「オウムは自分の既得権益」と断言する森達也の見識

 赤坂に『木下家』というバーがあります。
 作家の開高健さんがよく通われていた店で、
 店内には同氏の写真やゆかりの品が飾られ、
 彼が愛用していたバーカウンターの席には、
 記念したプレートがはめ込まれています。
 開高さんが愛し、またお店も開高さんを愛したのでしょうね。

 そのお店も、今月30日に閉店するそうです。
 35年も続いた老舗のバーが幕を閉じます。
 きっと開高さんも嘆かれていることでしょう。

 その開高さんが嘆かれている、
 もうひとつのことがあるとすれば、
 彼の名を取った「開高健ノンフィクション賞」の選考委員に、
 森達也という人がなっていることでしょう。

 その森達也という人物について、
 その人間性を根本から疑う、
 彼の見識、言動について触れます。

 森達也という人は、『創』3月号、5・6月号において、
 ぼくたちが、彼の著作『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞したことに、「抗議書」を送付して講談社に対して抗議したこと、
 いっしょに連名で抗議した滝本太郎さんのブログのこと、
 それにぼくのこのブログの内容について、言及しています。

 抗議の内容や、ぼくのこのブログについて言えば、
 『A3』をはじめとする、彼の発言について、
 個別具体的に、間違っていること、嘘をついていることについて指摘し、
 批判しているのですが、
 森達也という人は、「すべてに反論できる」とした「抗議書」についてすら、
 具体的な反論はできずにいます。
(していない、のではなく、できないのだと、ぼくは思っています。なぜなら、その指摘がすべてあたっているから。)
 しかも、相変わらずの嘘を書き立て、
 ぼくの批判の根拠に触れもせず、
 読者にはその内容を隠したまま、
 批判の言葉だけをつかまえて、攻撃するという卑劣な手段をまたしても用いて、
 当初から森達也個人への誹謗・中傷を目的としているように吹聴しています。

「お願いだから汚い手で触らないでくれと言いたくなる」
「文中で自分たちが批判されている『A3』に、傷をつけて貶めたいだけなのだ」
「そこまで相手を貶めようとするのか」
「普通に読もうとしない理由は、最初から傷つけることを目的にしているからだ」
(『創』3月号より)

 などと、連呼した挙げ句に、
 最後にこうまとめているのです。

「彼らがこれほど執拗に森達也と『A3』を攻撃する理由にこそ、オウム後に社会が陥った隘路の深さが現れている。滝本にしても青沼にしても森にしても、いわばオウムによって今の位置がある。つまり既得権益だ。だからこそ必死になる。」
(『創』5・6月号 89ページ)

 はっきり言って、この見識には目を疑いました。

『創』5・6月号①
『創』5・6月号②
(『創』5・6月号より)※画像はクリックすると拡大します


 オウムがぼくにとっての既得権益?
 それで必死になって、講談社に「抗議書」を送る?
 既得権益を守るために?

 嘘でしょう! バカもいい加減にしていただきたい!

 そもそも、講談社に抗議書を送付したことで、
 ぼくはモノ書きとしての仕事を失っています。
 講談社で進んでいた本の出版の話も、いくつか立ち消えています。
 当たり前です。
 抗議した先が、出版の企画の進んでいた部門なのですから。
 自分の活躍するフィールドをそれだけ狭める結果になっているのです。
 それを、「既得権益」の死守のため、などと論評する見識は、
 明らかに誤っています。

 しかも、「オウムは森達也の既得権益」と断言する精神は、
 言い表す言葉、表現が見つからないほど(異常だとか、非常識とか、下劣なんて言葉では言い尽くせないほど)、
 もう〝どうかしている〟としか思えませんでした。
 それをぼくや滝本さんまで自分といっしょにしてしまう魂胆は、
 もはや腐っている。

 講談社へ「抗議書」を送るとき、
 そして、滝本太郎さんと藤田庄市さんといっしょに名を連ねたとき、
 そして、それでも抗議しなければ済まされないと考えたとき、
 いったいぼくにどれだけの覚悟が必要だったと考えているのでしょうか!?

 その覚悟さえわかっていない。
 人間が背負っているものすら洞察できない。
 独り善がりにしか、他人をみられない。
 この森達也という人は、心底、愚か者だと思いました。

 もはや、侮蔑の対象でしかありません。

 抗議の意図を、より多くの人に知ってもらおうと、
 このブログを立ち上げました。
 真っ先に「抗議書」を添付しました。
 そのときに、このブログのタイトルをつけました。

 是々非々にて候。

 利害や損益よりも、是々非々で物事を語ろうと覚悟したからです。

 それを、
「最初から傷つけることを目的にしているからだ」とか、
「既得権益」だとか、
 いったい、どういう見識や精神でそうした見解が導き出せるのでしょうか。

 ここまで蔑まされるとは思いませんでした。

 自分を「作家」と呼称しているようですが、
 もはや言論以前に、
 その根本にある人間性をも疑わざるを得ません。

 嘘をつき(その嘘についてはずっと指摘しています)、
 こんな浅ましく愚かな見識しか持ち合わせない人物を、
 よくぞ「ノンフィクション賞」の選考委員にしたものだと思います。
 開高健さんが存命なら、なんと言ったでしょうか。

 もっとも、誰を選考委員にするのか、それは主催者の勝手ですし、自由です。
 ですが、「オウムは自分の既得権益」などという見識を持つ人物の判断が、
 果たして信用できるものでしょうか。

 あるいは、ご自分の既得権益を脅かす作品が出てきたときに、
 この人はどういう対応をとるのでしょうか。

 侮蔑の対象を相手にするつもりはありません。

 ですが、森達也という人の正体については、
 折に付け、あらゆる場面で、
 そして「是々非々」で、
 今後も啓蒙していくつもりです。

 覚悟といっしょに。


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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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