とんがり焼

 鳥なき里の蝙蝠  と自分で綴ってみて、ふっと思い当たるところがあり、書棚を漁ってみました。

 あった、あった……。

 村上春樹さんの短編小説『とんがり焼の盛衰』。本当に短い小説です。
 新潮社より刊行された『めくらやなぎと眠る女』という村上春樹短編集の中に入っています。
 短編集の「イントロダクション」には、どうしてこの作品を書いたのか、著者本人のコメントもあって、彼が小説家としてデビューしたときに文壇に対して抱いた印象を寓話化したものだ、としています。
 あらためて読み返してみると、そこに登場してくる目の潰れた「とんがり鴉さま」がなんとも……。
 目が見えなければ、蝙蝠も鳥に化けてしまいますよね。
 余談ですが、ぼくはこの短編集の中に収められた『品川猿』という作品が気に入っています。個人の経験と重なるところもあって、好きな小説です。
 はじめて読んだのは『東京奇譚集』というこれまた新潮社から刊行された短編集の書き下ろしでしたが、好きな女の子にこの『東京奇譚集』をプレゼントしたこともあります。

 数年前に芥川賞が「該当作なし」とされたときに、選者のひとりだった池澤夏樹氏が芥川賞の過去を振り返って、村上春樹さんに賞を出せなかったことを憂いています。

 与えるべき作品に賞を与えなかったこと、
 与えてはいけない作品に賞を与えてしまったこと、

 どちらが罪深いのでしょうか。

 こうしてぼくもネットを利用してみて、あらためて思うのですが、今の時代は当たり前のようにいろんなものが等質化してきている。
 ネットによっていろんな情報が共有され、同時に情報の発信者となれる。
 ほとんどタイムラグもない。
『食料植民地ニッポン』という本があります。ぼくの著した本です。
 日本の食料事情や食料問題をテーマに世界のあちらこちらをまわって取材しながら、1冊にまとめたものです。
 中国や東南アジア、遠くは南米のチリまで行って食の現場を見て、原稿を書いて、雑誌に掲載して、1冊にまとまるまでには、時間もお金もかかりました。
 そしてようやくぼくの本が書店に並ぶ……となった直前に、中国毒ギョーザ事件が起きてしまいました。
 たちまち、テレビや新聞、雑誌は本件からはじまって、
 日本のおかれた食料自給率40%の実情を報じはじめました。
 消費者心理もくすぐって、情報への需要もありました。
 メディアによって報じられた内容は、たちまちネット上にも転載され、多くの人が好きなときにアクセスできるようになりました。
 そこへぼくの本が登場したとき、ぼくが言われたことは、
「そんなこと、もう知ってるよ」でした。
 ぼくが蓄積してきて一気に吐き出そうとしていた情報が、いつの間にか時勢に抜かれて、なにも新しいものではなくなっていました。
 情報の共有が等質化を産んだこと実感しました。
 のちに本が書店に並んだあとでも、その本に書かれたことが、ネット上に転載されます。
 出所の明らかでないネット上の情報のみを得た人は、それからぼくの本を見たときに同じことを言うのです。
「そんなこと、もう知ってるよ」
 現場を歩いて掘り起こした取材者として、あるいは文字にまとめた作家として自分に返ってくるものがない。
 本の世界でもたちまち食料問題をテーマにした出版が相継ぎ、その中にぼくの著作物も埋没していきます。
 いまでは、ネットの情報を頼りに本を書き連ねる人もいるくらいです。

 そうした愚痴をこぼしたところで、ある編集者から、
「あなたにしか書けないものを書かないからいけない」
 と、叱咤された記憶があります。
 その人にしか書けないものを書く、それが作家なのだ、と。
 だとしたら、作家に求められるもの、特にノンフィクションに求められるものは、今日あるような情報ツールを持たなかった10年前、20年前と明らかに変わって来ているはずです。
 紙媒体そのものも、ネット社会に席巻されつつあり、同時にマーケットも縮小してきているのですから、状況は厳しさを増すばかり。
 先人たちにはあり得た成功を、いまのこの世界に求めることに疑問を持ったことも確かです。

 そんな時代に「これだ!」という作品に巡り会えない。
 芥川賞に、これだ!といえるものがなくて「該当作なし」となってしまうように、面白いものが見あたらない。
 均等化、等質化する社会。情報共有と閉塞感。
 そんな中に目立つものが現れた。
 いままでに一律するように報じられた事実を真っ向から裏切るもの。
 それは面白いに決まっている。
 だってそれは嘘なのだから。
 これだけ情報が行き渡った中に嘘が目立つのは当たり前です。
 そこにみんな食いついてしまった。
 目立つだけで賞賛してしまった。

 鳥ばっかりのなかにおかしな飛び方をする蝙蝠がやって来たら、それは目立ちますよね。
 でも蝙蝠は鳥ではないのです。

 ぼくが好きな女の子に、ぼくの好きな小説を読んで欲しくてプレゼントしたことは、彼女にとって押しつけがましく迷惑だったかもしれません。(でも、きっと彼女はその小説を気に入ってくれたと思います。だって、あとでその女の子は小説の感想をぼくに語ってくれましたから。)
 それと、賞を与えて箔付けして社会に押しつける行為とは、まったく違います。
 しかも、それが嘘なのですから。

 これはとっても怖いことです。
 良識で均質化するものの閉塞感を打ち破ろうと、いつの間にか虚飾と妄言を受け入れ、これを奉ってしまった。
 異質なものを信奉するものがさらに増えて、嘘が真になる。
 そうして世の中が変質していく。
 良識を失って、正常な判断ができなくなる。
 すべてが暴走をはじめる。
 行き詰まりを打破しようとして支持したものが、実は似非者であって、人類に不幸をもたらしたことは歴史の中に見ることができるでしょう。

 そのなかで、もっとも恐ろしく忌むべきものがあるとすれば、
 それは自分の良心に誠実でない人たちだとぼくは思います。

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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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