再び!『青ちゃん新報』恐怖の神秘体験!全裸女性と童貞と人格解体 2014年5月12日

再び!青ちゃん新報2電子版

恐怖の神秘体験報告!『進撃の巨人』リアル版 〝なんで私の目の前に……!?〟
 日曜日の夕方7時をまわった時のことでした。
 四谷三丁目交差点から新宿通りを四谷方向に歩いた、みずほ銀行四谷支店の前で、向こうから数人の女性が歩いてくるのが見えました。
 その中にひときわ目立つ人がいます。どうして、集団のなかでその女性が際立つのか、最初はわかりませんでした。
 ですが、そのうちに、周辺の女性と比べて衣服の様子がまったく異なっていることに気付きました。
 色鮮やかな服飾のなかに、その女性の地味さがかえって際立つ。それも小躍りするように両肩を交互に揺らしながら、急ぎ足で道行く人を抜き去っていく。
 やがて追い抜かれた若い女性の二人連れが、彼女の後ろ姿をみて、目を丸くしつつも、平静を装うとしている態度から、確信しました。
 裸なのです。それも素っ裸。靴も履いていなければ、一糸まとわぬあられもない姿で、こっちに向かってやって来ます。
 歳は……そんなに若くもなく、少し太り気味で……って、そんなもの、凝視できるようなものではありません! とはいえ、あからさまに目を逸らすのも、かえって意識しているようで空々しい。そうなるとどこを見ていいのかわからなくなり……ちょっと、お腹が出ていた印象はあります。
 そして、両肩を揺すって闊歩する姿は、最近流行の『進撃の巨人』のヒト型ミニチュアサイズを観ているよう。
 その女性が、ぼくのほうに向かって歩いてくるのです。
 きっと、幽霊を見たときの恐怖って、こういうものなのだろうと思いました。信じられないものが突如として現れ、人間界に関係なくその場を行き交う。そして、こちらに近づいてくる怖さ。
 かといって、そんなものを意識下に認めたくないぼくは、冷静を保とうとするあまり、歩調を緩めることもできない。凝視もできない。それでも素っ裸の女性が近づいてくる恐怖。
 もう、一糸まとわぬところからして、常識を逸脱しているのだから、なにをされるのかもわからない。言葉も通じないかもしれない。
 すると、その女性。ぼくに近づきながら、斜めに横切るようにして、歩道に飛び出していったのです。
 幸い、先の信号が赤だったこともあって、車の通行はありませんでした。
 こういう時、平静を保つどころか、立ち止まって女性の姿をしっかりと目で追っているのは、おばさんでした。
 ちょうど、歩道に居合わせた中年女性が、異変に気づいて立ち止まり、あら!? とばかりに、車道に出た女性を見守っています。
 無視するつもりが、つい、その仕草につられて、ぼくも車道のほうに首を向けてしまいました。
 すると、全裸の女性は車道に仰向けに寝そべり、新宿方向に股を広げて両膝を立て、ちょうどスマートフォンだけは片手に持っていたようで、それで写真を撮ろうとポジショニングを決めているところでした。
 ひえぇ〜……!
 『進撃の巨人』の例えがありましたが、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に出てくる主人公の碇シンジくんは、よく「逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!」と、ひとり囁いて己を鼓舞していましたが、この時のぼくはまったく同じ語調で「見ちゃダメだ!見ちゃダメだ!見ちゃダメだ!」そう自分に言い聞かせて、前を向き直り、歩みを続けました。
 でも、まるで幽霊を見たような恐怖心は、動揺を拭えず、若い女の子が事故を目撃した直後のように、いい歳をして目に涙が溜まってくるのがわかりました。
 堪えきれず、日曜日の夜とはいえ、看板の点いていた馴染みの店に逃げ込みましたが、
 その後、素っ裸の女性は杉大門通りを入って荒木町に向かったようです。
 あとを追うように、毛布を手にした警官たちが徘徊していました。

 もう最近、この近辺では信じられないことが多い。
 素っ裸の女性と遭遇した、みずほ銀行四谷支店から新宿寄りに数十メートル行ったところには「そばの啜り方がうるさい」と文句をつけられた『小諸そば』四谷新宿通り店があるし……。
 そば屋でPTSD。
 ストリーキングでED。
 洒落にならない。

〝童貞の死刑囚〟再び
 そんな恐怖の〝神秘体験〟から一夜明けた今日、東京地方裁判所で開かれた菊地直子被告(42)の公判に〝童貞の死刑囚〟井上嘉浩死刑囚(44)が証人出廷しました。
 井上死刑囚は、菊地被告と中川智正死刑囚が、当時「男女の関係にあった」と明言し(ただし肉体関係のことを言うのかは不明)、この日も聞かれてないのに「自分はいまでも童貞ではあるんですが」と、きっぱり証言してみせました。
 そんな井上死刑囚が、路上の素っ裸の女性をみたら、どうなっちゃうんだろう? やっぱり〝神秘体験〟となるのだろうか?
井上嘉浩 
 この井上死刑囚、この日は検察といっしょになってトンでもないことを言い出す始末。
 検察側が証拠として出してきた、教団の教義を信者に説いた「ヴァジラヤーナ教学教本」にはじまり、「信徒用決意」「ヴァジラヤーナの決意」と呼ばれる教学システムについて、
 これは、まず〝ヴァジラヤーナの救済〟を、
「平和的にハルマゲドン(世界最終戦争)を回避できない。そこで武装革命を起こし、文明社会を破壊し、社会を変化させてハルマゲドンを回避する救済がある」
 と、説明し、
「麻原(彰晃)の武装革命を起こすために信徒を兵隊として使う、その為に信者をそのような兵隊として、人格を作り替えるもの」
 と、言い出したのです。
 その為に教義が刷り込まれているか、麻酔薬を使ったイニシエーションでチェックをして、刷り込みを徹底し、更には幻覚剤(LSD)を投与したイニシエーションで「人格をバラバラに解体して、信者の意識に新しい世界観を刷り込んでいった」とまで断言します。
「人格の解体のあとにどうするか、といえばグル(麻原)への帰依を刷り込む」
「麻原の手足になる。ヴァジラヤーナの救済のため、人格解体のあと、新しい麻原の手足としての信者を作る」
 それが麻原の兵隊。
 その教学システムを菊地直子被告も受けていた、と検察は主張します。
 〝麻原の兵隊を作る〟なんていう主張は、はじめて聞いた! その為に、人格を解体する。麻原の手足となる。善悪を越える。
 なるほど、短時間で裁判員に説明するのには手っ取り早い論調でしょう。
 しかし、これまでのオウム裁判で(それこそ、菊地被告が逃亡生活を送っていた間に)、そうした主張を繰り広げてきたのは、むしろオウム事件の被告弁護側のほうです。
 麻原の指示には逆らえなかった、絶対であった、として事実上の手足として利用されたという犯罪者たちの主張。もっと飛躍して、マインドコントロール理論も証拠検討されたこともありました。
 ですが、そうした主張にことごとく反論してきたのは、検察側であり、そして裁判所もそんな主張は認めてこなかった。それで、麻原をのぞくと12人に死刑判決がくだっている。
 新實智光死刑囚の公判では「内乱罪」の適用が弁護側によって主張されたが、それすら認められていない。
 いま検察によって、「人格の解体」「麻原の兵隊」「麻原の手足となる」と主張されることに、強烈な違和感を覚えます。むしろ、これまでのオウム裁判の検察側立証に逆行する。井上死刑囚の〝独り善がり〟〝新見地〟に寄り添って、検察が暴走しているような気がする。
 だいたい、兵隊を作ることを理路整然と目的とした組織が、『ガンダム』を作ろうとしたり、水中都市構想実現のためドラム缶で潜水艦を造って信者が溺れかけてみたりするだろうか(すべて、その逸話はこれまでの裁判で語られている)。
 その時点で、もう人格が壊れている。
 死を待つ身の死刑囚が、次から次へと飛躍的で新しい主張を持ち出してくる現実に、死刑囚そのものの証言に証拠能力があるのか、それすら検討の余地がある(平田信被告の公判では、井上証言の信用性が問題になった)。
平田-1 

人格の解体とは……!?
 前日の全裸女性との遭遇。怖い、と思ったのは、こちら側の常識の通じない人格が壊れている一面を見てとったからでしょう。ひょっとしたら〝病気〟だったのかもしれないけれど、それでも恐怖は共通するところがある。そして、そうしたものから平静を保ちつつ、目を背けようとする。
 かつて、オウム真理教という組織に見た感覚も同じだったはずです。総選挙に立候補して目立ったあたりまでは、〝笑い〟で済んだかも知れないが、教祖が本気で当選を考え、落選に怒っている事実を知ったころから、みんな目を背けるようになった。近隣住民とのトラブルも多く伝わり、迷惑な団体、避けて通りたい相手。平静を保ちつつも、凝視は避ける。構わず通り過ぎてくれ。ただ、息子が、娘が、常識破りのストリーキングになろうものなら、親たちは真剣にこれを阻止しようと躍起になる。やがて、常識と人格の逸脱が、こちら側への攻撃と殺害にまで及んだとき、無視はできなくなった。抱いていた恐怖の正体を漠然と理解しつつも、全裸で路上を闊歩できるような女性の論理性を理解できずに苦しんでいる。その謎はいつか解けるものだと錯覚しては、いつしかまた目を逸らしていく。
 〝童貞の死刑囚〟井上嘉浩は、悦楽に興じるように法廷で今日も気持ちよく持論まくし立てる。
 だが、裁判という特殊な枠の中でこそ常識的に聞こえるかも知れないが、その語っているところは、路上全裸女のパフォーマーといっしょなのではないでしょうか。
 〝裸の死刑囚〟と、これを利用する検察。
 この裁判、ひょっとしたら意外な展開を見せるかも知れない。


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プロフィール

あおぬまよういちろう

Author:あおぬまよういちろう
【青沼陽一郎】
「ジャーナリスト」(週刊文春・週刊新潮)と呼ばれたり、
「ノンフィクション作家」(週刊現代)と呼ばれたり。
 日本文藝家協会・会員名簿には「作家・ジャーナリスト」とある。
 著書に『池袋通り魔との往復書簡』『オウム裁判傍笑記』(小学館文庫)『食料植民地ニッポン』(小学館)『裁判員Xの悲劇』(講談社)『私が見た21の死刑判決』(文春新書)『帰還せず-残留日本兵六〇年目の証言-』(新潮文庫)など。
 映像ドキュメンタリーに『虚像の神様〜麻原法廷漫画〜』シリーズ。

ぜぜ−ひひ【是々非々】
 よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること。
「 是を是とし非を非とす る、之を知と謂い、是を非とし非を是とする、之を愚と謂う」『荀子』修身より

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