ウィキペディアで原稿を修正する活字メディアと学部長の式辞

ここ数ヶ月で驚かされたこと
 昨年の11月に取材で米国をまわって来て以来、いろいろな長い原稿を書いたり、海外ロケが入ったり、またノンフィクション番組を制作したり、随分と忙しくしていました。
 それで、このブログの更新も滞ったりしていたわけですが、その間にいろいろと驚かされることがいくつもありました。

 そのうちのひとつ。

 ある原稿を入稿して、ゲラが出てきました。ゲラというのは、簡単にいえば試し刷りのことです。そこで原稿に間違いがないか、チェックします。
 同時に、校閲という役割の人がいて、同じゲラをみて、間違いをチェックします。この校閲さんが間違いを指摘して書き込んできたものを、校閲ゲラあるいは校了ゲラと呼んでいます。これを筆者が受け取って、原稿をより正確なものに直していきます。
 ですから、校閲という人の役割はとても重要で、間違いの指摘もきちんとした事実に、あるいは一次情報に基づいてなされるべきものです。
 ところが、あえてどこの出版社とは言いませんが、渡された校閲ゲラを見た時のこと。
 原稿に事実関係の誤りを指摘してあるのですが、その根拠となるものが「ウィキペディア」から情報だったのです。
 ウィキペディアの記載を見て、原稿の間違いを指摘しているのです。
 びっくりしました!

ネット情報が根拠!?
それって……モラハラでしょう!

 しかも、そのウィキペディアに記載のあることのほうが間違っているのです。それは根拠を持って証明できます。(だって、それはこちらが20年近くも取材してきた内容に関することだったのですから!)
 ウィキペディアについて、もはや説明することもないでしょうが、不特定多数の書き込みで、正確な情報ばかりが発信されているとは限らない。
 例えば、ある新興宗教の教祖様のことなどは、信者たちが持ち上げれば、それはもう現人神のように仕上げてしまうこともできます。
 着実な裏付けや良心だけで出来上がっているツールではないはずです。
 しかも、原稿には文法的な間違いがないにも拘わらず、校閲さんが勝手に文章を手直ししている。つまり、個人の好みで文章をいじくって来ている。
 こんな校閲さん、はじめてです。
 さすがに不信に不快が加わって、編集者に連絡しました。
 すると、編集者が言うのです。

「青沼さんはうるさい」
「他の筆者なら、黙って編集者に任せる」「文章になんかこだわらない」
「校閲の指摘通りで、文章もみんな『お任せします』で終わるものだよ」
「普通はそうする」

「うるさい」と言われて、深く傷つきました。
 事実を追究すること、自分の書いた文章にこだわることが、どうしてそのように吐き捨てられなければならないのか。
 そもそも、雑誌やメディアで社会事象を追及することこそ、当事者や関係者、あるいは情報を受け取る側にしても時として「うるさい」ことなのに、完全にその本分を失っている。
 ましてや、普通はそうだ、みんなそうだ、といって、こちらが異常であることを認識させるやり方は、まさにモラルハラスメントです。
 編集者がいうように、書き手のみんながこだわりも疑問も持たずに、仕上げの全てを任せてしまうのだとしたら、それも異常なことです。
 これではノンフィクションも廃れるわけですよね。
 ウィキペディアでノンフィクションを書くような時代なのですから。

 とにかく、この有様にショックを受けました。
「うるさい」と呼ばれたからには、この編集者、編集部からは、もう仕事の話もないでしょう。
 酷いものです。

「教養」とは……
 そうした〝傷〟と〝疑問〟を抱えて、数か月を過ごしていましたが、たまたまこうしたものを目にしました。
 先月の東京大学の卒業式。教養学部の学位記伝達式での学部長の式辞です。

http://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/message/oration/index.html

 ここではまず、「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」と卒業式で語ったことが有名になった大河内一男総長のことば。実はこれが本人のことばでないこと、メディアによって作り上げられていったエピソードであることが明かされます。そして……

 善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
 情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。
 しかし、こうした悪弊は断ち切らなければなりません。あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。


 ものすごく慰められました。
 涙が出てくるほどでした。

 ネット上で話題になっている、ということで目にとまりました。
 あの編集者や校閲さんにも見ていただきたい。

 このブログの原点にある『A3』問題。
 その根本もこの式辞が全てを物語っているように思えてなりません。
 そして、そこに指摘されている過ちを犯している。

http://aonumazezehihi.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

 やっぱりどこかが壊れている、そう思えます。


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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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