幼い命が奪われるということ

ある夏休みの体験
 ぼくが小学生だった頃、夏休み中にクラスメイトの女の子の弟が行方不明になる、ということがありました。
 同じ小学校に通っていたこともあって、母親も連日のように捜索に出かけていたことを覚えています。
 その数日後、彼の遺体が毛布にくるまれてダムに浮いているのが発見されました。
 犯人はすぐに捕まっています。彼の(そして、ぼくのクラスメイトの)家に出入りしていた業者の男だったように記憶しています。
 短い夏休みが明けて登校すると、ぼくの隣の席はしばらく空になっていました。
 ちょうど、1学期が終了して夏休みに入る直前の日、放課後にその姉弟といっしょでした。グランドで追いかけっこをして、年長でありながらぼくは低学年の彼に追いつけなかった。それをお姉さんが見て、弟の足の速さを誇らしげに語り、そしてぼくの鈍足ぶりをみんなで笑っていたのに。
 夏休み前の記憶は、いまでもはっきり残っているのに、明けたあとの記憶というのは、ほとんどありません。
 あの時、その事実をどう受け止めたのか。教室にぽつんと空いた席と、ぼくの知っている男の子が殺されてしまったこと。
 そして、再び彼女が教室に姿を見せたとき、どのように迎え入れたのか。
 不思議とよく覚えていません。
 子どもながらに気を遣ったつもりで、何事もなかったようにしていたことが、記憶を遠ざけることになったのかも知れません。
 彼女とは卒業までいっしょでしたけど、いままで通りに登校していましたしね。笑顔もそのままだった。


 神戸市長田区の小学1年生の女の子が、今月11日から行方不明になり、自宅近くの雑木林から、バラバラにされて遺体が見つかった事件。
 こういう事件に接する度に、そして歳を重ねるにつれて、傷ましさが身に染みる。
 そして、あの時のぼくがどうやって事態を受け入れていったのか、それが思い出せないことのほうが、なんだか大切ななにかを胸の奥に閉じ込めているような気がして、重くのしかかる。
 いま、殺された女の子と同じ学校に通う子どもたちや、彼女を知るお友達たちは、どんな気持ちでいるのかな?
 教育現場にいる大人たちは、決まり台詞のように「心のケア」なんて口にするけど、大人にできることなんてなにもないような気がする。
 子どもたちにできることといえば、日常を生きることくらい。何事もなかったように生活すること。子どもたちの知恵。
 それより、本当に心のケアが必要になるのは、彼や彼女たちが大人になったとき。過去の事件と向き合おうとしたとき。
 その時に、はじめて重荷を背負ったことを感じるのかも知れません。


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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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