破廉恥

 森達也という人をひと言で表す言葉はないかと探していたら、「破廉恥」という言葉を見つけました。
 見つけた、というのは、ぼくが思い当たったのではなくて、他の人が森達也氏のしでかしたことについて、「破廉恥」と形容していたのです。
 作家・ロシア語通訳家であった米原万里さん(06年没)が、そう指摘しています。
 米原さんは、当時連載していた「週刊文春」04年4月1日号の書評欄で、森達也氏の書いた『下山事件 シモヤマ・ケース』を絶賛しています。
 ところが、この著作には、事件の関係者が言ってもいないことを勝手に作り上げて、それが真実のように書き込んでいた、いわゆる「捏造」が下山事件の関係者(森氏のネタ元)の指摘で発覚。
 米原さんは、「週刊文春」05年9月15日号で、この人物の著作をとりあげながら、森氏のしでかしたことを『破廉恥な「証言の捏造」』とわざわざ書き込んでいます。

「週刊文春」2005年9月15日号  ※画像はすべてクリックすると拡大します
米原万里 書評

 因みに、ここに森氏といっしょに登場する諸永裕司という人物は、ぼくが記事にした取材内容について、ぼくの自宅にまで押しかけてきて、取材源を教えろ、と迫った過去のある、およそ常識を持たない人です。森氏の同類だと思っています。

 米原さんも、よほど下山事件が好きだったのか、それとも森氏のしたことが許せなかったのか、いずれにしても森氏の捏造を指摘する著作を取り上げてわざわざ「破廉恥」と書き込んでいるのですから、問題の大きさは認識していたはずです。
 このことは、連載をまとめた『打ちのめされるようなすごい本』(文春文庫)のなかにも収録されています。

 もうこの時点で、森氏はそんなことをしでかしていたのです。

 しかもです。
 戦後の闇と呼ばれる下山事件を解明しようとするどころか、嘘で塗り固めて、より闇に葬り去ろうとしているのですから、事態は深刻です。
 後世の人間が事実をねじ曲げ、そしてさらに次世代へと誤った情報を伝えていく。
 破廉恥を飛び越して、悪質です。
 人間としても信用できないものです。
 その同じ人間が、オウム事件を題材にして、再び嘘の事実を書き込んで、後世にそれを伝えようとしている。
 それに賞を与えて絶賛してお墨付きを与えるのですから、罪は大きい。
 賞を与えた人たちも破廉恥極まりない。

 だいたい、森氏の書いた『A3』には恥ずかしい基本的な間違いが多すぎます。
 森氏は同著の中で、ずっと「VX」のことを「VXガス」と書いています。
 オウムが猛毒のVXを用いた事件をきちんとみれば分かることなのですが、いずれもジェル状のVXを被害者の首筋や頭に滴下して、そのうちの1件は誤って注射針を刺してしまったことから被害者を死亡させています。使ったのは気体のガスではありません。
 事件が発覚した当初は新聞もテレビも「VXガス」と書き飛ばしていたのですが、そのうち事件形態が明らかになるにつれ(おそらくは司法記者による検察取材で、検察が報道の間違いを指摘していたのでしょう)、早い時期から報道機関はすべて「VX」で統一されて報道されています。
 そんなオウム事件のイロハのイ、ABCのA、123の1にあたる基本も分かっていないなんて……。
 それでよくオウム事件どころか、報道の悪口まで書けたものです。
 本当に恥ずかしい……。

 選者のひとり野村進氏の著作『調べる技術・書く技術』(2008年4月 講談社現代新書)によると、ノンフィクションについて、

【かつては常識とされていた取材と執筆のルールが若い世代に受け継がれていないのではないかという危惧を覚えるようになった。インタビューを申し込んでおきながら遅刻をする。取材前の資料読みをきちんとこなしてきた形跡がない。無断でいきなり録音機器のスイッチを入れる。貸した資料をなかなか返却しない(ひどいものになると紛失する)。こちらが発言していない事柄を会話体で記すすでに公表されている事実を、さも自分が発見したかのように書く。掲載紙誌を送ってこない……。(中略)こうした振る舞いは、私がノンフィクションを書きはじめたころには、極めて非常識な行為であった】(同著9〜10ページ)

 と、記されています。

 もう、森達也という人は「こちらが発言していない事柄を会話体で記す」ことなんて、米原万里さんに指摘されているように、過去に犯していますし、「すでに公表されている事実を、さも自分が発見したかのように書く」ことなんて、『A3』に顕著です。
 いや、顕著どころか「さも自分が発見したかのように」書いた内容なんて、公判で争点となっていたり、すでに報道されたことばかりで、よく恥ずかしくもなく、こうしたことが書けたものだ、とむしろ関心してしまいます。
 例えば、

 地下鉄サリン事件の関連で浮上する「霞ヶ関アタッシュケース事件」(32ページ)
 松本死刑囚は拘置所内を車椅子で移動すること(183ページ)
 いわゆる「早川ノート」の存在と内容(407ページ)
 89年のオウムバッシング報道による宗教法人認可取り消しと翌年の総選挙への影響の懸念(432ページ)
 ボツリヌス菌採取の模様(434ページ)
 国松元警察庁長官の発言(496ページ)

 などについては、
 公判で明確なったり、既に報じられていることであって、森氏による発見ではありません。
 その中でも「A3」を通じて問題に挙げられる地下鉄サリン事件直前に中川がジフロ(サリンの中間生成物)を保管していた事実は降幡賢一氏『オウム法廷』に詳しいですし、
 「巫病」の指摘とそのエピソードは、藤田庄市さんが雑誌『世界』2004年4月号で初めて指摘し、同著『宗教事件の内側』(岩波書店、2008年10月)で詳しく伝えているところです。(このあたりのことは「抗議書」でも指摘しています。)

 むしろ、これをパクった、盗用したのではないか、という疑念すら浮かんできます。

 そんな著作にあえて賞を与えてしまうのですから、選者の見識も落ちぶれたものです。
 仮に、選者がオウム事件に関する知識に乏しかった、よく知らなかったとしても、同著作を一読すれば論理破綻すらおこしていることは見てとれます。

 例えば、教団が武装化するきっかけとなったとされる、90年総選挙に麻原被告が真理党を立ち上げて弟子たちと立候補して大敗したときのくだり。
 このことは判決でも認定されているところなのですが、『A3』では判決の内容が検察の主張を踏襲していることを批判し、こう論理を展開しています。

 検察は一九九六年五月二十三日の麻原法で、

 選挙敗北によって信者のあいだに生まれた動揺を鎮めるため、麻原は「国家権力が票をすり替えて真理党の当選を妨害したのだ」と説明し、さらに「合法的な救済はもう不可能であり、悪業を積み重ねた現代の人々をポアすることで救済する」として、無差別大量殺人を決意した。

 と述べている。
(中略)
 ところが第二二六回公判で、側近の一人だった杉浦茂は、総選挙敗北後の麻原の様子について、以下のように証言している。

 まず、選挙の開票が出たその夜ですけれども、富士山総本部に集まって慰労会みたいなものがありまして、(麻原は)そこでまず、惨敗、それは自分の力が足りなかったからで申し訳ないという感じの話がありました。(中略)……本当に申し訳ないという感じで言っていまして、……

 この証言からは、開票に不正があったと怒る雰囲気はないし、不正があったことにしようとの隠匿の気配もない。

『A3』430〜431ページ

 そう書き連ねて、検察の主張から、判決の内容までを意図的に批判しています。
 まあ、そう書けば「弟子の暴走論」にも帰結しやすいわけですね。
(そもそも、裁判を最後の判決公判のたった1回しか傍聴取材していない森氏が、第226回公判の詳細な証言をどこで知ったのか、疑問は残りますが……)

 ところが、です。
 あとになって麻原被告と弟子との関係を書き連ねた部分では、こんな記載をしているのです。

一九九八年十一月二十六日、早川公判に証人として出廷した大内利裕は、九〇年の総選挙で大敗したとき、麻原に「どうしようか」と相談されたと証言している。

「トップ当選すると予言していたのに最下位に終わり、どう取り繕うか、難しい問題だった。そのときには上祐もいたし私もいましたが、(相談に応じているうちに)いつの間にか票の入れ替え、それもフリーメイソンが自動的に票を書き換える機械を使って票の書き換えをしたことになっていた。(中略)予言が外れたとは言わない。ただ(認めなければいけない)結果があるので、そのときに一言、『どうしようか』とだけ言う。予言が外れると、われわれが自分の心でグルをかばってしまう」

『A3』474ページ

 これじゃあ、最初に自分が否定したことと、あとから持ち出した内容が食い違ってしまう。
 むしろ、検察の主張の正しさを裏付けちゃっています。
 それどころか、教祖と弟子が互いに補完しながら教団運営があったことはわかりますが、「弟子の暴走」とまでは言えませんね。
 弟子に相談を持ちかけたとしても、最終的な判断、決定は教祖が行っていたことに変わりはありません。
 眼力がない、というか……。
 だいたい、たったの一度しか裁判を傍聴していないと同著で明言する森氏が、よくここまで詳細に証言内容を記載できたものです。……って、あれ?

 あれ!?……あれれれれ!?

 これって、ひょっとして、ひょっとすると、もしや……。

 そう思って、ぼくの自著『オウム裁判傍笑記』をめくり返してみました。
 そう、森氏が『A3』の中で再三再四批判して攻撃を仕掛けてきたぼくの著作です。

 ……ああ、やっぱり!

 百聞は一件にしかず。
 下記の画像を見比べてみてください。

『A3』474ページ                   ここに注目!▼
A3 P474ー475

『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)228ページ      ここに注目!▼
オウム裁判傍笑記 P228


 『A3』の巻末に「参考文献」として『オウム裁判傍笑記』の記載はありますが、この引用箇所においては見ての通り、明らかに出典の記載はありません。
 他のページでは、引用箇所に出典を明記しているのに、です。

 これは明らかなパクリ、盗用です。
 こんなことがノンフィクションに許されていいのでしょうか。

 嘘つきは泥棒のはじまり、とは言いますが、嘘つきだからこんな盗用もできたのでしょう。

 酷いものです。
 他人の褌で相撲をとって、その他人を嘘、偽りで攻撃するのですから。褌を借りたことも隠匿してしまう。
 羞恥心の欠片もありませんね。

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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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