復刻『青ちゃん新報』オウム裁判で初!裁判員と遺族が被告人に直接尋問!そして法廷は涙に… 2014年2月21日

復刻!青ちゃん新報2子版

平田信被告タジタジ……
裁判員、遺族の怒濤のツッコミ!
そのとき、傍聴席にいたのは!?
 朝、アラキくんがいた。
 オウム真理教、というよりはアレフの広報部長として顔が日本中に知れ渡ったアラキくんだ。
 東京地方裁判所で開かれる平田信被告の公判傍聴券の抽選にひょっこり並んでいた。トレードマークのような眼鏡にマスク、青いジャンパーに、ベージュのパンツ、それによほど寒かったのだろう、サンダル履きなのに靴下をはいている(だったら、靴を履けばいいのに!実に不思議だ)。
 アラキくんは抽選に当たったらしく、午前10時開廷予定の第104号法廷の傍聴席にも姿があった。
 だが、この日は予定時刻に傍聴人を入れて法廷内撮影が終わると、齊藤啓昭裁判長が傍聴席に向かって言った。
「いったん入ってもらって申し訳ないんですけど、順番を変えて被告人への裁判所の補足質問からはじめようと思います。10時30分からはじめることにします。いったん出てください」
 きっと、裁判員との質問の打合せもあったのだろう。前日の被告人質問に引き続き、裁判員や裁判官がどんな質問を平田被告にするのか。
 法廷の外に再び追い出されて、待つこと30分。再び入廷が許可されて開廷。そこから裁判所の被告人への質問が飛ぶ。
 最初は、仮谷事件について、裁判員から左陪席、右陪席、裁判長の順に。そして次に、爆発物・火炎ビン事件について、同じ順番に。いずれも、それまでの供述の矛盾点やおかしな点を、裁判員も厳しく突っ込んでいく。それから、強制捜査があって逃亡生活から出頭までの経緯について、尋問が進んだときだった。いままでの証人尋問でも一度も質問をしたことのなかった裁判員のふたりが、はじめて「私から質問します」と口を開いた。どちらも女性だったが、これが強烈なパンチのように響く。
 まず、最初の女性裁判員。
「あなたは、昨日、出頭したことの理由に、これで死刑の執行は延びる、麻原以外の信者の死刑の執行は勘弁して欲しい、といいましたね……」
 そうなのだ。この前日に同じ法廷で行われた被告人質問で、弁護側からこういう質問があった。
「あなたは、出頭したとき、これで麻原の死刑の執行が停止するという考えはありましたか」
 平田被告は答えた。
「麻原についてはありません」
 麻原については? じゃあ他の死刑囚についてはどうなんだ? 当然、そこに質問が及ぶと、
「正直言うと、ありました」
 え? 出頭目的は、かつての仲間たちの死刑執行妨害にあったのか?
 さすがに、ここを検察官も突っ込む。すると、
「麻原以外は、執行を勘弁してもらえないでしょうか、という気持ちです」
 それは、執行が延びることを期待しているのか、問われると、
「それは否定しない」
 と、答えたのだった。これを受けての裁判員の質問。
 平田被告が、前日の供述を認めた上で、裁判員が突っ込んだ。
「その時に、真っ先に、被害者や遺族の気持ちを考えなかったのですか!?」
 それはない、と咄嗟に答える平田被告だったが、さすがにそこから先はタジタジとなっていく。
 そこに続いて、もうひとりはじめて発言するちょっと年配の女性裁判員。彼女は、いっしょに約17年間の逃亡生活を送った女性のことについて触れた。
「巻き込んでしまった彼女を、途中で解放してあげようという気持ちはなかったのですか」
 平田被告は、ああだこうだ言葉を繋いでも結局「弁解の余地はない」と答えるしかない。
 平田被告の……と、いうよりは、オウム信者たちの身勝手さを鋭く突いている質問に、裁判員たちが被告人をどのように見ているのか、その一端が垣間見える。
 そして、その鋭さは、このあと証人尋問に立った被害者遺族の仮谷実さんの言葉に実直に現れていた。

遺族の教団分析と裁判批判
 それは、検察官から処罰感情について訊かれたときだった。仮谷さんが答える。
「処罰感情ということでいえば、この裁判は、加害者の視点でこれまで裁判が進んでいるという点です。それはどういうことかというと、ひとりひとりの役割が刻まれている。被害者仮谷清志にしてみれば、住まいを見張られ、尾行され、拉致され、麻酔を受け、ナルコという拷問を受け、さらに麻酔をかけられ、結果的に死に至っている。仮谷清志は十数名によって死に至らしめたことになっている。ところが、これが裁判になると、加害者の役割が細分化され、私は運転手だ、私は引き込んだだけ、と、遺族から見たら非常に不満になっている。その一方で、被告人の証言を聞いていると、〝オウムの体質〟という言葉がよく出てくる。上司の命令に従う、それだけで誰もなんの目的か訊かない、当然、計画を訊く由もない。私たちは、白紙委任状を出したり、井上や村井との連帯保証人になっていると受け取らざるを得ない、つまり、いっしょなんですよね。同じ罪を犯している、そういうふうに受け止めざるを得ないと思っている。ですから、計画、目的を知らないではなく、このオウム真理教が犯した事件については、他のものと大きく異なるものでないかなと、私としては感じています」
 冷静に語る遺族の仮谷実さんだったが、その前の尋問では、これまでの裁判でも見せたことのないほどに、嗚咽を漏らす場面があった。再び、裁判の場所に立ち、そして被害者参加制度を利用して、父親が死んでいく(と、いうより殺される)話を直接耳にすることが、彼の感情を昂ぶらせていたのかも知れない。
 仮谷さんの長男だった実さんは、事件のあった年の6月頃、呼び出された検察庁の辺鄙な会議室で「逮捕した教団の複数の証言から、仮谷さんは残念ながら亡くなっている、ご遺体は灰にまで焼却され本栖湖に流されました」と告げられる。
「その場では、そうか、ということで家に帰りましたけど、その夜は………涙が止まらず、ゆっくり眠ることができませんでした」
 言葉につまり涙を流す遺族。
「教団側も、証拠隠滅ということで生きて返すことはないだろうと感じていましたが、母も妹も、そうか、と受け止めていましたが、母とか妹の様子を見て、私が思いやる……(咽ぶ)……だけの、余裕が私にはありませんでした……」
 それから、警察関係者に遺灰を流された本栖湖に案内されたときのこと。
「案内していただいたとき……そこの石をいくつか拾い……そこに父の遺灰が付着しているものと、骨壺に死亡認定書と、父が使っていた眼鏡を入れました」
 気が付くと、裁判員も、ひとり、ふたり……とつられるように、いっしょに泣いている。
「私の親族は、おじいさんもおばあさんも看取っている。そこには遺体がある。その遺体は、お別れをいう……(咽び泣き)……遺体はお別れをいう最後のお別れと思っています。心残りと思っている、いまだにお別れのできていない現状で、いま父が帰ってきたら、なんら疑問に思うことないと思っている。父の死をうけいれることはできません」
 遺族にとっては、時間は止まったままだ。そして、確実に歳をとり、堪えきれない感情が、再びこの場で堰を切ったように流れ出す。これまで以上に。
 このあと、仮谷さん自らが「被害者参加人」として、直接被告人に質問に立った。
 質問したのは、主に3つのこと。
 ひとつは、父親の死について。これは、平田被告が死の原因を「聞いていない」ことからすぐに次の質問へ。
 2つめは、平田被告が送って来た手紙について。そこには、仮谷事件が「逮捕監禁致死」で殺人罪でないことを平田被告も疑問に感じていたこと、それに、謝罪したいと言及しながらも、その謝罪で「自分はなにをしたらいいのか、答えが見つからない」「そもそもそんな答えなんて初めからないことはわかっている。でも、考え続ける」などという主旨のことを書き綴っていることについて、「これは自己満足の手紙ではないのか」と追及したこと。
「被告人本人が自分に対してどうすべきか考えるべきで、私たち遺族にメッセージを発信すべきものでない。その上で、答えのないものを考え続ける、というのは自己満足でないのか」
 さすがにこれを指摘された平田被告。
「いま、あらためて読み返してみて、自己満足であり、自己憐憫だったと思います」
 そして、3つめ。和解書について。平田被告と遺族は被害弁償で和解している。その中に、10年分割で毎月弁償金を支払い続けるという条項がある。仮谷さんが償いの証を示し続けて欲しい、と望んだもの。やはり過去に2人、この条項を盛り込んで和解した共犯者がいたが、いまでは2人とも完済前に支払を滞って音信不通だ。
 その約束が果たせるか、被告人に直接問い質し、確約させたのだ。
 その意味するところが理解できているのかどうか、迫ったのだ。
 向こう10年は、加害者を手放さない。毎月、事件を思い起こさせる。仮谷さんも手厳しい〝償い〟を求めたものだ。
 だが、それが遺族の気持ちである。
 なのに、オウムの元信者たちは、その期待すら裏切り続ける。
 そして、この日のこの法廷での最大の裏切り。

おい!聞いてるのか!?
 そんな裁判員や遺族の言葉を、わざわざ法廷に脚を運んだアラキくんはどう聞いたのだろうか。
 傍聴席に彼の姿を探してみる。
 ……って、アラキくん、なんと法廷中央前方2列目の席で、うつらうつら、居眠りの真っ最中。
 さすがだ! これこそが、オウムなのだ!
 なんだか、後ろから頭を引っぱたいてあげたい衝動にかられる。
 さすがに、見ていた裁判所の職員が彼を揺り動かし、寝ないように注意している。
 いったい、彼はなにをしに裁判所へ来たのだろう?
 裁判員や遺族の言葉に何を感じているのだろう?
 そして、そこにさらけ出される被告人の姿がどう映ったのだろう?

 去年の6月のことになる。
 あるシンポジウムのあとの親睦会で、ひとりの老婦人から声をかけられた。笑顔で、グラスに飲物を注ぎ足してくれた。そして、横にいた彼女のご主人を紹介してもらった。彼らの息子さんは、オウムに入信したまま、いまや音信不通で連絡もとれない、といった。ちょうど、あなたと同じくらいの年になる、と彼らはいった。そして、そのあとだった。この老夫婦の名前が「アラキ」ということを知ったのは。
「どこかで逢う機会があったら、どうぞよろしく伝えてください」
 そう言われて、笑顔で別れた。
 ごめんなさい。今日はどうしても、声をかけることができませんでした。

 そうやって、いつの間にか何かを裏切っていくのかもしれない。





フクシマカタストロフ カバー・帯 http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163900148
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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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