復刻『青ちゃん新報』ストイックな専業主夫にして究極のヒモ男、平田信の逃亡生活! 2014年2月10日

復刻!青ちゃん新報2電子版

平田信の逃亡生活!?
それって、結局〝究極のヒモ生活〟じゃないか!!
 1995(平成7)年3月の地下鉄サリン事件とオウム真理教教団施設への一斉家宅捜索から、東日本大震災のあった2011(平成23)年の年末に出頭するまでの約17年間を、平田信被告といっしょに過ごしていた元女性信者が、10日、東京地方裁判所第104号法廷で開かれた同被告の裁判に証人として出廷した。彼女も平田被告を長年に亘って匿っていた犯人蔵匿の罪に問われ、1年2月の服役刑期を終えて既に出所している。
 それにしても、男と女というのは不思議だ。もともと平田と彼女は、教団内で親しい関係にはなかった、という。
 午前10時の開廷と同時に、相変わらずの遮蔽板の向こうの証言台に座った彼女は、これまた蚊の鳴くような小さな声で、弱々しく語る。それも法廷のマイクの調子が悪かったらしく、傍聴席にもよく声が届かない。午前11時過ぎの休廷中に専門の職員がうまく工夫してマイクを通じて聞こえるようになったが、それまでは同じ法廷、同じ証言台で麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚が、あの伝説の英語による意見陳述を行った時のように弱々しい。そのせいか、現在48歳の平田被告より年上のはずなのに、姿の見えないこともあって、何だが実年齢よりも幼くも聞こえる。
 その彼女の語るところによると、平田被告との接点は、教団内で行われていた薬物を使ったイニシエーションの管理監督役のワークで、いっしょになっただけ。それもすぐにそれぞれの元の所属する部署に戻っていったという。
 で、強制捜査が入ったあと。平田から彼女に電話が入る。
「できるなら、いっしょに来て欲しい」そういって、彼女は呼び出されるまま、待ち合わせ場所の東京・高田馬場に向かう。
「逃亡という認識はありませんでした」という彼女。平田被告が非合法活動に関与していた認識についても「ありませんでした」という。「当時、強制捜査などで教団の中が混乱して、主だった師が不在で、指示系統が崩れていた。私たち信者は不安で、何とかならないかというところに電話があった。そういう状況なら、出たほうがいいと」「私は、その状況が少しよくなるのではないか、彼を信用していたので、教団にいるのをやめて出て行こうとなりました」
 その時の平田に対する恋愛感情については肯定せずに「どちらかといえば信頼できる、尊敬できる人だと感じている」と答えている。
「逃げるという考えはありませんでした。明日なにをしようか、計画もありませんでした」
 それから、平田と彼女は仙台に向かい、東北の温泉地を転々とする。
 平田の非合法活動への関与を知ったのは、「報道で指名手配をされているのを知ってから」「5月の末くらい」だった。にもかかわらず、
「同時期に、国松警察庁長官狙撃事件の犯人がオウムの平田と名指しの報道がありましたので、それで(逃走を)決めました」「自分は犯人じゃない、と言っていました」「前日に三重県の友人宅に泊まっている。事件の当日もいた。だから違うと」「友人の方は元信者で、友人の方から『自分が証言しても、弱いんじゃないか』といわれ、その時、オウムの信者がなにを言っても信じてもらえない風潮があって、そう思いました」
 だから、
「出頭すれば、犯人と冤罪にされてしまう」
 そう確信して彼女は平田との逃避行を決意する。
 うーん……不思議だ。いっしょにいる人が犯罪者と知っても、こんどはそれを守りたいという〝愛〟に変わっていく。
「平田が(※彼女はあえて呼び捨てにした)、国松長官狙撃事件の冤罪にされてしまうので、愛する人を守りたいという気持ちがある。時効が成立するまで、私の守りたいという気持ちがあった」
 ふたりを襲った共通の危機意識が、それを男女の情愛にまで昇華させる。激しく奮い立たせる。でも、それって、ハルマゲドンが来る!救済だ!国家権力は敵だ!といって非合法活動に走った教団信者の構図と変わらない気がするは、やっぱり気のせいかしら……?もっとも、男女の仲というのはもうちょっと違った要素が加わるのかもしれないな。彼女の公判で明らかになったところによると、このあと、同じ年の7月頃には男女の関係が結ばれているというし……。それって、破戒だよね。教団とはもう関係ないところで、ふたりの世界が構築されている。
 で、そこからはじまる本格的逃亡生活……というよりは、平田の〝潜伏生活〟。

ストイックな専業主夫
 最初は仙台で彼女が仕事に就き、その寮にふたりで、次に大阪・北区の喫茶店で仕事を見つけ、その寮に匿うように平田といっしょに入る。北区には1年と2か月いて、そして、出頭までを過ごす東大阪市に移る。ここも彼女が働き始めた整骨院の寮のマンションだった。しかし、ここでも平田が同居していることは絶対の秘密にしなければならない。
 彼女は勤め先の整骨院で「朝8時過ぎから夜は10時11時まで」働き、寮としてのマンション家賃や必要経費を引かれて、月に10〜12万円を稼ぐ。この給与を袋のまま、平田に渡す。では、彼女の寮に居候する平田はなにをしているかと言えば、炊事、洗濯、掃除などの家事全般。お金の管理も平田に任せていた。つまり、専業主夫だ。
 その間に、平田が外出したのは4回だけ。それも彼女といっしょに。
「1度目は、東大阪市で就職した整骨院の周辺を知っておくため、それと2回は住居の周辺を探索するため、それともう1回は最初の寮を移って2つめの200メートル離れたマンションに引っ越すため」
 それも「1時間以内で終わった」という。しかも、
「北区の建物は従業員が全て入っていて、私の勤務中は生活感のある音があるとおかしく思われる。だから、トイレの水を流すのも控えるとか、そういうことで気を遣っていた」「そういう状況に陥っているのも、もともと自分の行った報いですので、受け入れようと、ストイックな感はありました」
 なるほど。これぞ本物の〝ストイックな専業主夫!〟と言いたいところだが、よくよく考えてみると、そうじゃない。これこそ引きこもりの〝ヒモ男!〟である。
 つまり平田信は、およそ17年に亘る逃走生活というより潜伏生活の実態は、彼の30代から40代前半を〝究極のヒモ〟として過ごしてきたのである。よ!平成のヒモ男!!
平田信2 
〝平成のヒモ男〟平田信被告

 因みに、こうして仕事に就くことを思い立ったのは、
「平田が(逃亡中の)林泰男さんと夏に名古屋で会われて、その時、いっしょに逃亡していた元信者の女性が働いていて、その寮にいっしょに住んでいた、そのことを私が平田から聞きまして、それがヒントになって、寮付きの仕事に就きました」
 ありゃりゃ。平田も林泰男も、結果的に入れ知恵になっちゃってるから、恐ろしい。
 それから、傷害罪の時効となる15年が過ぎた時、2010(平成22)年3月に国松警察庁長官狙撃事件が時効を迎える。ところが、平田は出頭しようとしない。究極のヒモ生活を手放したくなかったのか、と思いきや、理由はウサギにあった。

『ムーミンパパママ』『ウサギ』
「ウサギを看取ってから、出頭させてくれ」平田は言った。
 潜伏ヒモ生活を送るふたりは、小さなウサギを飼った。彼女に言わせると、このウサギが「子どものような存在」であった。今日の公判では語られなかったが、実はこのウサギを飼ってから、ふたりは互いを「パパ」「ママ」と呼び合うようになる。
 時に里親支援の慈善団体にも寄付をすることもあったようだが、寄付金の振り込み用紙には「ムーミンパパ・ママ」と記載していたという(そういえば、ムーミンパパの収入源もよくわからない。あれもヒモなのか!?)
「その時点でウサギの平均寿命は大きく越えている。ウサギの最後が近いと平田は察していると思いましたし、私も看取って出頭をと考えていました」
 その子どものようにしていたウサギが2011(平成23)年8月13日に死ぬ。
 そして、出頭のきっかけになったもの。
「東日本大震災です」「酷い惨事をみて、何の非のない方が大勢亡くなって、不条理を感じました。それがオウムの被害者と重なって『もう、けじめをつけるべきだ』『出頭する』と言っていました」「(具体的に話があったのは)11月13日前後です」「それは、ウサギを亡くして、その日、私の気持ちも落ち着いてきたから、『ちゃんと話をするからね』として『12月31日に出頭する』と告げられました」
 それから、不要品を分けて荷造りをはじめたところで、
「その中に、流れた免許があったのですが、平田の写真が残っているのはそれしかないと、私が貰いました」
 究極のヒモ生活は、相手の写真を撮ることも憚られていた。
 それから、12月31日。彼女は平田を大阪市内の駅まで見送る。それからあとのことは、報道で知る通り。全てはうさぎ年の間の出来事だったことは、単なる偶然だろうか。
 そして、この日を最後に、ふたりは今日まで会うことはなかった。17年をストイックなヒモ生活の中で過ごして来たふたりが、2年1ヵ月と10日ぶりに再会した今日の法廷。
 弁護人が、平田が刑に服して出所するまで待てるか、と訊ねたとき、
「待ちます!」
 と、そこだけは声を張って返答している。いまもあの時と変わらぬ気持ちを平田に抱いているとしたら、はやりまた平田の罪を許してしまうのだろうか。
 男と女。不安と緊張のストイックな生活。献身的な愛のかたち。少なくとも彼女は平田を「愛する人」と言った。果たして、17年間ものヒモ生活を許してきた女の心のなかに映ったものとは何なのだろう。それを謎だとするのなら、それはひょっとするとオウムという組織に引き付けられていった人々の心の中にも共有されているものなのかも知れない。




フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148
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「待ちます!」の声、小保方さんで再生されたわ
プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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