茨城県はやっぱりどこかおかしい!

 茨城県は、やっぱりどこかおかしい。

 もう2年も前から、このブログで茨城県の嘘や暴挙、不見識は指摘してきていることですが……、

http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-48.html
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-49.html
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-71.html
http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-134.html

 今回の件も凄まじい。
 同県の女性の教育委員が、県内の特別支援学校を視察したことを踏まえて、18日の県総合教育会議でこう発言したという。

「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になるとおろせないですから」
「ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」
「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」
「茨城県はそういうこと(=障害児の出産)を減らしていける方向になったらいい」

※以下、関連記事
http://jp.reuters.com/article/2015/11/19/idJP2015111901000788
http://mainichi.jp/select/news/20151119k0000e040205000c.html
http://www.asahi.com/articles/ASHCN54BZHCNUJHB015.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151120/k10010314151000.html
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2641227.html

 まず、発言をした東京・銀座の画廊の副社長というこのお金持ちのおばあさんは、ニュルンベルク裁判でいったい何が裁かれたのか、知らないらしい。
 キャスト、スタッフが米国アカデミー賞を受賞した映画『ニュルンベルク裁判』(’61)を観てみるといい。

 次に、こうした人物を教育委員にしてしまうところでおかしい。
 知事も当初は発言を「悪いことではない」などとコメントして庇っていたし、
 当人が教育委員を辞職して済む話でもあるまい。

 これまでのすべてについて共通して言えることは、
 人の命というものに真摯に向き合っていないこと。

 繰り返しになりますが、
 茨城県には、ぼくの尊敬する人も住んでいます。

 だけど、この施政はあまりに酷すぎる。
 もはや、体質なのでしょう。
 よもや、県の会議で「間引き」の推進が語られるとは思ってもみなかった。

 魅力度ランキング、47都道府県中3年連続で最下位であることも頷ける。

http://www.sankei.com/region/news/151006/rgn1510060010-n1.html

 みんなよく知っている。

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【悲報】佐木隆三さんの思い出

 作家の佐木隆三さんが亡くなった。昨日10月31日の午前8時40分。北九州市内の病院にて。下咽頭がんだった。78歳。
 第一報を受けた今朝から、ずっと独りで哭いている。
 いろんなことが思い出されて、秋空の淡い光が目に染みて仕方ない。

 お酒の好きな人だった。
 あれは4年前。東日本大震災が起きたあとのこと。
 ある夜、ぼくの携帯電話がやたらに鳴った。『週刊文春』の編集部をはじめあちらこちらの編集部に佐木隆三さんから電話がかかってきていて、ぼくの所在と連絡先をいますぐ知りたいとまくし立てて大騒ぎになっている、という話だった。ちょうどその頃『週刊文春』に掲載されたチェルノブイリ原子力発電所の事故現場の現状を取材したルポを読んで、えらく感激され、酔った勢いであちらこちらに電話されたらしい。
「いやあ、お騒がせしました」翌日、佐木さんに連絡を入れると恥ずかしそうにそうおっしゃっていた。そして、随分と褒めてくださった。
 お酒の勢いがあったとはいえ、そこまで興奮してくれたことに、妙な感動を覚えた。気にかけていてくれること、いっしょに喜んでくれることが嬉しかった。

 いろいろな現場、それも刑事裁判の傍聴席でいっしょになって、いろんな話をした。
 8年前のこと。広島の裁判所での取材を終えたあと。佐木さんも北九州からひとりで取材に来ていて、ふたりで名物の牡蠣を食べに行ったことがある。
 川縁に浮かぶ「かき船」で、開店の午後5時に入って、それから閉店の午後10時過ぎまで、ずっとふたりで過ごしていた。他に訪れる客もなく、いつの間にか船を貸切で、いっしょにお酒を呑み、いろんな話を聞かせてもらった。
 あとで考えてみれば、他に客がなかったのも当然で、ふたりで訪れた7月の暑い時期は牡蠣のシーズンをものの見事に外していた。それでも、いっしょに過ごせる時間が嬉しかった。楽しかった。牡蠣よりもお酒、そして会話だった。
 ふたりで焼酎を2本くらい空けたかな。それでもまだお酒を呑みにいく、という佐木さんに従ってハシゴをした。居酒屋でビールを呑んで、地元の親しい記者を呼ぼう、という話になって、ぼくが教えられた番号のあちらこちらに電話をかけた記憶がある。きっと、チェルノブイリのルポに感動されたあとも、そんな風に喜んでいてくれたのかな、と思う。
 本当にお酒が好きで、正体がなくなるほどベロベロに酔ってしまう佐木さんだったけれど、どんなに酔っても必ず翌日の裁判取材に遅れることはなかった。必ず傍聴券抽選の場所に並んでいた。その度に、頭の下がる思いがした。

 佐木さんとの接点は、一連のオウム裁判の傍聴にはじまる。佐木さんも足繁く東京地方裁判所に通われていて、お顔を拝見するようになった。
 ある時期から、毎日のオウム裁判の傍聴記録をタブロイド紙風にまとめた『青ちゃん新報』という手書きの〝新聞〟を出すようになって、知人や関係者に配布してみた。それが佐木さんの手元にも届いていたらしい。
 ある夜のこと。やっぱりぼくの携帯電話が鳴った。でてみると、
「青ちゃん! 青ちゃん?」
 としか言わない。
 てっきりイタズラ電話だと思って、ちょっと厳しい口調で、
「いったい、どこのどちら様ですか!?」
 と問い質したところ、
「佐木隆三と申します!」
 と返答されて、驚かされた。やっぱりその時も、お酒を嗜んでいる最中だった。ご担当の編集者といっしょで、ちょうどその話になって、電話をかけてきた。そして、その時にふざけたような『青ちゃん新報』を、「よくできている」と言って真面目に褒めてくださった。
 それからだった。いろいろな話をさせていただくようになり、そして、オウム事件以外の場所で遭遇することも多くなった。

 あれは5年前の11月。
 鹿児島の裁判所で佐木さんとばったり会った。
 強盗殺人事件の裁判員裁判で、一貫して無罪を主張する被告人に死刑が求刑されるという初めてのケースだった。
 そこに佐木さんがいるとは予想していなかったが、それ以上に佐木さんのほうがもっと驚かれていた。
 そこでもいっしょに食事をしたり、いろんな話をした。
 広島に原爆が落とされたとき、キノコ雲をこの目で見た、という話を聞かされたのも、この時だったように思う。その体験をまとめた絵本を、そのあとに送ってくださった。
 それから……、そうそう、小説の話をした。
 佐木さんはぼくのことを冗談なのか、本気なのか「隠れた文学青年」と言っていた。いちど『青ちゃん新報』に、志賀直哉の小説『赤西蠣太』を引用したときから、そう言われるようになった。
 そう、あの時、鹿児島の夜景を眺めながら小説の話をして以来、それっきりになっていた。

 2002年に、生まれてはじめてぼくは本を出した。『池袋通り魔との往復書簡』という文庫本だった。その巻末の「解説」を書いてくださったのが佐木隆三さんだった。
「愛情に満ちている解説だよ」
 佐木さんからの原稿を受け取った編集者がそう言っていた記憶がある。
 実際に読んでみて、ぼくも少し驚いた。中味よりも、ぼくに向けて言葉を囁いてくれるような、優しいものだった。
 その中に、こういうくだりがある。
「この人は小説を書く人だと会った時から思っていた」
 その言葉には、いまだに応えられていない。
 ぼくにとっては忘れてはならない、かけがえのない人。

 強く厳しいことを言う人でもあった。それは反骨心からくるものだったように思う。
 地下鉄サリン事件の実行役の公判に、麻原彰晃が証人として出廷したことがあった。ところが、麻原は惚けたような態度をとり、宣誓書への署名を拒んだ。
 だが、弁護人が証言する意思はあるのか質すと「OK!」などと、それなりの意思表示はしている。
 ところが、初めて見る麻原に動揺したのか、裁判長は証言拒否と見限るなり、あっさりと退廷させてしまった。
 これに弁護人たちが猛抗議。法廷は混乱した挙げ句に、裁判長が閉廷を宣告した直後だった。
 傍聴席の最前列に座っていた佐木さんがいきなり立ち上がるなり、大声で、
「いやあ〜! びっくりしたなあ! こんな酷い裁判、初めて見た!」
 そう叫んだのだ。同じ傍聴席にいたこっちがびっくりした。そして、真っ先に法廷から出て行ってしまった。
 佐木さんなりの裁判所への抗議だった。
 後日、この裁判には再び麻原が証人として呼ばれ、そこでは曲がりなりにも宣誓が成立して、なんと麻原が証言をした最初で最後になっている。

 最後に佐木さんとお目にかかったのは、17年間の逃亡の果てに出頭してきたオウム特別手配犯の平田信の公判だった。
 車椅子で裁判所にやって来ていた。
 中川智正という死刑囚が証人出廷するという異例の公判で、警備も厳しく、傍聴人のボディチェックは嫌がらせと思うほどに執拗に身体を撫でくりまわした。
 そのやり方を佐木さんはものすごく嫌がり、抵抗していた。そこまですることはない、やり過ぎだ、とぼくも思っていただけに、佐木さんの気持ちはよくわかった。それを車椅子に乗っても、はっきりと抵抗の意思を示す。おかしいと思うことは、おかしいという。それが佐木さんの真骨頂だと思った。逞しいと思った。そうだ、絶対に萎えてはいけないのだ。

 そういう熱い眼差しがあったからだろうか。
 いつもどこかで気にかけていてくれる、声をかけてくれる、ということがなんだかとても嬉しい人だった。
 不幸にして、ぼくは家族というものにはずっと裏切られてきたけれど、どこかで愛情にも似たものを感じさせられていたのかも知れない。
 そして時には、現場に挑む同志のように接してくれた。
 だからなのかな。
 それこそ佐木さんとは、同じ現場で、殺人事件や死刑相当事犯の傍聴取材を数多くしてきて、人の死というものにはある程度、冷静に接せられる免疫のようなものは備わっていたと思っていたのに、なぜだか涙が止まらない。年を取って涙もろくなったせいかな。いや、やっぱり、濃密な時間を共に過ごしたことがあったからだろう。人の死というものを、いまとても身近に感じている。

 お酒の好きな人だった。
 豪放磊落、それでいて細部の取材も欠かさない。現場を見ることを大切にした人。いろいろなことがあり過ぎて語り出したら尽きない。
「いやあ〜、なぜだろう? どうして、お酒ってこんなに美味しいんだろう」
 そういって、1杯目のビールを美味しそうに呑んでいた笑顔を思い出す。
 佐木隆三さんに乾杯!

 そして、さようなら。

プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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