『週刊朝日』という「掃き溜め」の論理

 ここ数日も、出版やメディア関係の人たちと会うと、
 必ずと言っていいほど話題に上がりますので、
 思い切って、ぼくも言及しておきます。

 週刊朝日編集長の懲戒解雇処分。

 もう、ここまで編集部が問題を起こし、
 歴代編集長が不祥事を繰り返すような雑誌は、
 お終いでしょう。
 社会的存在価値もない。

 今回の懲戒解雇(10月8日付)は、
 編集部を含めた社内のセクハラが原因のようですが、
 もう、この部署の腐りようといったら、
 社風を通り超してもはや伝統と言っていいくらいです。
 ほかでもない、
 週刊朝日の捏造記事、虚偽報道を発見して、
 内部告発したにも拘わらず、
 これを隠匿して、
 指摘した側を排除、潰しにかかたった、
 ぼくの実体験が言わせるのですから。

 その話は、以前にもこのブログで語っています。

『真っ当に生きるということ』2012-2-16

 また、その当時存在した文藝春秋『諸君!』という雑誌にも、
 経緯が詳しく載っています。

 ただ、ちょっと事情も変わってきたので、
 もう一度簡単にその事実を振り返っておくと……

 その当時、ぼくは週刊朝日にもよく原稿を寄稿していました。
 その関係で、編集部から、かつて週刊朝日誌面で取り上げた交通被害者家族とコンタクトをとってほしい、という依頼を受けました。
 この方は元警察官で、ご自身の娘さんがあった交通事故を通して、警察の交通事故捜査の杜撰さや不当性を告発している方でした。
 ところが、これをきっかけにいろいろ調べてみると、実はこの週刊朝日に掲載された記事の内容が、事実とまったく正反対であることに気付いたのです。
 つまり、虚報です。
 もちろん、客観的資料による証拠もあります。
 これをみると、単なる勘違いや見落としではなく、意図的に事実を改竄したところも透けて見えます。
 いわば、捏造です。そうでなければ、この記事の執筆者(柳原三佳という人の署名原稿でした!)はよほどの能力不足です。
 同じ場所に寄稿する者としても、ちょっと危機感を覚えました。
 そこでぼくは、懇意にさせていただいていた編集担当者(仮に「Oさん」としておきましょう)に、そのことを内々に報告したのです。当時としては、編集部の自浄作用を信じていたところがあります。
 ところが、この捏造記事を掲載した編集担当デスクという張本人が、そこに登場してきて、はっきりとぼくに言ったのです。
「こんなことを指摘する、あなたのほうがおかしい」
 ぼくは、びっくりしました。
 ちゃんと記事の間違い、でっち上げを指摘するだけの証拠が揃っているのに、
 ぼくのほうを「おかしい」というのです。しかも、その理由が、
「今回の件は別としても、警察の交通事故捜査なんていい加減なものなのだから、嘘を書いたっていい」
 そこまでいうのです。

 その瞬間に、ぼくはもうひとつ別のことを考えました。
 ひょっとしたら、掲載記事を盛り上げる為に、意図的に交通事故被害者家族を騙して、事実を歪め、更に被害者を苦しめているのではないか。
 そうして悲劇のヒロインに祭り上げて、同情を集めようとしているのではないか。
 あるいは被害者の無知を利用して、情報を操作している可能性も否定できない。
 だとしたら、これは被害者(取材対象者)に対する甚大な人権侵害ではないのか。
 そこでぼくは手紙を送りました。
 その当時、朝日新聞社内に発足していた『報道と人権委員会』という機関に、事の顛末を報告したのです。

 すると、今度は同委員会からこういう主旨の回答が届きました。
「報道によって人権を侵害されたという当事者からの訴えでない限り受付はできない」
 呆れました。
 だったら、報道機関なんていらないんじゃないの?
 当事者が声を挙げない限り、アクションを起こさない、何も書かないのなら、取材なんて必要ないじゃない。
 例えば、かつて朝日新聞には筑紫哲也という記者さんがいました(のちにニュースキャスターを務めた有名な人です)。
 彼が取材して同紙の一面を飾った記事に、精神病患者の入院治療における人権無視を取り上げたものがあります。
 これだって、精神疾患を抱えた人々の声にならない声をすくい上げたもののはずです。
 そこにとてつもない違和感を覚えました。

 いや、いまにして思えば、もっと一貫性の無さを、言い換えれば〝ご都合主義〟を指摘することができます。
 1年前のいわゆる週刊朝日の「ハシシタ」報道で、朝日新聞社が橋下徹大阪市長に謝罪したとき、
 この『報道と人権委員会』が独自で検証に入り、見解をとりまとめています。
 当事者である橋下大阪市長は、当事者とはいえ、申し出は行っていないにも拘わらず、です。
「重大な人権侵害、及び朝日新聞出版記者行動基準に触れる行為があると判断される」
 と、委員のひとりが騒ぎだしたのがその理由のようですが、
 そもそも、人の命や人権に大きい小さいや、優劣なんてあるのでしょうか。
 あの当時と内部規定が変わったのだとしたら、
 いったい、いままでどれだけの人権侵害が見過ごされてきたことになるのでしょうか。

 ただ、当時としても虚偽報道の存否については、報道機関として黙っていられなかったようです。
 結局、同委員会はこの問題を週刊朝日編集部に振り戻してしまいました。
 そもそも、自浄作用も持ち合わせず、会話のできない輩が相手だから、こういう事態になったのに、まったく、責任放棄というか、事なかれ主義というか……。
 ぼくからすれば、振り出しに戻った、としか言いようがありません。

 さて、その当時の週刊朝日の編集長というのが、加藤明という人でした。
 この人は平気で編集部との約束(契約)を反故にしたり、裏切る人でした。
 しかも編集長でありながら「俺はそんな約束をした覚えはない」などと、横柄な態度で、権威を笠に着る典型的なタイプ。
 その被害にぼくは既にあっています(過去のブログに詳しいです)。
 この加藤明という人物、編集長の職を離れたのちに、朝日新聞夕刊の「素粒子」欄に、死刑執行を相次いで裁可していた鳩山邦夫法相(当時)を「死に神」と書いて物議を醸したことでも知られています。

 そして、この加藤明という人のあとを継いで、編集長に内部昇格したのが、よりにもよってぼくが指摘した捏造記事を掲載した編集担当デスクの鈴木健という人物でした。
 上記のような言動を堂々と表明するような人物を、編集部の責任者に据えるのですから。
 それどころか、鈴木健という人は編集長就任からほどなく、北朝鮮による拉致被害者だった地村保志、富貴恵夫妻の取材内容を勝手に録音し、「単独インタビュー」と掲載して猛抗議を受け、誌面で謝罪し、定職10日間の処分を受けています。
 編集長が定職だなんて、あり得ないでしょう! 普通なら更迭です。
 この時も鈴木健という人は「相手の承諾を得たものと理解している」などと、当初は言い張って(つまり、嘘を言って)逃げ切ろうとしていた程です。
 この時の、処分はあまりにも甘すぎたように思います。

 そして、何よりこの加藤明、鈴木健に、もうひとつ先代の編集長を加えて、消費者金融「武富士」からグラビア企画の編集協力費5000万円を受け取りながら社名を一切公表しなかったこと、つまり、「武富士」から〝裏金〟を受け取っていた問題が発覚して、処分されているのです。
 この問題を報じた当時の週刊文春には〝ブラック・ジャーナリズム〟とまで呼ばれて、指弾されています。
 もう根源からおかしいのです。

 一方で、捏造記事を指摘したぼくのほうはというと、
 編集部から依頼があって、取材対象者と連絡をとり、掲載済み記事の誤りを伝えた時点で、毎週送られていた『週刊朝日』の送本はパッタリと止みました。
 関係を絶ちにかかったのです。
 以来、編集部との会話もなくなりました。
 もちろん、ぷっつりと仕事もなくなりました。
 それどころか、ある編集部員は「アオヌマと仕事をすると揉める」とまで陰口を広めていたほどです。
 この仕事を続けたかったから、事実ももみ消せ! とでも言いたいのでしょうか。
 そこに内部的な権威主義を感じたのも事実です。
 お陰で『内部告白者はバカをみる』ということを朝日新聞社から教えていただきました。

 それと、最初に捏造記事を指摘し、鈴木健との間に入ったぼくの編集担当者(Oさん)。
 彼は『アサヒカメラ』の編集長にまでなるのですが、在任中に同じ部局内で、自殺しています。
 数年前のことになります。一部の週刊誌でも報じられています。

 そして、昨年の「ハシシタ」事件による編集長の更迭。慌てふためいたような『報道と事件委員会』の対応は上述の通り。

 それから、今回の現職編集長の懲戒解雇処分。

 ここ10年ほどの間に、
 これだけの編集部トップの不祥事が続き、自殺者まで出しているとなると、
 もう部内の風紀の問題なのでしょう。

 ただ、その一方で、ぼくの別の実体験から、ある疑問も湧いてきます。
 朝日新聞には尊敬に値する現場の記者さんやOBの方々もいらっしゃいます。
 どうしても一括りで、朝日新聞はおかしい、と言いにくいところもある。
 組織というのは、巨大化すればするほど、いい奴もいれば、悪い奴も沢山混じってくる。
 だけど、それだけで一極集中的に不祥事が積み重なるものでしょうか。
 疑問です。
 その謎を解くキーワードとして、新聞紙面を作っている側の人間から、こういう言葉を耳にしたことがあります。
 いまでこそ分社化していますが、あの当時に雑誌をつくる社内部署を称して、彼らはこう称していました。

「そこは、〝掃き溜め〟だから」

 あるいは、〝人材の墓場〟と聞いたこともあります。
 あ、いまや人気ドラマとなった『相棒』でいうところの特命係を「人材の墓場」というのとは違います。
 あれは、特命係に送り込まれた人材が堪えきれなくて職を辞していくことを称したのに、
 こちらは新聞で使えなくなった人材を送り込む、文字通りの墓場という意味です。
 もちろん、なかには雑誌を作りたくて自ら希望して配属になった人もいるでしょうが、
 ぼくが過去に受けた仕打ちや実体験から、
 それに、ここまで不祥事が続く現実からすれば、
 ほかでもない朝日新聞社内で評された、その表現は適切なのではないでしょうか。

 まして、現職にあった編集長が懲戒解雇なんて……。
 同誌の売上の落ち込みからしても、
 普通なら絶版です。
 社会的存在価値もない。
 いくら編集長の首をすげ替えたところで、
 もう土壌が腐っているのですから、
 立て直すことも困難でしょう。

 今回の懲戒解雇処分も、「ハシシタ」事件も、そしてぼくが味わされた苦痛の体験からしても、
 週刊朝日や『報道と人権委員会』の本質は何も変わっていないように思います。
 ぼくが捏造記事を指摘したとき、彼らは通報者を排除にかかった。
 くさいものには蓋をしろ、面倒な奴は追い出せ、黙らせろ、といわんばかりに。
 そうして自社の集団組織内の護身と利益を優先させた。
 次に「ハシシタ」事件で、時の人を怒らせてしまった。
 これは不味い。謝罪しろ。内部委員会を起動させて体裁を保て。そうすることで組織を自衛する。
 そして今回、内部のセクハラが問題化した。大きな声になりつつある。その前に沈静化させる。
 もちろん、セクハラの被害を受けた人たちはたいへんな思いをしたことでしょう。
 ですが、今回の処分を大局的にみれば、
 組織の内部事情や保身ばかりが優先された結果の解雇処分に過ぎません。
 元来ならば、労働環境もさることながら、自社で提供する商品にもっと厳しい視線が注がれていいはずなのに、
 捏造記事はもみ消されたまま、
 自社の利益ばかりを優先して、そちらの処分が大きくなるなんて。

 果たして、セクハラ行為の被害に声を挙げた社員や記者の人たちは、
 記事の信憑性に関する問題や、自誌が提供する記事のプライオリティーに、
 今回と同じように社内で声を挙げるこことができるのでしょうか。
 ぼくにはとても疑問です。

 いうなれば自己偏愛的な組織体質は相変わらずなのです。

 社会的存在意義もわからない。
 いっそのこと、掃き溜めはお捨てになったほうがよろしいのではないでしょうか。
 これだけ不祥事を重ねているのですから。
 そのほうが世のため人のためだと思います。



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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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