にぼくが出演したテレビ番組での発言について、事実と異なるとして、森達也という人が、今年の6月に発売された『創』という月刊誌の7月号の連載コラムで批判しています。
 そのことについて、言及しようと思うのですが、6月に公になったことに、なぜいまごろになって触れるのか、その事情から説明します。

 同誌には、ぼくばかりでなく、弁護士の滝本太郎さんについても批判されていました。
 そこで、その直後から滝本太郎さんが同誌にて反論をしたいと、『創』編集部に申し出ていました。
 森達也の『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞したことに、いっしょに抗議していたこと、その抗議内容についても同誌で触れて批判していたので、反論はひとつにしたほうがいいだろうと考えました。
 そこに合わせて、ぼくの発言についても言及するつもりでした。

 ところが、驚いたことに『創』の篠田博之編集長は、時間を置いた挙げ句に、申し出を断り、反論の掲載を拒否したのです。
 その経緯については、滝本太郎さんのブログにて公開されています。
 滝本さんは内証証明まで送って、返答を求めたほどです。

『生きている不思議 死んでいく不思議』‐某弁護士日記
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20151001/archive

 滝本さんが反論原稿の掲載を求めていること、これを拒否したことは、森達也も承知しています。
 滝本さんとぼくを批判した森達也の原稿の末尾には、こういう記載があります。
「気付かなかったなどと言い訳されないように、本誌は滝本・青沼両氏に送ってもらう」
 そこまで公言し、実際に編集部といっしょになって滝本さんに掲載誌を送りつけておきながら、反論を拒否するとは、いったいどういうつもりなのでしょう!(ただし、ぼくの手もとに掲載誌は届いていません。その事情はこのブログでも書きました。)
 『創』という雑誌は、メディア批評を真骨頂とした媒体だと思っていたのですが、反論掲載を拒否するとは、まったく他人の批判なんてできるはずもありません。
 反論をさせないことは、民主主義の根幹にも関わる問題です。
 まして、繰り返しになりますが、著者といっしょになって掲載誌を送り付けてまでしているのに……。
 まるで、「殺生は禁止」としながら、殺人を繰り返していたどこぞの宗教団体といっしょです。
 篠田博之編集長は、同誌を「商業媒体」と明言していましたが、いったいこんな雑誌を誰が買うのでしょうか。

 ついでながら触れておきますが、篠田博之編集長が反論原稿の掲載拒否を滝本太郎さんに伝えて来た文面にこんな言葉がありました。

【もともと滝本さんたちの批判は、麻原をめぐる弟子の暴走論と呼ばれた部分、麻原が詐病かどうかという、割と大事な論点を提示していたように思うのですが、それがきちんとした論争になることなく、感情的な応酬になってしまったことが残念でなりません。】

 「弟子の暴走論」とは、オウム真理教が犯罪を犯すまでの経緯のこと。
 「詐病」につては、公判での被告人の態度のこと。
 まったく次元が異なることです。
 それを「大事な論点を提示していた」「論争になる」と言ってしまうあたりは、まったく事態を理解できていないのだと思います。
 仮にも出版社の代表にして看板雑誌の編集長を名乗りながら、その責務にも値しない愚かさを自ら露呈しています。
 まったく呆れました。

 そんな次第で時間がかかりました。
 正当な主張と手続きを踏みたかったこともありますし、我慢も必要でした。

 さて、ぼくのテレビでの発言とその批判についてです。

 テレビ東京の『解禁!暴露ナイト』という深夜番組に出演して、麻原公判について語ったことがあります。
 その中で、ぼくが麻原彰晃に死刑判決が言い渡されるときのことについて触れています。判決理由の告知からはじまって、ようやく主文を言い渡す瞬間がやって来たとき、裁判長が証言台の前に立つように被告人席の麻原に指示しました。しかし、麻原は無視して立とうともしない。そこで……ぼくは番組内でこう発言しています。

 そうすると、刑務官が10人くらいついてますよね。刑務官がもう手を引っ張って、立たせたんですよ。で、麻原死刑囚はそのときどうしたかっていうと、『立ちたくない』っていって、こう(※仕草がついている)、お尻をくの字にしてですね……こう、抵抗して、でも10人で引っ張ってますから、ダダダダダっと、そのまま勢いで、真ん中に立って……で、裁判長が『主文。被告人を死刑に処す』と言って終わった、ということなんですね。


 この時、麻原は「立ちたくない」などと言っていない、として森達也が同誌で批判しています。
 具体的には、こんな文章が書き連ねられています。

「一審判決公判のこの日、僕も法廷にいた」
「でも『立ちたくないと言い張り』などありえない。明確な言葉など絶対に一言も発していない」
「あなたたちの論法を敢えて使えば、『本当にその場にいたのですか』と言いたくなる」

 結論から言えば、麻原がその時、「立ちたくない」と声に出して発言してなどいません。そして、ぼくが「いって」とコメントしたのは、例えば、
『犬が、そっちに行きたくない、と言って尻込みする』
『奈良公園の鹿が、鹿煎餅をください、と言ってお辞儀をする』
 という類の意図で使ったものです。仕草に合わせて心情を代弁したつもりです。
 番組では、初公判から、不規則発言、英語による罪状認否、そして沈黙と、裁判の流れを語っています。その脈絡の中で、死刑判決に至るまで麻原が一切何も語らなくなったことが前提となっています。その上での発言ですし、麻原がなにもしゃべらなくなったことも、きちんと放送されています。番組を観れば理解できるはずです。
 森達也も本文の中で、「取り寄せた『解禁!暴露ナイト』のDVDを観た」と言明しています。映像作家を自称するのであれば、番組の流れというものを理解できて当然のはずです。……いや、そもそも、どこから取り寄せたのでしょうか。テレビ東京は頼めばそんな便宜を計ってくださるのでしょうか。商品化はされていませんし、そうでなければ、違法コピーを視聴していたことになります!それこそ、大問題ではないでしょうか。

 とはいえ、人によっては、本当に麻原がそう声を出して発言したように受け取ってしまう可能性も否定はできません。
 正確性を欠いた、曖昧な表現でした。そのことは、潔く訂正します。
 誤解を与えたなら、お詫びします。

 さて、その上で、この批判原稿についてさらに言及しておきます。
 もう、このことは、4年前にこのブログを立ち上げてすぐに示していることなのですが、

『是々非々にて候。』(2011年9月21日)
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

 森達也は、『A3』の冒頭で麻原の判決文について、それも地下鉄サリン事件の動機について、以下のような強烈な批判から入っています。

「そもそもが『自己が絶対者として君臨する専制国家を建設するため』と『警察による強制捜査の目をくらますため』なる理由が共存することからして、論理として破綻している。もしも麻原を被告とする法廷が普通に機能さえしていれば、この程度の矛盾や破綻は整理されていたはずだ」(『A3』単行本8ページ)

 しかし、判決文では以下のように示されています。

「被告人は,国家権力を倒しオウム国家を建設して自らその王となり日本を支配するという野望を抱き,多数の自動小銃の製造や首都を壊滅するために散布するサリンを大量に生成するサリンプラントの早期完成を企てるなど教団の武装化を推進してきたものであるが,このような被告人が最も恐れるのは,教団の武装化が完成する前に,教団施設に対する強制捜査が行われることであり,(中略)現実味を増した教団施設に対する大規模な強制捜査を阻止することが教団を存続発展させ,被告人の野望を果たす上で最重要かつ緊急の課題であったことは容易に推認される」

 森達也は、『創』7月号で、ぼくの発言を批判する理由に、
「一審判決公判のこの日、僕も法廷にいた」
 ことを挙げています。
 判決公判にいたのなら、この判決文の朗読も聞いていたはずです。
「あなたたちの論法を敢えて使えば、『本当にその場にいたのですか』と言いたくなる」
 その言葉、そっくりそのままお返しします。

 森達也は、その場にいながら、判決文の内容すら理解できていないのです!
 そのことを、森達也自身があらためてここで認めています。
 もはや自慢のネタの『A3』の書き出しの前提から間違っているのです!
 この指摘については、反論どころか一切触れようともしないのが、森達也の姿勢です。
 もっとも、触れようものなら、あるいは誤りを認めて訂正しようものなら、『A3』が賞にも値しないどころか、根本から破綻してしまうからです。
 森達也は同誌の中で、ぼくの発言について、こうも書いています。

「それをテレビという最大の公共メディアで言ったのだ。まさしく麻原処刑が一部週刊誌などで取りざたされている今、これは看過できない。その真贋は絶対に確認されなければならない」

 講談社ノンフィクション賞を受賞してしまったからには、影響力は大きいものがあります。
 上記の指摘について、説明していただきたいものです。

 そもそも、麻原公判は250回以上を数えます。それを、最後のたった1回だけしか観ていないのです。取材などしていないのです。
 だから、森達也は記念すべき「受賞のことば」の中でも、こんなとんでもない過ちをおかしています。

『是々非々にて候。』(2011年10月19日)
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 ぼくの発言を批判した同誌の中で、森達也は「って、アホか」と中傷されていると書いています。
 アホだと思われるのが嫌だったら、しっかりとその根拠となっている「受賞のことば」について、誤っているのかいなのか、はっきりさせれば済むことです。
 それについても、これまでに一切触れていません。
 たった1回しか観ていないから、裁判を語ることにも無理があるのです。

 ぼくの発言を批判するはずの原稿は、実は自分で墓穴を掘っておきながら、何を書いているのか、それすらわかっていないのです。
 これ以上あれやこれや書いても理解に苦しむでしょうから、ここで指摘していることについて、わかりやすく整理しておきます。

1)「取り寄せた『解決!暴露ナイト』のDVD」とは、どこから取り寄せたものなのか。違法コピーではないのか。
2)『A3』冒頭に出てくる、麻原判決への批判は正確、妥当なものなのか。「本当にその場にいたのですか?」
3)「アホか」とぼくが思ってしまった「受賞のことば」に誤りはないのか。

 こう丁寧に論点をまとめて差し上げても、言及しないのでしょう。
 だから森達也をぼくは「破廉恥」「卑怯者」と思うのです。

 まして、反論を拒否した森達也と『創』編集部の言動と行動は、森達也の論法を敢えて使えば、「あなたたちは、正気ですか」「自分のしていることが理解できているのですか」と言いたくなる。

 理屈や道理がわからないのなら、せめていい加減に感じてほしいと思います。
 講談社に連名で抗議文を送った、滝本太郎さんや藤田庄市さんが、いったい何を守ろうとしているのか、を。

http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

中国で身柄を拘束されたことについて

 中国で日本人が2人、「スパイ容疑」で拘束されているというニュースが伝わってきました。

http://www.asahi.com/articles/ASH9Z5K7ZH9ZUHBI01X.html
http://mainichi.jp/shimen/news/20151001ddm007030152000c.html

 この夏、ぼくも中国で身柄を拘束されました。
 毛沢東の出身地で知られる湖南省の田舎町でのことです。
 田圃の写真を撮っていたら、公安当局に同行を求められました。
 そこで手荷物からカメラから全て取り上げられ、
 財布からスマートフォンの中味まで覗かれました。
 写真のデータは全て消去。
 その一方で、執拗な取調が長時間続きます。

 そこで驚かされるのは、ある意味では当たり前のことなのですが、
 取調がはじまるとすぐに、「お前は○○のホテルに宿泊している」「××から旅行代理店に送金があった」「依頼をうけて調査に来たのだろう」など、個人情報から行動が全て把握され、それを材料にスパイ容疑をかけてくること。
 中国では、ホテルにチェックインすると、パスポート情報が全て公安につながるシステムになっています。
 日本人観光客の情報なんて、筒抜けなのでしょうね。
 それ以前に、移動中に怪しい黒塗りの車があとを付けてきていたときから、嫌な雰囲気はあったのですが……

 10年以上も前から中国には渡航歴がありますが、こんなことははじめての経験でした。

 取調の執拗さから、いわゆる「自己批判」を迫るようなやり方は、精神的にも疲弊していきます。
 思い出すだけでも嫌になる。

 5月から拘束されているという2人とは事情が異なるかもしれませんが、とはいえ、ぼくの体験したことと関連はないとはいえないでしょうね。
 ぼくが拘束された翌日は、中国国内では人権派と呼ばれる弁護士たちをはじめ120人以上が拘束されるという「暗黒の金曜日」となっています。


プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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